ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

FLASH(9/5号)

2017-08-22 13:08:35 | メディア
甲斐さんの記事が掲載されているというので
早速、コンビニに走った奥さん(笑)

SKE48松井珠理奈さんのフォトブックや板野友美さんの袋とじなど
セクシーショット満載のページを繰り(笑)
「巻末にあるはず」と目次を探していたら
先に、懐かしの甲斐バンドのポスター
(バドワイザー・シリーズ)の写真を発見(笑)

裏表紙のすぐ隣に「『ザ・ベストテン』アーティストの『運命の一曲』」…なる連載カラー記事があり
その左上に【HERO】のドーナツ盤の写真
その下に甲斐さんのバストショットとプロフィールが載っていて

中央を飾るバドワイザー・シリーズの写真の上には
「チャンピオンは世界に一人だけど、HEROはどの街角にもいる」という
当時、甲斐さんがよく口になさっていた言葉が添えられてるんですが

この記事の中で甲斐さんは「僕は覚えてないんだけど
当時、周りに言ってたらしいよ(笑)」と話されていて、奥さん脱力(苦笑)

【HERO】のヒットと共に「甲斐バンド=ヒーロー」
「甲斐バンドこそ僕らのヒーローだ!」と騒がれたことに
甲斐さんは、何度も「ヒーローは俺たちじゃない」と訴えられ

「誰でもチャンスはあるんだ、誰でもその人生の中でヒーローなんだ
だってさ、ヒーローって成功した奴だけじゃないよ
挫折して埋もれたヒーロー達だっていっぱいいる」とか

「『チャンピオン』は何億人の中の選ばれた1人だけど
街角のアンちゃんだってヒーローなんだ」といった言葉と共に
先の言葉をよく口になさっていたらしいし(笑)

朝日新聞「be」の「もういちど流行歌」に
【HERO】が取り上げられた際にも
「チャンピオンの座には世界で一人しか就けないけど
ヒーローはどの街角にもいる
どんな奴にもチャンスは巡って来ると
若い世代に伝えたかった」とおっしゃってました(笑)

ちなみに…「あの6週トップだった【チャンピオン】を抜いたのは【HERO】よ
チンペイ、俺に手を差し伸べて『おめでとう』って…
彼の目は濁りがなく暖かかった
演ってる野郎同士のいい感じだったよ」

…という甲斐さんのコメントを見つけて
当時、テレビとは無縁なところで
年間観客動員数で凌ぎを削っていたバンドが
ヒットチャートでも抜きつ抜かれつする時代になったんだなあと…

「ザ・ベストテン」出演について、TBS側からの執拗なオファーや
地方在住のファンからの熱烈な要望に悩まされていた甲斐さんが
「生きた観客がいないテレビ局のスタジオでは歌いたくない」とおっしゃった時に

「そういう風にしても世間は許してくれないんじゃないか」と
意見なさったのも谷村さんだったんですよね

ともあれ…「予算は数十億円!?
空前の一大プロジェクトから生まれたヒットナンバーだ!」
…とのキャプション通り、記事の中にも

「79年1月1日、午前0時0分、NHKを除くすべての民放で
いっせいにセイコーのCM『HERO』が流れた
前代未聞のビッグプロジェクトだった」と記されてます

「シングルもアルバムもベストテンチャートに送り込んでいたけど
シングル1位(オリコン)だけは見たことがない風景だった
だから、CMのオファーは来るべき瞬間が来た、と思った」と甲斐さん

でも、タイアップ企画のことには触れられず
「来年、俺たちは1位になります」宣言をぶちかまされたために(笑)
「大口を叩くな!」と袋叩きに遇われたんですよね(汗)

当時の奥さんは「キジも鳴かずば撃たれまいに…」とハラハラし
「これでホントに1位にならなかったら、また叩かれちゃう」と心配したらしい(苦笑)

そういえば…3枚組のライブアルバム「流民の唄」を
破格の4,920円でリリースされた際に
「高校生とかの連中の小遣い考えたら、妥当なセンだよね
でも、こういう感じだと、殉教者っぽいイメージになって来るじゃない
だけど、俺たちだって貧乏はイヤだよ

たださ、例えばCMとかやると、巨大資本からバッチリ金取れる
その分、てめえの小遣い出して買ってくれる、お前らからは取らん
そういうのはあるよ」と話されていて
その後もタイアップ曲を提供なさったのには
こんな側面もあったんじゃないかと…

