ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.7)その2

2016-09-29 14:33:00 | 日記
「自分も甲斐みたいになろうかね」とギターを手にされ
フォーク・グループを組まれた小林さん

「チューリップがレギュラーだった頃の[ヤング・パンチ]に出演
ウィッシュの次が小林よしのりグループという悲劇的めぐり合わせの中
ウィッシュのレベルの高さに、ただただ圧倒されて
自分にスポットライトが当たったら
歌詞を全部忘れて立ち尽くしていた

ここでフォーク・シンガーの道にザセツする
金にならん、ここは甲斐よしひろに任せておけばよいのだ
…と、ハッと我に返り、再び漫画の世界へ没頭する日々が始まった」そうです

「嵐の季節」の中の対談で
「ワシは漫画家になるために商業高校に行った
進学の勉強をしなくていいというので選んだから

そうは言いながら福岡大学に入学して…
担任の先生に[お前、漫画描くんだったら
大学に行って本を読め]って勧められたのよ」と小林さん

甲斐さんは「偉いね、その先生、その通りだもんね」とおっしゃってますが
同じ高校の同じ学年の先生ですよね?(笑)

ともあれ「大学紛争の挫折感が色濃く残っていた福大で本をムサボリ読む
ひたすら読みまくり、漫画を描き続けて、各誌に投稿
月1本のペースで入選か掲載かを繰り返し
大学時代は仕送りと賞金で食い繋いだ

卒業の年、初めてギャグ漫画を描いて[赤塚賞]に応募
最終候補まで選ばれるが[絵がヘタ]で受賞は逸する
しかし、それが[少年ジャンプ]編集長の目にとまった

その年の6月から新連載[東大一直線]が始まり
漫画家小林よしのりが誕生した」そうだけど

小林さんいわく…デビューするまで
漫画は下絵を描いてからペンを入れるということさえ知らなかった
いきなりペンを入れた原稿を肘で擦ったり…(苦笑)
それにしてもラッキーなデビューだった

…というのは「普通、著名漫画家のアシスタントを数年やって
やっとデビューか転職…が、この世界の常識
尚且つ、一度漫画家という肩書きをおし戴いたから
それでズーッとメシが食えるかというとトンデモナイ話

毎週毎週、今週のベストテン投票があって
9位10位番外あたりが10週続くと、すぐ降ろされる

しかも、他の漫画誌もベストテン投票を敢行し
それはそれは厚い新人予備層を持っているから
一度切られて浮上するのは至難の技
毎年、50人の新人がデビューしては消えて行く」んだとか…(汗)

「凄いヤクザな商売や
これじゃ芸能界かビニ本のモデルと同じや」と小林さん

「要するに多数決バンザイの精神が、ベストテン投票な訳でしょ
それを気にしながら漫画を描くなんて冗談じゃない」と思われたらしく
ここにも「好きなことを職業にした」方の悩みが…

前の対談でも甲斐さんが「僕はロック第一世代だけど
それはロックをやった世代じゃなくて、ロックを売った世代

彼も同じで、手塚治虫先生は別にして
漫画が過小評価された時代から
ある種の大衆的なものにした世代は前にいますけど

彼らはエンターテイメントとして確立させた[ジャンプ第一世代]というか
そこは凄く相通ずるものがあるんですよね

やっただけじゃダメなんだ
売らないと、というのが僕らの考え方
僕らだったらチャートに入れるとか
彼らは発行部数が100万部以上の中で、どう足掻いて描いて行くかとか

[ジャンプ]といえば、毎週人気投票が熾烈ですよね
でも、人気投票で語ったことは一度もないもんね

[どういうものを描くんだ]ってことですよ
秋本治君も同じでした
みんなそこはハッキリと言ってましたね」と話されてます

その豪華な漫画家陣との飲み会は
小林さんが打合せのために上京された際に催されていたようで
「デビューから6年、小林よしのりは
出身地である福岡で漫画を描き続けた」

「最初に声をかけてくれたジャンプの編集長が
[わざわざ東京に出て来る必要など全くない]と言ってくれて

今から考えると、いつ人気投票で落とされるか判らない新人を
東京に呼んでしまっても路頭に迷わせるだけだから…と思ったんでしょうね」とおっしゃってますが

それだけでなく「漫画界に根強くある専属制の問題があった」みたいで
「新人漫画家の9割9分までが、どこかの出版社の専属になっている

専属にならないと掲載のお声はかからない
新人予備軍の山を掻き分け、フリーで売り込む無頼漢の入る余地はないのである

すると、そこそこの専属料を与えられて
他の出版社に果敢に売り込む気力をもぎ取られ
編集者と人気投票にシッポを振る
軟弱サラリーマン的漫画家が量産されるのである

全ての専属漫画家がそうだとは言わないが
漫画家 = ハングリーな無頼漢のイメージは消失した」ようで

小林さんいわく…学校卒業したら即デビューだから
漫画家や出版界のそういったことって全然知らなかった

ただ、2〜3ヶ月に1度、東京に出て来て、漫画家を紹介されても
心底、面白い奴にめぐり会わないんですね

編集者とケンカもしきらんオジンみたいなのばっかりで
それより、福岡の映画仲間や甲斐たちと話してた方がよっぽど面白い

…という事情がおありだったそうですが
その仲間内の飲み会で、くらもち先生を泣かせちゃダメですよね(笑)

余談ですが…後の機関紙で
萩原健太さんが、漫画界に苦言を呈されていて

要約しますと「パワフルなギャグ漫画が少なくなった」
「今、少年漫画界でウケている
軟弱学園ラブコメほど閉塞的なものはない」

「二次元最強のポップカルチャーである漫画の可能性を大きく拡げた
[がきデカ]の攻撃と破壊と超越
そして、現実に対する切ない眼差しが失われようとしている」

「あのテの作品は今やほぼ絶滅状態だ
生き残っているのは小林よしのりと
あと、内崎まさとしが、まあ頑張ってるかなという程度
僕のような世代の漫画フリークにとっては、この上なく淋しい事態だ」

「軟弱に成り下がった少年漫画界に
キツーイ一発をかましてくれ」…と記されてますが
前述の「サラリーマン的漫画家」の増加がこの原因なんでしょうか?

…にしても「こまわり君」が、そんなに偉大な功績を残していたなんて
考えてもみませんでした(苦笑)
「死刑」にならなくて良かったです(笑)
コメント
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