ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.4.5)おまけ1

2016-09-01 11:30:30 | 日記
この2つの号に掲載された「甲斐よしひろインタビュー」のために
待ち合わせ場所に使われたのは
六本木の深夜映画館らしいんだけど
この映画館については、佐藤剛さんも
「シネマ・ラプソディー」という記事で触れられてます

「高校1年生の冬に結核で入院した
軽かったから、2ヶ月後に学校に戻ったが
さすがに野球部での活動は止めざるを得なかった
仕方なしにマネージャーになったのだが、大して忙しい訳ではない
一人で時間を潰すのには、映画はピッタリだった」と佐藤さん

「一気に生活の中心に映画を置くようになった
週に4回は、朝の1〜2時限だけ授業を受けて
弁当を平らげると、サッサと学校を抜け出した

金を持っていれば、そのまま映画館に直行
ロードショーなら6時限までには戻ることが出来た
2〜3本立ての時には、グラウンドの方に直接顔を出すことにしていた

金がない時は、まず10時開店のパチンコ屋に行き
現ナマを稼いでから、映画を観に行った
思うように稼げない時は、諦めて図書館での受験勉強で気をまぎらわせた

2年生の秋以降、学生運動に関連する集会やデモも加わって忙しくなった
正直なところ、全授業の3分の1以下しか教室にいなかった
辛うじて最低出席時間ギリギリで卒業させて貰った

もっとも、成績的には2年間全ての試験で赤点などという教科もあったから
学校側から卒業させられたと言えるかも知れない
全共闘運動のハネ上がりとしてマークされていたのが幸いしたと言うべきか

とにかく映画と関わりを持つためには東京へ出る必要があった
そのために最低必要な受験勉強だけはやったのだ
真っ先に映画研究会に入った
映画に一歩近づいたと思った

映画が好きだったから、単純に監督になりたいと思っていた
ところが、東京に来てまもなく
自分の好きなタイプの映画が、世間的評判や評論家の評価と
かなり違うことに気がついた

数多く観れば観るほど、マイナーな方向へ心惹かれて行った
始めはごくオーソドックスにアメリカのメジャーから入ったのに
次第にヌーベルバーグ以後のフランス映画を始めとする
ヨーロッパ映画が肌に合うことを知った

アメリカ映画でも、ハリウッド以外の独立プロ系が面白かった
ロジャー・コーマン率いるAIPの作品は、明らかに低予算で
かなりイイ加減なところも多かったが、僕とは相性が良かった

後にここから、コッポラやボグダノヴィッチが巣立ったのだから
あながち、ただのゲテモノ趣味だった訳ではないだろう

映画に関しての己の傾向を自覚すると同時に
監督というある種の[力]を必要とする職種が
自分には向いてないのではないかと不安になった
撮影所へ行ったりして現場を知ってからは、半分はもう諦めていた

そうこうする内に批評家等斎藤竜鳳という存在に影響された
もっともらしい解説や分析をする評論家たちと
全く異質の独特な語り口、政治的アジテーション
そして、映画に対する眼差しを支持したかった
彼のような批評こそ、自分が目指すものかも知れないと考えた

どうにかしなければと思い
しかし、具体的には何をしたらいいのか
さっぱり判らないままに映画館に足を運んでいた
同じ頃、竜鳳さんも文章を書けなくなっていた
政治の季節も終わっていた
71年春、竜鳳さんが死んだ
漠然と批評家になろうという僕の夢も、いつしか萎んで行った

日活ニュー・アクションを同時代人として観ることが出来たのは
僕の手に入れることの出来た大きな幸運だ
同じ作品を何度でも繰り返して観た
その度に面白くて、切実で、爽快で、そして哀しかった

崩壊目前の日活作品をほとんど全て見届けた、いつもガラガラの映画館で…
ロマン・ポルノに変わった日活に足を向けるのは
宝物を汚すような気がして躊躇われた
僕の映画狂いは終わった

最も愛すべき[野良猫ロック]シリーズの中でも
特に好きだった[セックス・ハンター]の中で
素晴らしい歌とも出会った
歌っていたのは、太田とも子
…ニュー・アクションの花、梶芽衣子の妹だった

投げやりで気だるい歌い方は絶品で
本物の倦怠感と絶望が、イヤというほど漂っていた
作詞者ちあき哲也は、その頃から少しずつヒットを生み出していたが
風変わりな名前の作曲者は無名だった

これほどのメロディを書ける才能が
世に出ないはずがないと思い続けた
ある日、その無名の男がロック・グループを結成していることを知った
グループ名をダウン・タウン・ブギウギ・バンドと言った

音楽業界に入った時、23歳になっていた
漠然とした夢を少しばかり突き詰めたら、そうなった
そうして今、33歳。今も映画は好きだ

ところが、時間がない
とにかく忙しくて、映画館に行くヒマを作ることが出来ない
東京には六本木を始め、僅かだが
夜更けから映画を観ることの出来る劇場が出来た

しかし、そこで上映される作品はハイブロウ過ぎて
口に、イヤ目に合わないのだ
ビデオのおかげで、いくらかは救われているが
あくまで代用品にしかならない
どうしたって、ある程度はメジャーな作品しかソフト化されないから
ストレスは溜まる

つい先日、やっと時間を作って、半年ぶりに映画館へ足を運んだ
その日は土曜オールナイト
ここ2年ほど、かなり注目されている滝田洋二郎という
若い監督の3本立てに行ったのだ

監督の将来に期待を抱きつつ、だるい体を擦って外に出た
500円。帰りのタクシー代3,300円。マイナー好みはつらい」と結ばれてます

「ミュージシャンにコンプレックスが全くない音楽関係者」のルーツを知って
フランス映画、全共闘、映画業界への憧れ
日活ニュー・アクションに梶芽衣子さんの妹さん
深夜の映画館の座席に身を沈めて、スクリーンを見上げる時間…等々

「ポップコーン」やら「ダイナマイト」やら「キル・ビル」やら(笑)
「輝ける闇」なんて言葉が思い浮かんでしまいました(笑)

ストーンズだけでなく、甲斐さんとお話が弾まない訳がないですね(笑)
そういえば、佐藤さんは、若き日の甲斐さん憧れのゴールデン街に
初めて連れて行って下さった方だったなあと…(笑)

余談ですが…太田とも子さんの【遠く群衆をはなれて】という曲の歌詞には

「気ままに街から街へ歩き続けたい
影だけを影だけを道連れに
生きているって 生きているって
どういうことなのさ」

…とのフレーズがあるらしいんだけど
ナンかどっかが「検索エンジン」にヒットするような気が…(笑)
コメント
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