ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.6)その1

2016-09-20 16:01:00 | 日記
1982年5月号からまた再開します♪
以前に「フライング」でご紹介した
甲斐バンドBEATNIKツアーの日程表と「良い席の購入方法」が出てる号です(笑)

甲斐さんが堪えがたきを堪えられた「結婚会見」のおかげで
「6月からツアーに出る!」ことになったようだけど

年末の武道館での「休業宣言」以来
甲斐バンドは「約2ヶ月の完全休養」
その後「甲斐よしひろの自宅にある地下スタジオでの
念入りな打ち合せを経て、デモテープの制作」が始まり

3月から「場所を都内のスタジオに変えて
松藤英男、大森信和を始めとするレコーディング・メンバーが全員揃って
ニューシングル【無法者の愛/観覧車'82】の最終リハーサルに入った」

その際「甲斐バンドのメンバーには
2ヶ月というブランクは感じられない」…と記されてますが

前月号の最後に「松藤英男 in another day」とのタイトルで
休養中の松藤さんのとある1日に密着したレポがあり

それによると…「ツアー中から1日平均5時間の睡眠時間は変わらない
肉体、精神、共に疲れは取れて、緊張感は失わない
ベスト・コンディションの睡眠時間だ

どんなに前夜遅くても、朝10時前後には起床
朝食を摂りながら、新聞に目を通し、週刊誌を買いに街へ出る」

「ツアー最終日から、丸2ヶ月
東の街から西の街へ、移動する日常に慣れきった身体と精神は

[家にいる、1ヶ所に留まっている]ことのみで
情報に枯渇した気分に陥る
ツアー中より更に週刊誌をよく買うようになった」

「その週刊誌を携えて、午後1時、自室へ…
ニール・ヤングの[ゴールド・ラッシュ]に針を落とす

この2ヶ月、レコードは手当たり次第に聴いた
傾向もジャンルも欧米も、何も問わずに聴きまくった
特に、ニール・ヤングとゴドレー&クレームは
デビュー盤から新作まで、繰り返し、繰り返し聴いた」

「何と言ってもポピュラー・ベスト10で育った人だから」と松藤さん
「良いと思ったものは何でもいい
手当たり次第に聴くことで、その再確認が取れた

スピード感のあるリズミックなものが好きだけど
それ以前にメロディが良くなければ…という大前提があって
両方をプラスしたような曲を探して聴いていた」と話されてます

「午後3時[池中玄太80キロ]を見るために自室を出る(笑)
この脚本を書いている松木ひろしの大ファンだ
ついでに娘を背中に乗せて、腕立て伏せ100回」

松藤さんいわく…ドラムを叩いてるから、腕はそう辛くない
まず辛くなるのが胸、それに耐えて続けると
胸に筋肉がついて来るのが判る
目に見えて筋肉になって行く

「午後4時過ぎ、酒を片手に再び自室へ…作りかけの曲をいじってみる
完成した曲は、まだほんの少ししかない」のは

「イントロはこう、エンディングはこうと、手口を知って作るのはイヤだ
[この曲は人を騙す]と思うところが僅かでもあれば、やり直す

だから、まだ自分の理想には遠い
あえて1曲、ひとつの作品という形にしない
これだと思える曲を作りたい」からみたいです

「午後11時、今日のニュース、プロ野球ニュース、明日の朝刊を見に居間へ
4時から今まで、自室を出たのは夕食とトイレだけだった

おもむろに腿上げをやり始めた
腿を高く踏み上げ、バテるまでやる
背中も胸もトレパンも、ぐっしょり汗ばんでいる」

松藤さんは「もうすぐレコーディングが始まる
それに備えて、まず体力作り

初めての2ヶ月のオフで、とにかく不安だったのは体力がなくなること
タイコを叩くためにはまず体力
後は、ノリ方さえ忘れないようにしていれば、すんなり戻れる

ステージをやっていないと
どうしても足踏みしているような気がしてしまう
その気持ちを高揚させる、それがオフの重要なポイントかも知れない」

…と、おっしゃってますが
それまで年間100本、単純計算で3日に1回のステージをこなされて
その合間を縫ってレコーディングもなさっていたのが

突然、2ヶ月間も「完全オフ」になったら
身体のリズムがおかしくなっても不思議じゃないですよね

奥さんにとってのツアーは「非日常」だけど
その「非日常」が当たり前の「暮らし」でいらした訳ですし…

ともあれ、その「とある1日」の続きには
「THIEF」と「ルード・ボーイ」のビデオをご覧になって

「午前3時、再度自室へ…
読みかけだった小林信彦の[定本日本の喜劇人]を一気に読み終える…午前5時」と書かれてますが

「ミュージシャン」の方の「日常生活」って
やっぱり「お父さんの休日(笑)」とは違って
常に心と身体を鍛えておられるんだなあと…

で、レコーディングの話に戻りますと
ニューシングルは2曲とも「譜面になっていて
アレンジャーである椎名和夫氏も参加
何度も話し合いを重ねては、音を出しながら
サウンドが完全にかたまるまで打合せは続く」

