ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

FM沖縄 サマーSPその1

2017-08-21 11:32:00 | メディア
実は、今年も少し遅い盆休みを取り、故郷に帰省しておりまして
「甲斐よしひろのジャーニー・ギター」と
その前番組「プレミアム・テラス」のコラボ企画第2弾を聴きました♪

先週から引き続いての放送みたいだけど
こんな機会じゃないと日曜夕方の放送は聴けないので
第1弾の内容は全くワカリマセン(汗)

ただ「プレミアム・テラス」が、那覇テラス2階にあるライブラリー・バー
「November」から放送されている番組らしいということは
「ジャーニー・ギター」の初回を聴いた際に
ドコデモFMのタイムラグのおかげで知ったんですが(笑)

そのバー「November」で、軽く一杯やりながら
両番組の2週分をまとめて収録しちゃお♪って企画らしく(笑)
まずは「プレミアム・テラス」の仕切りで
甲斐さんと甲斐バンドの簡単なプロフィール紹介があり

「『November』は、街中にあるんだけど『隠れ家』的なバー」との言葉に
「26歳くらいからホテルのバーで飲んでた」と甲斐さん

「割とこう…いつもいつも曲を作らないと…って思ってる」という状況で
スイッチを入れるに「開けたばかりのバーって良い」のは
博多の「家の斜め向かいに遊郭」があり
「商売の前に打ち水をする、塩盛って…」という環境にいらしたためか?

「バーの開け際、5時半頃、大好きで
カウンターの端にぶら下がりながら、ドライジンから(飲み始めて)
自分を1回フラットにして、リラックスした時に(曲が)出て来る」と話され

「大体、コースターの裏に(笑)」というお馴染みのエピソードが登場し(笑)
そのコースターを「失くすと、百万二百万失くしたー!って(笑)」発言(笑)
ちなみに、このバーのコースターは布製だそうです(笑)

「ジャーニー・ギター」特別編で宮古島に行かれた話から
「宮古島は、22〜23年前から」よく訪れておられ
「その前は、15年くらいハワイ島に行ってた
しょっちゅう行ってたんだけど、やっぱり遠いんで疲れ果てて来て…(苦笑)

家族も小学生くらいだったのが大きくなって
『同じハワイでも、ハワイアンセンターの方が良い』とか言い出して、コノヤロー!って(笑)
常磐ハワイアンセンターってあるじゃないですか?福島に親戚がいて…

ハワイ島、行き倒したんで…
プリミティブな感じのトコが好きなんで
宮古島は、一番原始的な感じですよね

カヤックの回、音が良かったですね
波の音だけでなく、漕ぐ音も入ってて…
甲斐が櫂を…(笑)」と、セイヤングなら「チーン!」と鳴るトコです(笑)

「海のスポーツが好きなんです」と甲斐さん
「体力作り(という意味)もあるけど、精神的な方が大きい
フラットな気持ちになれるんで
人には優しく出来るかな?(笑)」とおっしゃった途端
(笑い声が聞こえて)「ヤメなさい!(笑)〇〇さん、笑ってますけど(笑)」

「ジャーニー・ギター」に因み「旅」について質問され…
「普通は『ツアー』じゃないですか
ツアーって、僕ら、決まりきった(笑)…
決まりきったことがイヤだったら出来ないんですよ」と答えておられましたが

かつて「ツアーは暮らし」とおっしゃっていた通り
観光はおろか、移動中も仮眠を取っておられたために
「会場と夜の街しか記憶がない(笑)」みたいで
「旅情」とは程遠い日々だったんでしょうね

それでも、当時のインタビューでは
「土地によって息遣いが違うからね
前に来た時にどれくらい(観客が)入ったか
どんな歌がウケたかということは、ハッキリ覚えてる」し
「それぞれの土地の区別がつかなくなったら、ツアーを止める」と答えておられました

ともあれ…「駅に着く、車に乗せられ
そのまんまホールに連れて行かれ…護送のように(笑)
黙々とリハーサルの準備、リハーサルやり
本番に向けて…本番やり、車に乗せられ
二次会くらいまで飲んで、ホテルに…世代的にコンビニ行きませんから(笑)」と甲斐さん

(若い世代のミュージシャンの皆さんは
一次会の後にコンビニへ買い出しに行かれるらしい)

