ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

FM NACK5「Age Free Music!」2

2017-08-12 12:01:00 | メディア
ビルボード・ライブの【サルビアの花】から
話題は、甲斐さん初のソロアルバム「翼あるもの」へ…

「昔、ナッシュビルのミュージシャン使ってね
あの頃、まだアルバム1枚がカバーとかっていうアルバムなかったんだよね
それも甲斐バンドっていうバンドがありながら、そのバンドとやらずに
ナッシュビルのミュージシャン使って…」と甲斐さん

富澤さんの「しかも、レコード会社変えてね」との言葉に
「ヒドイよね(笑)」と笑っておられましたが
当時のインタビュー記事には…

「一般的に言って、甲斐バンド = 甲斐よしひろってイメージがあるじゃない
俺はバンドのリーダーとして、甲斐バンドをもう一回り大きくしたい
そのためには、まず、俺自身が大きくならなければダメだと思って
ソロアルバムを作ることにした

でも、オリジナルは、あくまで甲斐バンドでやりたい
だって、オリジナルをソロでやっても
下手すると、バンドと同じになってしまう危険があるじゃない
そうなってしまえば、ソロを出して幅を広げることにはならない

だから、ソロでは、カバー曲をやることで
あえてボーカルに徹してみようと思った
それも、昔、ヒットして知られている曲を
今の時代にも十分通用するように斬新なアレンジをして…

原曲を知らない人達にも、その良さを判って貰いたいし
流行した時期を過ぎると、どんな良い曲も懐メロとしてしか評価されず
スタンダードが生まれにくい日本の音楽状況に
『本当はそうじゃないよ!』という思いもあるから…」と話されていて

やはり、この頃も今も「日本の音楽界」というものを
常に気にかけておられるんだなあと…
もっとも、そういうハードリスナーでいらしたからこそ
「翼あるもの」を作られるに際して
100曲以上もの候補曲を挙げられたんでしょうね

ともあれ…「俺は、ソロアルバムというイメージを強く打ち出したかった
これまでにも、アリスの谷村新司とか
NSPの天野滋とか、色んな人がソロを出してるけど
どこかバンドのイメージが吹っ切れてない訳ね

どうせやるんだったら、バンドはバンド、ソロはソロということを
よりハッキリさせるためにレコード会社を変えたんだ」と甲斐さん

まあ、バンドとソロでレコード会社を変えるのは、前例がなかったために
マスコミには「甲斐バンド解散か?」と騒がれ(苦笑)
業界の方々からは「慣例破りの異端児」扱いを受けたみたいですが…(汗)

富澤さんが「(ナッシュビルに)行きましたね、その時、私…
60年ぶりの大雪だったもんね」と、おっしゃっていた通り
当時「ネコもしゃくしも海外録音」という記事を書かれていて…

「海外レコーディングは、何も今始まった訳ではない
古くは、1969年に加橋かつみがフランスで
森山良子がアメリカで行っている

大いに注目されたのは、72年に五輪真弓がロサンゼルスで
アメリカ人プロデューサーのもとで
キャロル・キングら現地のミュージシャンをバックに制作した
『少女』というLPがきっかけだった」ことや

「その頃の日本では、フォークやロックの
ニューミュージックと呼ばれる音楽が誕生したばかりで
新しい音楽を生かすレコーディングのノウハウ
特にプロデューサーやミキサーの重要な役割を
一から海外に見習わざるを得ない状況だった」こと

「海外録音は、それだけで十分に話題になり、レコードも売れる
『宣伝のネタ』として、必然性のないレコードまで登場して来た」ことや

「現在では、日本のスタジオの設備は
外国に引けをとらないまでになったし
レコーディング・スタッフも育って来て
かつてほど海外に出かける必然性はなくなっている」こと

「心あるミュージシャンやスタッフ達は
今、真剣に海外レコーディングを考え直している
ある種の狙ったサウンド作りに必要なスタッフを
日本で調達できない時にだけ、海外に出かけて行く」ことなどが記されてます

更に「1月9日から26日まで渡米し、テネシー州ナッシュビルで
ソロアルバムをレコーディングした甲斐よしひろは次のように語る」として

「ソロアルバムとなると、バックのミュージシャンから探さなきゃいけないけど
日本のスタジオ・ミュージシャンは、ほんの十数人しかいなくて
彼らは何人ものアーティストを持ち回りでやってる

だから、どのアーティストのアルバムも同じサウンドになってしまう
それを避けて、オリジナルなサウンドを求めて、ナッシュビルへ行ったんだ」という甲斐さんの言葉を紹介され

「このように、必然性があって
再び海外レコーディングをするようになったことは良い傾向である」と結ばれてます

その時の「アメリカのミュージシャンたち」と
甲斐さんが一緒に写っている写真が添えられてるんだけど

「あれ、しかも、ニール・ヤングの『(アフター・ザ・)ゴールド・ラッシュ』
『ハーヴェスト』の、そのミュージシャン使って
すごい良いミュージシャンだったんですよ」
…と甲斐さんが話されていた方々なんでしょうね

ただ、この番組では、ディランの「ナッシュビル・スカイライン」には
触れられませんでしたが
このアルバムは「ディランが『ロック化』した後
ザ・バンドとのセッションに明け暮れた日々を経て
ナッシュビルでレコーディングした『カントリーアルバム』」であり

「ソロアルバムは、カントリーっぽい音とロックっぽい音でやりたかったし
楽譜以外のプラスアルファが欲しかった訳です」という甲斐さんが
ナッシュビルを選ばれた、大きな理由の一つなんじゃないかと…?

それはともかく…「そういうカバーアルバムの中からの曲をやったりとか
今、ビルボードはね、3年目…この間終わったんですけど
また来年も、多分やることになる」と甲斐さん

奥さんは、嬉しい悲鳴を上げつつも
また、あのチケット争奪戦が繰り広げられることに頭を抱えておりました(苦笑)
コメント
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