そして「リズム録りが始まり、次第に熱気を帯びて来た
途中、アレンジの変更があり
夜を撤してのミーティングが行われたりもしたが
総じて順調なペースで進行した

リズム録りが終わると、いよいよ集中力と独創性が要求される
きついスタジオワークが始まった

それから約20日間に渡って、ほとんど連日
午後3時頃から、明け方の4時、5時まで作業が繰り返され

3月26日、A・B面のマスタリングとカッティングを最後に
ニューシングルのレコーディングは終了した

なお、甲斐バンドのメンバーは引き続き
アルバムのための作業に入っている
このレコーディングは、ツアーの合間を縫って夏まで続けられる」

…と記されてあり、本来ならレコーディングだけに集中なさるはずが
「2ヶ月間のオフ」を除くと、結果的に
従来通りのスタイルになってしまったくらい
あの「会見」は、大きな出来事だったんですね
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最近の我が家

2016-09-19 08:10:00 | 日記
一昨日の奥さんは、何かと色々あったみたいですが
まずは、甲斐さんと押尾さんのツアーのチケットが、10公演まとめて届き
せっせと開封しては一喜一憂(笑)

まあ、奥さんにしては「イイ感じ(笑)」らしく
10列台は2ヶ所、残りは一桁列だし
その内、ルンルン嬉しい小躍り席(笑)3回、欣喜雀躍のサンバ席(笑)3回

…と、過去の甲斐タローツアーに比べれば、かなり甲斐さんが近いようだ
もっとも「センター」ばかりじゃないので
「動かない甲斐さん」ヤダなあと…(笑)

ともあれ、今回も「交渉」の甲斐あって
ナンとか休みを確保できそうとのことで
すでにその「しわ寄せ」の波が押し寄せて来つつある中(苦笑)
アシとマクラの手配に追われてるんだけど

博多は、某有名ミュージシャンのライブとカチ合ってるらしいと
野音の打ち上げの時に甲斐友さんに聴いて
どうせお高いトコに泊まるなら
甲斐さんと「ひとつ屋根の下」にしようか?(笑)などと笑っていたら

そのお高いトコも満室だったみたいで(汗)ネットで探しまくった結果
予算の1.5倍ながら、会場近くで良いホテルが見つかったんだとか…

そうそう!今回、奥さんは「スマホ」に代えて初めてのツアーなんですが
ガラケーで手配するより、サクサク快適と喜んでいたら

仙台への往復に新幹線をネット予約する際
往路は、開演時間にさえ間に合えば良いからと、復路を先に押さえて
画面の「帰りの予約をする」をポチッとな(笑)

もうかなり指定席が埋まって来ていて
「やっぱり週末は混むのかな?」と思いつつ
こちらもポチッとしてヤレヤレ…

が、その翌日、JR東日本から
「ご予約の乗車券のお受け取りがございませんでしたので…」とのメールが…?

「えっ!?」と思って予約画面を確認すると
往路の乗車券は、予約当日の列車になっていたらしく(汗)
クレジットカード決済完了…(汗)
慌てて往路を予約し直したとさ(苦笑)

こんなことなら「他の予約をする」を選択すれば良かった…と奥さん
スマホ画面でPCサイトを拡大しながらの作業は要注意ですね

余談ですが…ボクは先月、久しぶりに故郷へ帰ったんだけど
お盆過ぎでないと飛行機のチケットが取れず
「お墓のこと」の話し合いには間に合わず(汗)

帰省していた同級生達にも、かけ違って会うことが出来ず
地元の夏祭りも終わってしまった後で、みんながしんみりしている時期
しかも、トリプル台風の影響で天気は最悪(汗)

急なチケット確保だったので、まとまった休みが取れず
午前中だけ仕事して、夕方の便に飛び乗り
翌日の昼過ぎにまた飛行機に乗るという慌ただしさ(苦笑)