「気絶寸前にホテルに帰って、歯磨いて寝る(笑)
それを年間150本やってたんで、若かったし…
『ジャーニー・ギター』で初めて旅を楽しむ感じで
オールロケって、苛酷かも知んないけど面白そうだなと…」

…って、もし、某観光会社でサラリーマンを続けていらしたとしても
やっぱり「旅を楽しむ」ことは無理だったんじゃないかと…(苦笑)

それはさておき…「9月23日からツアーが始まるんで」と甲斐さん
「楽しむような新たな目線」で
「基本的に本番バチッと出来れば良い」とおっしゃって

そのためには「リセットして、良いライブほど忘れるようにしている
悪いライブは、しつこく覚えていて…
どこの街に行っても泳ぐんで、リセット出来る」と
いつも通り「ワンナイトスタンド」の心構えを口にされていたけど

「若い時は、良いライブを忘れない…ノリもスゴイし…
でも、次の街に行くと、違う客…違う街、違うホールで
先入観があると、ギクシャクして来る
いつも『ゼロ』で感じるようにしておかないといけない」と
長年の経験から辿り着いた心構えであることを説明なさってました

ただ「客席ダイブ」があった翌年
同じ山梨の会場で「何かを期待するような」雰囲気のためか?
曲の途中でステージから降りてしまわれたことがあったのは
観客の方が「前回のライブ」を忘れられなかったのかなあと…?

学生時代の奥さんは、年に数回
地元にやって来る甲斐バンドを観に行くのが精一杯だったようだし
そんな「サプライズ」を経験したら
「また今回も…」と期待してしまったかも知れません

まあ、そんな当時の奥さんにとっては
どこの街のライブが良いライブだったのかは判らないものの
いつも何かに苛立っているような甲斐さんが、笑顔を見せられたり
何度も「ありがとう!」…当時は「サンキュー!」じゃなかったらしい(笑)
…と言ってくれた時が「良いライブ」で(笑)

「地方の奴らの方が鬱屈してるから」とか
「どんな街にも武道館と同じ機材を持って行く」という甲斐さんの言葉に
田舎町の少女は感激していたんだとか…(笑)

ここで【HERO】が流れ「Best of Rock Set かりそめのスウィング」の話題へ…
「【ちんぴら】と【かりそめのスウィング】は
ニューレコーディングで歌い直して
【グッドナイト・ドール】はリミックス

新録は【非情のライセンス】をカバーして…
これ偶然なんですけど、ミックス終わってテスト盤上がって来た日に
野際陽子さんの訃報があったんですよ
スポーツ(紙)全社から来ました、取材が…
コメント書いて出したんですけど…

僕らの世代の時は(野際さんは少し上の世代なので)
フリーのアナウンサーやって、役者やって、優秀なスーパーレディで
役者に絞って行ったら、すごい演技者…表現者として素晴らしい

【非情のライセンス】は、2〜3年前からやりたくて
誰も手をつけてないものをやる方が良いじゃないですか
誰も気がついてない時にやった方が良い」と甲斐さん

カバーされる曲の選び方は、変わっておられないようですが
ただ、中森明菜さんが、2009年にリリースされた
「ムード歌謡〜歌姫昭和名曲集」の中に、この曲が収録されてます(苦笑)

【非情のライセンス】が流れた後、NYで訃報を受け取られた話から…
「行った日にキャロル・キングの『ビューティフル』
翌日『チャーリーとチョコレート工場』
3日目にニューアークの2万人のアリーナで
トム・ペティのライブ」をご覧になったこと

「アリーナの斜め前にある200人(収容)のバーに
誰よりも早く行って大騒ぎ(笑)」されたことや
そのお店の「ジュークボックスがすごい」ことを早口で話され(笑)

最後は「大学生が走って来て、いきなり」
トム・ペティがライブでやらなかったビッグヒット曲
【ブレークダウン】をジュークボックスで流して
「怒りのブレークダウン(笑)」で終了…
このオチ、相当気に入っておられるのかなあと…(笑)
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シビレる言葉 AGAIN 3

2017-08-20 16:40:00 | 日記
かつて甲斐さんがサンストで
「僕の『I LOVE YOU』は無言です(笑)」とおっしゃったそうですけど
今回は「沈黙」についての言葉をご紹介します