そうそう!サントリーとのタイアップのCMキャラクターでいらした
広田レオナさんが、元ご主人の吹越満さんと
「ダウンタウンなう」に出演なさった際に…

広田さんが「墓守りなんで」
吹越さんが婿養子という形で結婚されていたらしく
婚姻届を書かれる時に、吹越さんが「広田、広田になる時、それは今♪」と浮かれていらした話が登場(笑)

坂上忍さんも「HERO、HEROになる時…って(笑)」と
小声で口ずさんでおられました(笑)

それはさておき…この記事の左隅にある
「カラオケ・ワンポイント・アドバイス」に
「この曲はサビから入るので
バックのサウンドに負けないように
歌がまず飛び込んでこないとダメだからね」と甲斐さん

いたって真面目にお答えになってますけど(笑)
CM用の【HERO】は、正にこのサビが「コピー」になっていたため
ボーカルが前に出るようにミックスされていたんですよね?(笑)

余談ですが…小林よしのりさん初の袋とじ漫画
好奇心に負けて(笑)開いて読んでみた奥さん(笑)

心理学的にかなり興味深かったらしく
男性は、幼少期から思春期にかけて
母親から充分な愛情を感じられなかったり
父親(もしくは自分以外の男性)を優先した(していると感じた)りすると
潜在的に女性に憎悪を抱くようになり
派手な女性関係で報復する方もおられるんだとか…(汗)

ボクは「いきものたちのナンパがすげえ」のページに載っていた
「サバンナモンキー」に爆笑(笑)
「カルテット」で家守さんと有朱ちゃんが探していたのは
このお猿さんだったんじゃないかと…(笑)
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FM沖縄 サマーSPその2

2017-08-22 11:15:00 | メディア
さて、コラボ企画後半は「甲斐よしひろのジャーニー・ギター」
一応?番組MCは甲斐さんに交代したようだけど
今度は宮城さつきさん?が「ゲスト」という訳でもなく…(笑)

先週の続きなのかどうか?
いきなり「ムダなこと沢山しといた方が良い
ムダな人(苦笑)と沢山話して、ムダなことに目を向けてると
ものすごい返って来ます!」と甲斐さん

「意外と道に迷うことありますよ
(若い頃に)バンバン行き倒した後に
白と黒の後のグレーの谷間に落ち込むっていう(笑)
30代後半、中間管理職的な(立場になると)白黒つけられなくなるから」

…と話されてましたが、30周年についてのインタビューでも
「20代はイヤになったらいつでも辞めようと思ってたんです
でも、そう思ってるから続けられたんですよ

だって、人間関係を上手くまとめようとか思ったこと、1回もないから…
20代からそういうガツンガツンやって来てるから
今となっては、その角を丸くすることも出来るじゃない

クリエイティブな感性で本当に正直に生きて行こうと思ったら
それは所詮ぶつかるのよ
だって、上の大人たちはビジネスをやろうとしてる訳だし
こっちは、そうさせるものかって思ってる訳だから、それはぶつかりますよ

(仕事に対する)面白味はずっと変化しながら見つけてるし
これからも見つけ続けて行くと思うし
結局、ここ10年くらいは形を変えながらも
面白味が更に深くなってるってことなんじゃないですかね
でも、キャリアを積むっていうのは、そういうことなんじゃないかな

世間の図式でいう中間管理職くらいの辺りにいる時が
一番キツかったりするじゃないですか
俺、30代の中盤がすごいキツかったもん
ナンか30代中盤って、周りから叩かれる図式があるんですよ

20代は矢面で叩かれるんだけど
30代中盤になると、ちょっとディープなところで叩かれるんですよ
だから、ボディブローみたいに効くんです
その辺って、何となく仕事に飽きる雰囲気も出て来るしね」とおっしゃってます

甲斐さんの30代中盤といえば
甲斐バンドが解散した後の第一次ソロ期から
KAIFIVE結成の辺りかなあと資料を漁っていたら…

「甲斐バンドを12年やって、86年に解散して
ソロになってからは、1回切ったからね
それまでのものを1回切って、過去の曲を全くやらなかったからね

だから、ソロになって最初の武道館の時、大ブーイングの嵐でさあ
で、俺、途中で涙ぐんじゃったんだよね
でも、ブーイングの中でも確信はあったしね
だって、今やってることが一番面白い訳ですよ

だからね、ああ、なるほどな
やっぱり判らないんだなっていう怒りと諦めと
しかし確信とが三つどもえで渦巻いてましたけど、動揺はなかったですね

博多から東京に出て来て、最初『ジァンジァン』の100人とか
共立講堂の1000人とか、そういうとこから始めて
武道館のレベルまで押し上げたんだけど
でも、一旦そこから降りたんだというのがある訳ですよ