それでも、地元に残っている親友に会えたし、やっぱり田舎はイイもんです
考えてみれば、ボクの出張以外で奥さんが留守番するなんて
結婚以来初めてかも知れない…
まあ、来月からはいつも通り(笑)ボクが留守番ですが…(笑)

それはさておき…このうっかりミスに懲りたのか?
奥さんが、前々から観たいと言っていた
C.イーストウッド監督の「ハドソン川の奇跡」は
3日前から受付開始の「ネット予約」を止めて(笑)
映画館で前売り券を買うことにしたようだ

今週末に公開とあって、テレビでもよくCMが流れてますが
7年前に起こったこの事故は、当時もマスコミを賑わせましたよね

「バードストライク」自体は珍しくないとはいえ
日本のトビやタカと、北米のガンやコブハクチョウの大きさの違いに驚き
「機長の判断」で、乗客乗員全員が助かったことに拍手したものです

…が、この映画では、国民的英雄として称賛された
「機長のその後」が描かれているらしい

甲斐さんが「よく出来てる」のに「オスカーが取れない」と話されていた
前作「アメリカン・スナイパー」も
「イラク戦争で活躍した伝説の狙撃手」が
「PTSD」を病んで、人として壊れて行く様子を描いたものだったし

今回も「わずか208秒」で、究極の決断を下し
機内の方だけではなく、ハドソン川に架かる橋や走行中の船にも
被害を与えなかったサレンバーガー機長が

「前代未聞の決断」であるが故に厳しく糾弾され
追いつめられていたという事実に着目したものなんだとか…

イーストウッド監督は「いちいち説明しない人」で
「私が何を伝えたいか?その答えは映画を観て頂ければ、きっと分かります」
…と、コメントなさっているそうですが

甲斐さんも「言いたいことは全て曲の中で言ってる」とか
「聴いた人が好きなように判断してくれればいい」とおっしゃってますよね

某映画評論家の方によると…
「彼は凄く撮影が早い監督として有名です
現場でいきなり本番を撮って、やり直しをしない
多分、2時間ほどの映画なら、3時間分くらいしか撮ってないはず(笑)

にも関わらず、何故あれだけ複雑な構成に仕上げることが出来るのか?
それはもう、長い経験で培ったカンとしか言い様がない」みたいです

本来なら「規程の速度で最寄りの空港に向かう」べきところ
機長が「ハドソン川への着水」を選択したのは
離陸直後のバードストライクだったために
高度が低くて着陸までの時間が稼げなかったことや

ラガーディア空港に引き返す途中に墜落した場合、NYの住宅街に
機体が突っ込んでしまう恐れがあったこと等が挙げられてるんだけど

その判断もさることながら、着水の角度も規程の角度ではなく
着水時の衝撃による機体分解や火災を避けるため
長年の経験によって機長自身が決めたんじゃないか?とおっしゃる方も…

155人の命を救った英雄が、航空専門家でもない人達に非難され
過失責任を問われ、数百万ドルの飛行機の保険金を請求されるという不条理
奥さんじゃなくても観たくなりますね

すっかり映画案内みたいになってしまいましたが(苦笑)
もう一つ「ついに、こち亀終了!」について…

奥さんによると…朝から駅の売店で「少年ジャンプ」を購入する方が多く
電車待ちの間、ホームではスマホやスポ紙ではなく
ジャンプを読んでおられる方が目立っていたらしい

もちろん我が家も、その42号を買って来ました♪
秋本治さんが「両さんはお祭り好き」とおっしゃってたけど
マガジン自体がお祭り騒ぎで(笑)

「200体(の両さん)集合ポスター(裏面は大原部長の大説教ポスター)」と
ジャンプに連載中の全作家陣による
「両さん熱筆書き下ろし」が巻頭を飾り

現在、日本橋で開催中の「こち亀展」やら
発売中の「こち亀ジャンプ」…銃とバラの花束を手にした
「ゴルゴ」両さん(笑)の表紙には
「40年磨かれた男の色気」とのコピーが…(笑)の案内やら

40話1,000分に及ぶ「DVDボックス」の収録話のファン投票告知
昨日、テレビ放送された「こち亀ザ・ファイナル」や
1日1話が無料で読める「こち亀アプリ」の紹介
…って、2000話を365日で割ると?(笑)