ドイツの哲学者ヨゼフ・ピーパーによれば
「沈黙している人だけが聴いているのであって
口を閉じない者には何も聞こえない

沈黙とは、口をつぐむことではなく
『口を開けば途切れてしまうような深い心の通い合い』のことだ
人を懐深く受け入れるには、鎧を脱いで自分を緩める必要がある

だが、それは事の成り行きに心置きなく身を委ねられる『信頼』なしには難しい」
日頃から、そういう関係を周囲と育んでおくことが大切だとのことですが

歌人・生命科学者の永田和宏さんが帰宅された際に
庭仕事をなさっていた奥様が振り返られ
「それまで泣いていたと、すぐに判った」ものの

「慰めもせず、冗談で元気づけようともせず
泣いていた訳も訊かず、ただただ横に座っていただけだった
沈黙の中で互いを最も切実に感じていた」とおっしゃっていて

乳がんの再発をお知りになったばかりの奥様にとって
どんな言葉よりも優しい沈黙だったんじゃないかと…

ただ、黙っていても気まずくならないどころか
口を開かずとも通じ合う「あ・うん」の呼吸の仲になるには
共に過ごした年月だけでなく相性もあるような気が…?

以前にもご紹介しましたけど
ロバート・B・パーカーは、奥様が乳がんにかかった時

「物事は何でも良いように考えなければいけないよ
ブラジャーだって半額で買えるかも知れないんだから」
…という言葉をかけたそうだし
ただ黙って座っていたのでは、奥様に愛情を疑われたかも知れないし…?

もっとも、奥さんにとって「あ・うん」の呼吸といえば
甲斐さんが歌詞や歌の出だしを間違われても(笑)
目を合わせることもなさらず、何事もなかったかのように
演奏でカバーされる松藤さんが、一番に思い浮かぶみたいですが…(笑)

それはさておき…
「沈黙が苦手である」ノンフィクション作家の最相葉月さんは
「まばたきの回数が増え、口の中が渇く
その内、背中がガシガシと強張り、後頭部が重くなる
そして、もうダメだと思った瞬間『あのう』と声を出している

こう切り出した時、取材相手のそれまでの沈黙に込められていた全てを
バラバラに断ち切ってしまうのだ
だから『言葉によって意味を固定しないことの持つ意味』を
反芻しつつ取材を続けている」そうだけど

言葉の「行間」というものを読むには
相手の方に対する、理解や疑問を含めた興味を抱くことはもちろん
佇まいや仕草から滲み出るものをキャッチする
アンテナが必要なのかも知れませんね

デザイナーの太田和彦さんによれば…
「通の客は最後まで一言も発しない」らしく

それは「良い居酒屋は、主人が店の全部を見渡せる設えになっており
客からも常に主人の姿が見えるから、注文はたいてい眼で
酒がなくなれば徳利を上げるだけでよくなる」ためなんだとか…

甲斐さんは、バーのカウンターや対面キッチンのお店がお好きみたいですが
「一言も発しない」ことはないでしょうね?(笑)

村上春樹さんは、創作へのこだわりを訊ねられ
「優れたパーカッショニストは、一番大事な音を叩かない」とお答えになったそうで

それをお知りになった後藤正文さんは
「音楽というと、どうしても鳴っている音に注目してしまうけれど
休符ももちろん音符であって
どこにどんな音が鳴るのかと同じくらい
どこでどんな音を鳴らさないのかというのは、とても大事なことだ

鳴っている音を躍動させたり、滑らかにしたり
時に『しん』とさせたり…といった効果や役割がある」と記され

また、谷川俊太郎さんは「言葉は…
言わないこと、書かないこと、黙っていることまで含んでいる」とおっしゃっていて

何となく物足りない、もっと強調したいという理由で
不必要な音を奏でたり、余計な一文を書き加えることを戒めておられます

一方で、現代音楽家のジョン・ケージは
「私には言うべきことが何もない
…と言いながら、そう言っている」という矛盾を口にし
「『沈黙』の認識も言葉の力によるもの」と示唆したり

また、ピアノの前に座り、4分33秒間、何も弾かずに去る
…という伝説的な「作品」を残したりしているらしい

4分33秒の間、聞こえるのは周囲の音だけというこの曲は
「すべきことが何もない」ということを表現している
…と、されているそうだけど
その場に立ち会われた聴衆の皆さんは、どう受け取られたんでしょうか?