ところが、降りさせない観客がやはり何万人もいる
でも、そこでキチッと道をつける作業をやらないと
なかなか正しい30代、40代を迎えられないんじゃないかって感じが、すごくしたんです」と振り返られ

(KAIFIVE結成後に参加された)「福岡ドームの柿落としライブの時
その瞬間、その場所とかで、一緒にいる人たちに
多少の気配りが出来る余裕みたいなものが生まれて来たってのもあるし

ソロの時の解体と実験の日々が
やはりすごく糧になってるんですよね
そうじゃないと、この30代後半
雨が降った後、カラッと晴れるっていうんじゃなくて
轍も多少残って…みたいな感じになってたかも知れないぞって思うんですよ」

…と話されていて、甲斐さんご自身がやりたいことや
やらなければならなかったことと、求められているもののギャップに
苛立たれたり、落胆されたりしつつも
間違ってはいないと信じておられた時期が「キツかった」のかなあと…

それはさておき…「泥水(清濁?)合わせ飲むトコないと
男は特にダメなんですよ」と甲斐さん

「苦労なんて、ホントはしたくない
何が苦労か、教えてくれないし、人によって違うから
いつの間にか忍び寄って来て、ワァーッと…(笑)

苦労は早く済ました方が良い
かわしちゃダメ!かわし技を覚えるとツケがたまっていくだけだから」
…と、おっしゃってるのを聴いて

「ほどほどに生きて行く人生、ツケが回らないように逃げまわる人生
前に進んで進んで叩かれる人生…3つともツケは回るんだよ

一番タチが悪いのは、ほどほどに生きて行く人生
死んで行く時に、喜びも苦しみも痛みも
分かち合う思いも何も残ってないよ」という
20代の甲斐さんの言葉を思い出したと奥さん

ここで、ディランⅡの【プカプカ】が流れ
甲斐さんは、クラフトビールをご注文になり(笑)
すごく面白いのは、自分の番組の着地点をポンと見出だせるのは
自分が見えてるってことなんだよね

男と女、同性同士の付き合いの中で、自分がどういう人間かが判る
特に同性同士の付き合いが大事で、それが恋愛にも生きて来る
…といった内容のことを話されるや
奥さんいわく…甲斐さん、今、恋してる?(笑)

「何かあると逃げる奴は恋愛も上手く行かない
ナンで友達いないの!?って人いるよね(笑)ビックリするわ(笑)
溢れるくらいいるのも信用できないけど(笑)
絞れよ!(笑)好みがないってことだよね?
そういう奴はホントに(は)好かれてない(笑)

…今日、厳しいこと言ってますね(笑)」との言葉通り
奥さんには、かつて甲斐さんが
サンストで話されていたことを彷彿させる内容で
思わず「正座して聴かなきゃ!」という気分になったみたいです(笑)

ともあれ…「これからやりたいこと」を訊ねられ
「ツアーが始まるんで、その準備を全部やらないと…
どういうセットで行くか…今回、セットリストは決まってるけど(笑)

(東京に)帰って、その話が始まるんですよ
どういうセットを組むか…かなり大がかりになると思います」と甲斐さん
でも、たぶん?宮城さんは、違う意味で質問なさったんじゃないかと…(笑)

「上手く『ジャーニー・ギター』が繋がると、折々で(沖縄に)来られる(笑)」し
番組で訪ねられる場所や召し上がるものも「次々と実現してる」上に

ご存知なかったことも「教えて貰いながら楽しむ」という感じで
まさに、趣味と実益を兼ねた(笑)番組みたいですが

「ステージにいる人が楽しんでるライブは楽しい」という奥さんの説に従えば
まず、甲斐さんが楽しんでおられる「旅」は
リスナーにとっても楽しいですよね♪

ラストは、甲斐バンドの【最後の夜汽車】が流れたんだけど
この日も「ジミー大西の『Jimmy』っていうドラマがありまして
明石家さんま監修の…
そのエンディング・テーマをMISIAが歌ってる…これ、ナンと僕の曲で

さんちゃんが20代の時、駆け落ちしてて、東京に…
その頃、引きこもりのように聴いてたその曲を
彼が、何かあると口にしたり、歌ったりしてるのを
MISIAが観てカバーしてくれたんです」と説明なさって

更に「Best of Rock Set かりそめのスウィング」と同じ日に
MISIAさんがアルバムをリリースされたことにも触れられ
「どっちもトリを飾ってる」とおっしゃってました

奥さんの思い入れのせいばかりじゃなく
さんまさんが、この曲をホントにお好きなこと
その気持ちを汲まれたMISIAさんがカバーして下さったことを
とても嬉しく思っておられるのかなあと…?
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