ちなみに、記念すべき第1話「始末書の両さんの巻」は
この号にオールカラーで掲載されてます

他にも、赤塚不二夫さんの「おそ松さん」、朝井リョウさんの「チア男子!!」
東川篤哉さんの「謎解きはディナーの後で」等とのコラボ本が発売され
…「謎解きは葛飾区亀有公園の前で(笑)」の表紙には
本家そっくりの構図に両さんの姿が描かれていて爆笑(笑)

…といった具合で「涙なんか似合わない‼
感謝は笑いでお返しだ‼」に相応しく
まるで「真夏の夜の花火のように」(笑)華々しいラストでした♪

もちろん本編も「復活キャラ・ベスト10」をメインに
(30周年の使い回し(笑)らしいけど
今回は読者投票ナシなんだとか…)

両さんの口から「編集長が9人、担当者が13人代わった」ことや
「こち亀ジャンプ」に掲載された「日暮」の読み切りは、ページ数の関係で
「コミックスの200巻には収録出来なかった」ことが語られていたり

その読み切りが「仕事の合間に入って
更に、コミックスの締切が予想以上に早くて、夏休みなくなるし(苦笑)
原稿のストックが全部なくなり、ギリギリ状態」でいらしたことや

「こういう時だけ[最近、読んでないけど好きだった]とか
[もっと続いて欲しかった]とか言いやがって…嬉しいけど」と
同時発売の「オチが違ってる」コミックスも買ってくれ」とのお言葉も…(笑)

秋本さんご自身の「ご挨拶]には
「あの不真面目で、いい加減な両さんが、40年間休まずに勤務したので
この辺で有給休暇を与え、休ませてあげようと思います」と記されてましたが

「両さんに言いたいことを言わせてたから
ストレスはたまらない(笑)」とはいえ、一度の休載もなく

しかも「漫画家って、締切を守らないイメージがあるじゃないですか(笑)
だから、僕はもう最初から締切は絶対守ろうと思ってました
自分への戒めでもあったんです」とおっしゃっていて
担当者の方もずいぶん助かっておられたんじゃないかと…?

この冬からは、また新たな漫画を4本、各誌に描かれるそうですし
また、何かの折りに「両さん」の登場もありそうな気配(笑)
秋本さんもまだまだ「止められない」方みたいですね(笑)
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隠れファン?その3

2016-09-18 09:40:31 | 日記
甲斐さんは「糖質制限ダイエット」を試される前には
ツアー前のウエイト・コントロールとして「蕎麦ダイエット」をなさってたり

座右の銘が「一日一麺(笑)」だとか(笑)
「行きつけの寿司屋と蕎麦屋くらい持ってないとダメ」とおっしゃるほど
蕎麦好きでいらっしゃいますが

かつて、サンストで流しておられた
中島みゆきさんの【蕎麦屋】は
「自分は要らないような気がして…」
と、思っていらした頃の浦沢さんが選ばれた曲です
(もっとも、斉藤和義さんのカバーの方でしたけど)

「友達と一緒に蕎麦を食べていて
その友達に[わかんない奴もいるからさ]と言われて
泣きながら蕎麦を食うっていう曲…
中島みゆきさんが、まあ〜見事な短い歌詞で表現してる」と浦沢さん

ご自身のルーツである手塚治虫さんの「鉄腕アトム」のリメイクを描かれた際に
熱烈な手塚ファンの方のバッシングや
「ヘタなものは描けない」というプレッシャーから
ストレス由来の蕁麻疹が全身に表れたり

「20世紀少年」の連載も重なり、月6本の締切を抱えられ
1日10時間以上も机に向かうという
「人の生活じゃなくなる」生活を20年続けて来られた結果

「身体がガチガチに固まるんです
上半身に強烈な激痛が走って、この先もう描けないかも知れない」ほど悪化し
「20世紀少年」を未完のまま終了なさったことに、またバッシングが…(汗)

そんな時期に聴かれたこの曲に
「創作者みんなが抱えている痛み」を感じられたんだとか…
甲斐さんがこの曲を聴いておられたのも、そんな時期だったんでしょうか?