ちなみに…美術家の森村泰昌さんは
大きな板に「何もすることがない」と
ドリルで刻み続けた「ふくおかさん」について

「生き甲斐になることを何も見つけられない人は、無理に探さず
その『ない』をそのまま形にする作業を続けていれば
それが『作品(ワーク)』になる
芸術の神様は、決してあなたを見捨てない」とおっしゃったんだとか…

元記者の稲垣えみ子さんによると…
モノ、金、健康などを手に入れるのが幸福だとすれば、病と死は不幸の極み
「人は不幸にまみれて一生を終えるほかない」

でも、持つことと幸福とは別だと気づかれ
「『ある』幸せがあるなら『ない』幸せがあったって良いじゃない」と
「ある」幸せへのこだわりを捨てられたそうです

本当に幸せな時には「幸せってなんだっけ?(笑)」なんて
考えたりしませんよね?

余談ですが…話の最中に言葉が途切れて
何ともキマリの悪い瞬間が訪れた時
日本では「(話に)スが入った」と言うのに対し
フランスでは「ほら、今、天使が通ったよ」と呟くみたいで

じゃあ、甲斐さんは「ポップコーンをほおばって」
その「天使たちの声に耳を傾けて」いらしたのかなあと…(笑)

そうそう!「恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす」って
声に出せない恋情に身を焦がすのかと思っていたんだけど

相手への思いだけでなく、思いを伝えられない自分を憐れむ気持ちが
「火」となって身を焦がすらしい
お勉強させて頂きました(笑)
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シビレる言葉 AGAIN 2

2017-08-19 11:43:00 | 日記
今回は、田家秀樹さんや亀和田武さん達が「BIG GIG」開催前に
甲斐バンドの野外ライブについて話されている場にたまたま通りがかられ

急遽、飛び入り参加なさった(笑)相倉久人さんの言葉
「音楽が音楽であるのは、それを音楽と受けとめる耳があるからだ」から…

「聴く耳さえあれば、波の音や街の雑踏も立派に音楽として成立する
音楽は、奏でる人、聞こえる音と
それに耳を傾ける人の共同作業としてある

このことは、深い悲しみの中に沈む人の語りについても言える
言葉は、聴く人の、祈るようにして待つ耳があって初めて
ぽろりとこぼれ落ちる」んだとか…

また、詩人で仏文学者の松浦寿輝さんは
「注意を集中し、ただ黙って聞いていてくれるというのは
それだけでも大したことだ

語りを黙して聞くことは、受け身の行為ではない
耳を澄ますことが、心地よい波動となって、語る者に返される」とおっしゃっていて
これも「語り」と「音楽」の置き換えが可能じゃないかと…

まあ、甲斐さんのライブは「黙して」聴けないかも知れませんが(笑)
甲斐さんも「最初は俺たちがパワーをぶつけるんだけど
最後は俺たちがパワーを貰ってるんだよね」とおっしゃってますし
コールだけでなく、観客からのレスポンスがあってこそのライブですもんね♪

それはさておき、南木佳士さんによれば…
面と向き合うと、理解しようと焦って
聴くより先にその人の物語を勝手にまとめ出している
思い浮かぶ記憶も空想の糸で編まれていて、隔たりは埋まらぬまま…だから

「みな、きちんと語ろうとする時は、聴く者がいないし
真剣に聴きたい時は語る者がいない
時の移ろいの中で、人の関係はいつもちぐはぐで哀しい」と…

でも、蜷川実花さんは、大学受験に失敗して落ち込んでいらした頃
気晴らしに遊びに行こうとなさった時に
お父様から「目の前の楽しさで気を紛らわせるよりも
こういう時にしか聞こえて来ないメロディとか
辿り着かないこととかがあるんだから」と言われ

それ以降、凹んだ時は「これがあったから
ここに辿り着いたんだ」と思えるまで
ご自身を「掘る」ようになったそうです

ご自身の気持ちに向き合われたことはもちろんだけど
お父様の言葉に耳を傾けられたことが素晴らしいなあと…

文芸誌「新潮」の元編集長・坂本忠雄さんは、かつて小林秀雄さんから
「文学者の生原稿を読む時は、耳を澄ませて
その文章の底に流れている語調とリズムを
出来るだけ注意深く聴き取ること」と「読みの浅さ」を戒められて

それ以後は「眼で字面を追う」のでなく
言葉の息遣いごと、言葉に託されたものを聴き取ろうとしたと話されてました

ちなみに…「Happy New Ears」という英語の語呂合わせには
長く圧し殺されて来た声、出かけては呑み込まれた声
ぼそっと漏らされた短すぎる声

恐る恐る絞り出された、くぐもった声や今にも途切れそうな声に
じっと耳を傾けられる人に、今年こそなろうとの意味が込められ
「聡明」には「耳」があるように
声を最もよく聴く人を「聖」と呼ぶらしいです

ミュージシャンの後藤正文さんは
「音楽にまつわる技術は沢山あるけれど
もっとも重要なのは『聴く技術』ではないか」と記され

「ロックバンドに限らず、複数の人が集まって合奏する場合
それぞれの演奏がどのように絡みあっているのかということが
全体の美醜に大きく関わる

だから、ミュージシャンは個人練習だけでなく
合奏のリハーサルも頻繁に行って
集合した演奏のクオリティを高めている

ところが、人間の演奏には『訛り』のようなものがあって
機械のように正確なリズムを刻むことが出来ない
バンドや合奏は、人間的なズレや揺らぎの集合体なのだ

故に、演奏が調和するための音符の置き所もズレたり揺らいだりしている
正しい場所に音符を置くためには
周囲との調和を聴き取る技術が必要だ

更に言えば、音の良し悪しを聴き取れなければ
自分の演奏の良し悪しも判断できない
つまり、演奏力とは『聴く技術』だ」と説明なさっていますが

例えば、フルオーケストラの奏者の方が
それぞれ譜面に書いてある通りに演奏されても
全体として、ズレや揺らぎが生じた場合
それを修正し、指揮者のイメージに合わせて行かれるところを

「バンド」では、ズレや揺らぎの部分に合わせて…というか
ズレや揺らぎを活かした演奏されることもあるんじゃないかと…?

少なくとも甲斐さんは、それがそのバンドの音であり
個性になると考えておられるみたいで
「甲斐バンドには、譜面に載ってない
ちょっとルーズな音があるんだよ」とか

「甲斐バンドは、絶対自信持って言うけど上手くなかった(笑)
だけど、長岡がいる時までは、ちゃんとバンドの『うねり』があった」

「『揺れ』とか『うねり』がそのバンドのノリな訳で
正確に音を出す必要は全くない
音程は少々はずれるくらいでもいい
正確なことより、心のない音の方がツライから…」と話されてます

大野雄二さんによると…「グルーヴする瞬間というのは
プレイヤー同士が互いに相手のことをおもんばかって
我慢に我慢を重ねている時」だそうで

たまらなく気持ちが良い…昔の「イカす」(笑)
今の「ヤバい」に近い…ちょっと神がかりなノリの時に
誰かが一人勝手に興奮して堪え切れないと
演奏は破綻してボロボロになってしまうんだとか…

もっとも、マイルス・デイヴィスは
ピアニストがうっかり間違ったコードを弾いた時
そのコード変更に合わせ、別の旋律を紡いで行ったらしく

これを目撃した美術家キオ・グリフィスは
「間違いを『あり』にする方法が好きなんです」と語り
即興を制作の軸にしたみたいです

何が起こるか判らない中で、幾つかの選択肢から
咄嗟に何を選ぶか?という判断も、やってみないと判らないのが
ライブの醍醐味なのかも知れませんね
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シビレる言葉 AGAIN 1

2017-08-18 12:06:00 | 日記
かれこれ1年7ヶ月ぶりくらいでしょうか?
最後には、とうとう甲斐バンドの機関紙「BEATNIK」の
表紙の「言葉」にまで手を伸ばしてしまったアノ日々から…(笑)

新聞・書籍・雑誌、CMコピー、映画・ドラマ、インタビューなどから
「おおっ!」「えっ!?」と思った一文やグッと来たセリフを
独断と偏見でご紹介するシリーズ、勝手に復活です!(笑)