一方、小室さんは高校時代に
グランド・ファンク・レイルロードの【アメリカン・バンド】を聴かれて

それまでブルース色が強かったバンドが
ポップに変わったことに興味を持たれ
「プロデューサーによって、こんなに変わるんだ!」と驚かれたそうで

このことが、後のセルフ・プロデュースに始まり
「1年間の締切が90曲」という「時代の寵児」の誕生に繋がる訳ですが

甲斐さんが小室さんとコラボされていた頃も
「東京だと彼の周りには常時100人くらいのスタッフがいて
ゆっくりと話す時間が取れないから」と

ミーティングのために「上海、香港、ロス、グアム
…世界各地で会いました」と話されていたし

小室さんご自身も「当時は、スタジオにベッドを持ち込んで
一晩に4つのスタジオで1曲ずつ
毎日、4曲を仕上げていた」とおっしゃってました(汗)

「人の生活じゃない」日々を送られている中で
「時代は新しい音楽を求めている」と感じておられ

今までとは違う新しい曲を作られても
「過去のヒット曲のイメージ」に縛られた関係者の方からダメ出し(汗)
「冒険は許されない
僕が僕のマネをしなくちゃいけなくなって、すごく冷めて行く」と小室さん

そんな時に宇多田ヒカルさんの【automatic】を聴かれ
「これ、売れるだろうな…という恐怖感」と共に
ご自身も判っていらしたのに出来なかったことを
「自由にやれてて良いな」という思いが混じり合い

その後、多くの「歌姫」が登場したり
「モー娘。」を始めとするアイドル・ユニットが市場を席巻する中
「自分が古い方に立ってる」ことに気づかれたんだとか…

それでも、奥様の入院されている病院の一室を貸して頂いて
曲を作り続けていらっしゃる内に

「初めて買ったCDが僕の曲だったとか
受験勉強の励みになりたいましたとか
つらかった時期を乗り越えられましたと、言ってくれる人が増えて来て

今になって、人の人生に関わっちゃってるんだって…
でも、やっといて良かったね」と選ばれたのが【WOW WAR TONIGHT】
甲斐さんが「グッと来た」曲ですね

浦沢さんは、大ファンでいらした吉田拓郎さんが
「もう僕は【ファイト!】みたいな曲が書けないから」と
中島みゆきさんに依頼なさったという
【永遠の嘘をついてくれ】について

「あなたは私のヒーローなんだから
ずっとヒーローのままでいてくれ
最後まで突っ張って、本性あらわさずに生きて行きなさいよ
嘘をつき続けて下さいって、拓郎さんに歌ってる」と話されると

小室さんが、27歳で亡くなったミュージシャン
…ジミ・ヘン、ジョプリン、ジム・モリソンなど…は

「美しい時期に消えると、それだけで嘘の塊になる
それには、もう敵わないんだけど、ボロが出ながらも
やり続けてることの方が、美学になってきつつある」とおっしゃると

浦沢さんも「好きなことを始めて、好きなことが生業になって
みんなが受け入れてくれる状況になったら
やり続けて行くしかねぇのかなって思いますよね」と…

奥さんが、浦沢さんのファンになるのは、これまでの話だけで充分みたい
もちろん、甲斐さんという「フィルター」を通して(笑)…だけど

「人生の最後に聴きたい曲」に
ユリアーナ・シャノーの【もう一度 教えてほしい】を挙げられた浦沢さん
映画「ガメラ3」のテーマ曲と知って
奥さんの魂のゴングが鳴りました(笑)

「天空を埋め尽くすくらいのギャオスに囲まれて
これは勝ち目がないぞって(状況で)
ガメラが[じゃ、行って来るね♪]って感じで(立ち向かって行く)

To be continue というか、Life gose on というかね」と話されると
「そう!そう!」とうるうる…(苦笑)

「働くことも働けることも素晴らしい
[頑張ったね]って、最後に言われたら、こんな嬉しいことはないです」と…

ちなみに、浦沢さんは1月2日生まれの山羊座でいらっしゃいますが
血液型は「お茶目なB型」らしいです(笑)

余談ですが…小室さんは、大阪万博で
浦沢さんは、アニメ「ジャングル大帝」で
電子音楽の第一人者・冨田勲さんの音楽に触れられたみたいだけど

甲斐さんは、いわゆる「コンピューターもの」について
かつてサンスト時代に、流行だからって飛びつくのはファッションだと話され

「ファッションに行くと、一時期はカッコよくて
スピード感があるように見えるけど、保つのは半年だぜ

一人のミュージシャンの中に、ファッションと歌のクオリティが
同時にある、というのが最高で
ファッションが歌を追い抜いちゃったら、危険なんだよね

機械ペキペキみたいなのが前に出て来て
声の体温を打ち消しちゃうのは、もはや古いからね
ホントは芯のある音、エモーショナルな豊かさが
バッと前面に出てれば良いんだ

それは機械を使おうが、憂歌団みたいにシンプルな音作りをしようが
薬師丸ひろ子みたいにキレイなシンセを使おうが、良いわけ

スティングのソロ、聴いても判るぞ
一見、冷たく聴こえるだろうけど
実はアレは、ルーム・エコーを使ったあったかい音なんだ

日本では、この辺を勘違いしてる感じがある
うわべにダマされんなよ
聴くべき本質は、チャンと押さえとかなきゃあ
やっぱり最終的に残るのは、豊かな感性と豊かな声、豊かな音だからさ」