まずは、復活のきっかけになった
「作ることは、壊すこと」という言葉から…

生物学者の福岡伸一さんが、ある建築家の方と
「伊勢神宮と法隆寺のどちらが生命的か?」という議論を交わされた際に

「生命を生命たらしめているのは、絶えず分解と合成を繰り返す『動的平衡』…
生き物の体は、栄養素が通り過ぎる『流れ』のようなもの
(体内で絶え間なく分解と合成が続いており、同じ人でも1年も経てば
分子レベルでは、まるで別人だ)という考え方…の作用であり

20年に1回、新たに建て替えられる伊勢神宮の方が
一見、分があるように思えるが
法隆寺は、世界最古の木造建築と言われながら
長い年月をかけて、様々な部材が常に少しずつ更新されて来た
その意味で、全取り替えをする前者よりも
ちょっとずつ変える後者の方が、より生命的ではないか?

しばしば『解体的出直し』といったことが叫ばれるが
解体しなければならなくなった組織は、その時点でもう終わりである
そうならないために、生命はいつも自らを解体し、構築し直している
つまり(大きく)変わらないために
(小さく)変わり続けている」

と話されたそうですが、これがボクの中で
先日ご紹介した甲斐さんのカバーについての考え方や
ご自身の曲を新たな切り口で披露されること
「現状維持を目指すことは後退を意味する」とおっしゃったこと
…等々とシンクロした次第(笑)

更に、音楽学者の大久保賢さんは
未だ誰も聴いたことのない音楽を求め、逆に隘路に入った現代音楽に向けて
「求められるのは『創造性』よりも
既存のものを活かす『創意』である
『発明』することではなく『発見』することである」と記され

ドラマ「ふぞろいの林檎たち」の演出家・鴨下信一さんは
落語や歌舞伎、映画など「本歌どり」こそが原点であり
まず型があって、更にそれをずらすから
どこがどう変わったか?が、キチンと掴める

暮らしも日々、その型の手入れを続け
かつ、少しずつ手直しして行くことで保たれる
だから「必要なのは、激越なオリジナリティではなく、微妙な変化だ」と話されていて

甲斐さんが、ニューレコーディングやリミックスに取り上げられた曲には
「違うやり方でやりたい」「もっとこういう風にしたい」という何らかの理由…
発表された当時には、録音機材や演奏技術など最大限の力をもって
「ベスト」と判断されたものが

年月の経過と共に「マイナーチェンジ」の必要を覚えられたり
当時は不可能だった録音技術が進歩したことによって
新たな可能性に気づかれたり…がおありだったんだろうなと…

絵本作家の荒井良二さんは「ものを作る人には
人が気づかないようなところを掘り下げる役割がある
問題を前にして、人はつい一つの答えを求めるが
それは、様々な可能性を狭める

だから、作品を作るより「?」を持ち帰ることを大事にしている
すると「この手があったか!」と唸らされるようなものが出て来る
いつもと違う「引き出し」をいくつ持てるかにかかっている

…と書かれているのを読んで
「やるだけやってダメだったら寝る
目が覚めたら、新しい世界が広がっているかも知れない」とか

「作品を書く時に、どうしても3行しか書けなかったら
そのまま残しておくんですよ
そうすると、明日、その3行から始められるじゃないですか」という
甲斐さんの言葉を思い出しました

また「アルバムの最後の曲には
次に目指す方向や課題となることが込められている」との言葉からは
現状では「これがベスト」とはいえ
「決して満足はしていない」という思いが垣間見え

民芸思想家・柳宗悦さんの「不完全を厭う美しさよりも
不完全をも容れる美しさの方が深い」という言葉に繋がりました

人は誰しも過ちや矛盾を免れない
完全からは程遠い
巧みに描かなければ美しくならないような絵が
ついに、まずまずというところまでしか行けないのなら

過ちや矛盾を取り去って完全を目指すよりも
完全か否かの分別へのこだわりを捨て
「不完全なままに謬(あやま)りのない世界に受け取られる」ことをこそ願うべし…と記され

また、加藤登紀子さんも
「作品を発表するということは、自分の限界を認めること
自分に求め過ぎると何にも発表できなくなっちゃうよ!

『悔しいけど、これが私のベストです』って、出しちゃうの
この悔しさが次の作品を生む力になるかも知れないしね」とおっしゃってますが

アルバム「破れたハートを売り物に」への悔しさが
甲斐バンドに海を渡らせ「虜」を生んだんだなあとハゲ同(笑)

一方で「『これでもう触ってはいけない』
という時ってあるんですよね」と美術家の内藤礼さん

作品を作る中で「ここだ」というのは判るけど
「何故か?」というのは判らない
作ることは自己表現ではなく、自己を超え出るためにある
だから、作るという意識から、まずは離れ
自分を超えた何かが立ち現れる、その瞬間に身を委ねるのだと…

また、坂口安吾さんは「美というものの立場から付け加えた一本の柱も鋼鉄もなく
美しくないという理由によって取り去った一本の柱も鋼鉄もない」と記され

刑務所とか冷却剤の工場などを例に
ただ必要なもの、それだけが必要な場所に置かれている姿が美しい
何かについて書く時も、上手くまとめようという下心がついうごめき出すが
「美しく見せるための一行があってはならぬ」と戒めておられます

作家の矜持は、省略と削ぎ落としにかかっているという言葉は
そのまま、甲斐さんの書かれる詞や
アコギライブ、ロッキュメント〜愛ろくでのスタイルに当てはまるんじゃないかと…

余談ですが…「作ることは、壊すこと」の続きには
「そして(生命は)予め分解することを予定した上で、合成がなされている

都市に立ち並ぶ高層ビル群を眺めながら思う
果たして、この中に解体することを想定して建設された建物があるだろうか
作ることに壊すことが既に含まれている
これが生命の有り方だ」と記されているんだけど

奈良の宮大工・西岡常一さんは
「力は釣り合いが崩れると、弱い所へ弱い所へと集中しますからな
飛鳥時代の建物が強靭なのは
『木のクセを読む』『木の育った方位に使う』ことで
一つとして同じではない木を一つ一つ適材適所で使っているからで

木には強いのもあれば、弱いのもある
割った形もそれぞれ違うし、右に左に曲がるクセもある
それを削って真っ直ぐに見せるのは綺麗かも知れないが
後で必ず無理が来る」と、おっしゃっていて
法隆寺の小さな「更新」の様子が垣間見えるようです
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夏の連ドラ4

2017-08-16 17:33:00 | 日記
これまで、甲斐さんがあんなに朝ドラについて語られても
「花子とアン」の総集編…
それも吉田鋼太郎さんの出ておられる場面(笑)
…にしか興味を示さなかった奥さんが
毎日欠かさず「ひよっこ」を観る日が来るとは!(笑)

番組がスタートした頃は、もちろんスルーしていたんですが(笑)
沢村一樹さん演じる「お父ちゃん」と連絡が取れなくなり
木村佳乃お母ちゃんが上京して、警察に捜索願を出す場面を
「うっかり観てしまった(笑)」らしい

「『いばらき』です『いばらぎ』じゃなくて『いばらき』です
谷田部実といいます
私は、出稼ぎ労働者を一人探してくれと頼んでいるのではありません
ちゃんと名前があります!」というセリフに号泣して以来
「あさイチ」の「ひよウケ(笑)」まで、しっかり見届けております(笑)

それでも、長年の朝ドラ嫌いの根本には
「清く正しく美しく前向きで明るい」といった
いかにも国営放送向きな「ヒロイン」像がある訳で
それは、今回のみね子役(有村架純さん)にも当てはまると思うんだけど

ただ、歴史に名を残す実在の人物でも
波瀾万丈な人生でも、特別でも何でもなく
「いつか、お母ちゃんみたいに農家に嫁ぎたい」という
ごく普通の、どこにでも居そうな少女って点が「全然違う」んだとか…(笑)

…で、ふと思ったのが
「カンナさーん!」に最初は食いついていた奥さんが
だんだんトーンダウンして来たのは
あまりに前向きなカンナさんが
「朝ドラヒロイン」に重なって見えたからなのかなあと…(苦笑)