…と、話されてますが
NYに行かれたのも「日本にはないエコー」を求められたからだそうだし

「プロデューサーとしてもアーティストとしても
とにかく豊かな音にしか興味がない」とおっしゃる甲斐さん
NYボックスは「あったかい音」が詰まっているんですね♪

ちなみに、小室さんは「トミタフルート」と呼ばれる
ヨーロッパのシンセの音色は「口笛のような、声のような
鼻歌のような、とても[人間]に近い音
あの音色が、冨田先生の[代表作]なんじゃないかな」と話されてます
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隠れファン?その2

2016-09-17 07:26:22 | 日記
甲斐バンド初の日比谷野音ライブの時に
甲斐さんが「海の向こうでストーンズもライブをやってるから」と歌われた

ストーンズの【ホンキートンク・ウィメン】は
浦沢さんが「音楽への道」を諦めた原因になった曲みたいです(苦笑)

大学の軽音楽部の1年上に、後のストリート・スライダーズの
ハリーさんやジェームスさんがおられ
この曲をカバーなさったのをお聴きになって

「うわ〜っ!これ本物じゃん!」と浦沢さん
「僕らのバンドに、このポテンシャルがあるか?
彼ら以上にカッコいい音楽は作れない」と思われ、バンドは解散…

ちなみに…浦沢さんが部室の近くでギターを弾いておられた時に
ハリーさんから「良いボーカルがいないんだよね」と
話しかけられたことがおありだったらしく

浦沢さんは「誘われてるのか?」と思われたようですが(笑)
その後しばらく経って「ボーカリストを探してたんだけど
良いギタリストが見つかったから、ボーカルは俺がやるわ」との報告が…(笑)

そのギタリスト・土屋公平さんは、ご自身の音楽ルーツについて…
「昭和40年代、卓袱台しかないお茶の間で
小学校の同級生のお兄ちゃんとドーナツ盤を聴いた

[クリーム]の音が出て来た時の衝撃
世界はトンでもないことになってると思った
昭和の畳の茶の間の景色と、そこに流れて来た
サイケデリックな音のギャップ…忘れないよ」

確かに、サザエさん家のお茶の間に
[クリーム]が流れてるって違和感ハンパないです(笑)

「あの時代に、ああいう形で音楽を聴いた経験が永遠に残ってる
あの頃のサウンドが、ずっと消えずに残ってる
この感覚は(同世代の)僕らにしか判らない
だから、俺たちはギターを置かない」とおっしゃってます…くぅ〜っ!(笑)

それはさておき…その【ホンキートンク…】体験後、浦沢さんは
「彼らの音楽のように、明らかに突き抜けたものを何か持っているか?」と
自問なさったら「やっぱり漫画」だったそうだけど

漫画家になろうというのではなく
「大学卒業までに一本完成させて、就職しよう」と考えられたらしい

実際、すでに内定を貰っておられたのに
小学館でたまたま見せた(卒業記念の)漫画「Return」が
新人賞を獲得して「どうしよう」と…(笑)

そもそも、プロになろうとなさらなかったのは
「自分の好きなものは売れないだろう」と考えていらしたからみたいで
思わぬ形でデビューされたものの

「僕が面白いと思うものが売れるのは良いけど
世の中が面白いと思うだろうと思って描くのはイヤだ
商業的なものに迎合したくない」という気持ちで描いておられたんだとか…

でも、デビューの2年後に結婚なさって、奥様が家計をやりくりされ
アシスタントの方々の食事の買い物に出かけられる姿をご覧になって
「売れなきゃダメだな」と考えるようになられたという

「チャートに入るロック」を目指された甲斐さんも
「シングルは売れるために切るけど、売るためには作らない

よく[売れ線]なんて言うけど、何が売れ線なのか判らないよ
もし、魂なしに売れ線だと思って作ってコケたら
本当に自分が駄目になるよ」とおっしゃっていて

「マイ・ジェネレーション」を作られた後には
「辛辣な歌詞をチャンと言ってる、このアルバムが売れる
ホント、やって来て良かったと思うよ
今までひたむきにやって来たことが
この中に出てると思うから」と話されてます

こうした「芸術」と「セールス」の「せめぎあい」は
「好きなこと」を職業にされた方が皆さん経験なさっているんでしょうね?

ともあれ「売れるものを描かなければいけないのか?」と悩んでおられた時
担当の方から「僕たちは上品だし趣味が良い

ただ、このままやっていたら、良質のものをごく少数の人に届けて
誰にも知られずに終わって行く可能性がある
ここはひとつ、意識的に下品になろう」と言われたと浦沢さん

「性根まで下品にするんじゃなくて
下品なフリをしろって感覚が面白くて(笑)」
そうして生まれた「パイナップルARMY」は
「ベタなことは可笑しい、カッコ悪いって笑いながら描いてた」そうだし

「入口を広くしながら、でも絶対に魂は売らない」という
「哲学」のもと誕生した「YAWARA」は
「フツーの女の子になりたい」少女が、やがて柔道を極めて行くという
「昔ながらのものかな?という入口」を持ちながら

「スポ根モノ」に有りがちな「血を吐くような訓練」には無縁の
「天才少女」を主人公にすることで
「こんなの見たことない」という「常識はずれ」の物語になったんだとか…

原作もアニメも大ヒットし、華やかな成功の日々の中で
かつて浦沢少年が、強烈な衝撃を受けた
ディランの【ライク・ア・ローリング・ストーン】を聴かれて
「2度目の衝撃を受けた」と浦沢さん

中学時代に「吉田拓郎さんに憧れて
彼に近づくためには、ディランを理解することだと毎日聴いてました
何が良いのか判らなくて(笑)でも、ある夜【ライク…】を聴いていたら
稲妻が天から落ちて来るみたいに[判ったー!]って」

ただ「当時[判ったー!]と思ったけど
実は、何が判ったのか判らなかった(笑)
[ざまあねぇな、今どんな気分だ?]とか
ディランはナンであんなに罵声を浴びせてるのか?

それが[自分自身]に向けて浴びせていたんだ!って判ったんです
あの感性でやらなきゃダメだと思いましたね」と
「次も売れる漫画を描かなきゃいけないプレッシャー」から解放され
「MONSTER」をお描きになったそうです

ちなみに「MONSTER」というタイトルになさったのは
「この名前に見合う作品が作れるか?」という
ご自身への挑戦が込められている「第2のデビュー作」だと話されてました

余談ですが…甲斐さんが、アマチュア時代に作られた
【No.1のバラード】の歌詞は
【ライク・ア・ローリング・ストーン】によく似た(笑)内容だけど
やはり、ご自身への「罵声」なんでしょうか?

以前に甲斐さんは、甲斐バンド初期の曲を
「公平に弾いてくれとは言えない(笑)
【バス通り】なんてムリ!(笑)【裏切りの街角】だったら
ナンとかお願い出来るかも知れないけど…」と話され
選ばれたのが【No.1のバラード】だったんですよね?
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隠れファン?その1

2016-09-16 10:19:00 | 日記
以前に土屋公平さんがツイッターで
甲斐さんと浦沢直樹さんに挟まれて飲んでおられることを呟かれてたけど

浦沢さんの新しいアルバムについてのインタビューに
その話がチラッと出ているというので読んでみると…

浦沢さんは、音楽の話をなさる時「少年のような顔になる」と
周りの皆さんが口を揃えておっしゃってるらしく

例えば、待ち合わせをすると
「その場所の近くのレコード屋で買った戦利品を手に現れ(笑)」
その品にまつわる話をして下さる…といったエピソードの数々の一つとして

「基本的に音楽の話ばかりしてる」と公平さん
「その時は、甲斐よしひろさんもいて
僕がたまたま手に入れたウッドストックの出演者のギャラリストを出したら

しばらく黙っちゃってじっと見てたよ(笑)
ロック好きの少年のまま時間が止まってる感じだよね」と話されてるんですが
「甲斐よしひろさん」関係なくね?(笑)

ツイッターによると、甲斐さんと浦沢さんが、ウッドストック談義の後に
スライダーズの話を始められたので、お困りになったようだけど(笑)

そのことはおっしゃらなかったのか?
話されたもののカットになったのか?(苦笑)
でも、どちらにしても「名を残す」トコがスゴイ!(笑)書き手の方もね(笑)