渡辺直美さんのキャラは、いつも明るく元気なカンナさんにピッタリで
小さなお子さんを育てながら働くママさん達の代表という感じなんですが

別れた夫の両親と同居すれば、子供を預けて仕事に没頭できる
新しく住む場所を探さなくても良くなる
背に腹は代えられず、一度はその恩恵にあやかるものの

姑と暮らすのがイヤ…だからではなく
苦労がしたい、子供のために無理をしても頑張りたい…といった理由で
元の生活に戻る決心をするシーンに
「これが自分の実家でも、同じこと言うかなあ?」と奥さん(苦笑)

少なくとも、新居に移る経済的余裕が出来るまでは
両親の世話になるしかないっていうのが普通じゃないか?と
カンナさんの選択が、キレイごとっぽく感じられたようです
まあ、それが「カンナさん」なんでしょうしねぇ(笑)

ともあれ…いざ「ひよっこ」を観始めてみると
甲斐さん絶賛の増田明美さんのナレーションもさることながら
「前略、おふくろ様」を彷彿させる
みね子の「心の声」がツボだったらしく(笑)

和久井映見さん演じる愛子さんが
自分も「乙女」だということを認めて欲しそうに、みね子の顔を見ると
「お父ちゃん、また見つめられています…」とか(笑)

アパートの大家さん・白石加代子さんに、一緒にお茶を飲もうと誘われ
一度は断ったものの、その押しの強さに
「お父ちゃん、なかなか手強いです」に、ニヤッとしたり(笑)

東京での生活に慣れ、毎日忙しく働いている内に
「ごめんなさい…お父ちゃんのことを考える時間が短くなってます」とか

女優志望の幼なじみ・時子がオーディションに落ち、自信を失くしているのへ
三男が「いつまでもメソメソしてっと、嫁さんにしちまうぞ!」と言って
時子の魂のゴングを鳴らす(笑)シーンでの
「三男はイイ奴です…そして、切ない恋心です」などにグッと来たり
すっかり、いっぱしの「ひよラー(笑)」みたいです

そうそう!「ビートルズがやって来る!」週間では
チケットもないのに、いてもたってもいられず
東京にやって来てしまった宗男おじさん(笑)に共感し

すずふり亭の鈴子ママ・宮本信子さんがおっしゃった
「私はビートルズなんて知らないけどね
いつの時代も若い女の子が夢中になるものは本物なんだよ
女の子は良いものを嗅ぎ分ける力を持っているのよ
理屈じゃなくてね」…という言葉に拍手したらしい(笑)

でも、きっと「ビートルズ」を
「甲斐バンド」に置き換えての拍手だったと思います(笑)

それはさておき…錦戸亮さん主演の「ウチの夫は仕事ができない」は
多少のデフォルメはあるものの
ああいう「不器用ですから…」上手く立ち回れず
ビジネスライクに割り切って考えられない情に厚い人は珍しくないし
人間的には愛すべき人物じゃないかと…

ただ、新妻役の松岡茉優さんが
もう1本レギュラー出演されている「やすらぎの郷」で
今、大変なことになっていて(汗)
我が家は「つかぽん」どころじゃアリマセン(苦笑)

ここのところ「やすらぎの郷」は、ナンか事件が多発していて
石坂浩二さん演じる主人公のかつての愛人?の孫が訪ねて来たり

ミッキー・カーチスさん演じるマロさんが
やすらぎの郷の職員役・常盤貴子さんと結婚することになって
その父である元財務省官僚・柴俊夫さんが乗り込んで来たりと
すっかり名前負け状態…(汗)

もっとも、奥さんは、孫娘役を演じておられたのが
あの「キョウコさん」こと清野菜名さんだったことや

柴俊夫さんが「財務省の阿佐田哲也」と呼ばれるほどの腕前を持つ雀士
…という設定に高まってたんだけど…(笑)

今日の放送はまだ観ておりませんが
何やら不穏な展開になってるんじゃないかと…(汗)

さて、あとは…帰って来た「警視庁ゼロ係」と
「脳にスマホが埋められた」です

どちらも主演の俳優さんのキャラに合った役柄のためか
荒唐無稽さが気にならず、リラックスして観られるトコが似てるかな?(笑)

まあ、絶対に見逃したくない!ってほどではないんだけど(苦笑)
後者は、鈴木おさむさん脚本だし、コンプリート出来るんじゃないかと…?

さあ、折り返し地点を過ぎ、最終回に向けて
この先、どのドラマが盛り上がるのか?楽しみです♪
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