音楽の話といえば、鈴木健太さんが昨夜遅くに
「一回り下のミュージシャンと話したら
周りのミュージシャンは
ロクに音楽を聴いてない奴ばっかりでつまらないと言ってた

そして、さっきまでレジェンドと飲んでて
また僕の知らないワクワクするような
音楽の話を色々聴かせてくれた」とツイートされてたんだけど

「レジェンド」って?(笑)と思っていたら
下北のバーで「甲斐バンドの甲斐さんが
仲間らしき人々と…」との呟きが…考え過ぎでしょうか?(笑)

ともあれ、土屋さんのツイート以来、奥さんは浦沢さんのファンになり(笑)
浦沢さんが出演される番組のチェックに余念がなく
先日の「ミュージック・ポートレイト」も興味深げに観ておりました

だって、いきなり「子供騙しが大キライ!子供ナメんなよ」と浦沢さん(笑)
ご両親が別居と同居を繰り返されていたため、お祖父様の家に引き取られ
「物音一つ立てちゃいけない感じ」で過ごされていた頃に

手塚治虫さんの「ジャングル大帝」と「鉄腕アトム」を与えられ
何度も読み返されている内に
「正義は勝つとか、勧善懲悪じゃないものが書いてある
この正体は何だろう?」と思われたそうで
正に「車輪の下」読後の奥さん状態(笑)ツカミはOK!(笑)

あっ!遅くなりましたが、浦沢さんのお相手は
府中第四中学校の1年先輩・小室哲哉さんで
今回の放送は、その母校で収録されてました

1970年の「大阪万博」についてのエピソードで
小室さんは、平日に休みを取られ(笑)
クラスメートより早く来阪なさったため
先生から、皆に話をしてくれとお願いされたのに対し

小室さんと同じように万博の「ガイドブック」を熟読なさって
行く気満々でいらした浦沢さんは
「いつ行くの?」「行かないよ」
「えっ!じゃあ夏休みどうするの?」
「いつもの通り、勝浦だよ」と…(苦笑)

夏休み明け、大勢のクラスメートが万博を訪れ
「行列ばっかで面白くなかった」と話してるのをお聞きになって
「行っただけイイじゃん」と思われた
その恨みが「20世紀少年」に込められているんだとか…(笑)

その「20世紀少年」の中に登場する、ケンヂが勝手に昼の校内放送で
Tレックスの「20th Century Boy」を流す場面は実話で

日頃、サイモン&ガーファンクルやフォークソングばかりの放送に
「ロックをかけろ!」と不満に思っておられた浦沢さんが

「騒ぎを起こして、何かを変えてやろう」となさったことみたいですが
教室に戻られても何の騒ぎにもなっていなかったらしい(笑)

前述のインタビューで、この収録の時に
「放送室へ行って、あのシーンを再現してみたら判った
教室のスピーカーは音圧がすごく低いから
あれじゃ何も伝わらないよね(笑)」とおっしゃってました(笑)

でも当時、放送部長でいらした小室さんは
曲が流れていたことに気づいておられたそうで
「誰がかけてるのか?」と不思議に思われたんだとか…(笑)

ただ、浦沢さんによると…
「小室さんは、実はチャンと覚えてなくて話すたびに言うことが変わる(笑)
せっかくの良い思い出なのに…(笑)」

そんな「うろ覚え(笑)」の記憶もあってか?
小室さんは「20世紀少年」を読まれた時に
漫画に出て来る景色やご自身の体験など
似ている点が多々おありだったみたいで
「(作者の)出身地と近いんだろうな」と思われたという(笑)

奥様のKEIKOさんに「手紙を書きなよ」と勧められ
編集部宛てに思いのたけを綴られた手紙を出されたらしい

浦沢さんは担当の方から「たぶん本物だと思うんですが…」と手渡され(笑)
返事を書かれたそうだけど

その手紙の1枚目の最後には
「ひょっとして、大事なことをご存知ないんじゃないでしょうか?」と記されていて

小室さんが「えっ、何?」と2枚目に目を通されると
そこには、同じ中学の1年後輩だということが書かれていたという(笑)

「さすがページをめくって驚かせることに
命をかける[めくりの匠](笑)」と小室さん
「連絡先を教えろ!」と編集部に電話があったと浦沢さん(笑)

お二人だけの同窓会が開かれ
同じお店で、延々7〜8時間(笑)語り合われたんだとか…(笑)
コメント
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