「ショート・レンジからロング・レンジに変えるというのは
当然、クオリティを求めて変化するということ」と甲斐さん
「1年に4枚のシングル出して、全部ヒットさせて
それを10年続けた奴が今までいたか?
俺が3ヶ月に1枚のシングルより、1枚の質の高いLPだと言うのは
10年続けることの方が絶対重要だからだよ
3ヶ月に1回何かすることを考えて1年やるより
1年に何か1つやることを考えて、10年間続けたいのね、そういう意味なの
それが自然に2枚になれば、それはそれでいいけど…
2年くらい前は、そんな10年後のことなんて考えられなかったもの
考えてもなかったしね
目先のシングルをどうするか、差し迫るLPをどうするかって
物凄いショート・レンジだったのよ
今年、ある程度インターバルを取ることで
ハッキリ展開させる、やり口を…
俺「破れたハートを…」で、これから5年間はやれる方向が判ったの
あのLPは早いって言われたのね
日本で出すには早過ぎるって
【破れたハートを…】のシングルだって早いって言われたしね」と話されてますが
後に「虜」と名付けられリリースされるアルバムについては
「色んなタイプの曲を作るよ、きっと
でも、青い空の下で円満に穏やかに繰り広げられてるドラマじゃないよ
[破れたハートを…]の曲の中で
一番最後に書いた【観覧車】が引き金になってる
LPのドアを開ける鍵なんだよ」との言葉通り
5月1日に発売された先行シングル【無法者の愛】のB面には
【観覧車'82】が選ばれてます
奥さんが【観覧車】を「男女の話でもあり
甲斐バンドの話でもある」と主張する所以です(笑)
ただ、押尾コータローさんとのツアーで【無法者の愛】を演奏された際
当時は仕方なくリリースなさったとおっしゃってたそうで
まだ「レコード会社との契約」が残っていらしたのかなあと…?
ちなみに、このシングルについて松藤さんは
「周りからは、きっと【漂泊者】みたいな
ハードなのが出て来るだろうと言われてたんですよね
それを見事に裏切ったというか…(笑)それが一番おもしろい
みんなの思ってる通りに生きてたら
僕らの生き方って決まっちゃうからね
僕らは決めたくないし
ましてや聴いて貰ってる人達に決められたら困ってしまうし
グループの路線みたいなの作ってしまうと
僕達って良くないみたいですね
いわゆる世間の常識から外れてしまう人間が集まってるから(笑)」と
前回の記事の甲斐さんの言葉を裏付ける内容の話をなさってます(笑)
それはさておき…「ステージだってそうさ」と甲斐さん
「今まで俺達は年間やれるギリギリの量までステージをこなして来たよ
それが年に100本前後だった
これを例えば、年間200本にしたらどうなるか?絶対出来ないよ
そしたらその後半の50本はバラバラだよ、チームは空中分解さ
それとね、何のイマジネーションも沸かなくなるようなステージだったら
もう、俺は立たないよ
ステージっていうのは
毎回、同じようなことをやってるように見えるかもしれないけど
その時時のイマジネーションがあるから出来るんだよ」
…と、おっしゃってるんですが
その後、甲斐バンド・インタビューのキーマンとなられる
萩原健太さんの「初取材」記事によると
「9年近く、ずっと」レコーディングとツアーを
並行して行なっておられたのにナゼ?との質問に
「ツアー先のホテルや汽車の中で曲を書いたりして来た訳だけど
そのやり方じゃ、もう刺激が足りなくなって来たのね
特にここ1年くらい、それが単調に思えて来るほど
習慣的になっちゃったってことなんだ
そういうのって、真っ先に体が知るでしょ
ある年齢までは、ただ気力でやれるよね
瞬発力もバネもある、どんな動きをしても全部気力で一蹴できる
ところが、そういう嵐の中で生きてくようなやり方はさ、そう続かない
ある年齢からは、確実に訓練しないとダメになるわけ
だから、もっと穏やかな流れの中でキッチリ分けて、選択してね
僕らは今、そういう時期に差し掛かってると思う」と答えておられます
甲斐さんは、花園ライブの前日リハーサルの時に
「左肩の付け根が、もぎ取られそうに痛むことがある
夜中に痛みで飛び起きることもあるんだ
やっと大人になったということかも知れないね
これからは自分の体を騙し騙しやるしかないんだろう」と明かされてたようだし
離婚後に「精神がボロボロだから、せめて体だけは…」とか
「ジム・モリソンやジャニス・ジョプリンのように
27、28歳で死ぬんじゃないか?」と水泳を始められたみたいだけど
「自分の肉体が何年もつか、考えたことはあったよ
今、毎日水泳をやってるのは自信に繋がって来るんだよね
実感としてあるもの、よくもってるなあという喜びと
もたせないといけないという危機感と両方
あと10年やらないといけないって思いは物凄くあるものね
10年は一線で歌わないとダメだと思う
あのね、レコーディングのためにツアー止めますって言うと
なんか立ち止まった感じするじゃない?でも、俺は違うと思う
ハッキリ区別することで、絶対逆に瞬発力が生まれると思ってるから
そう、質の転換だけど、スピードは落とせないよ
むしろスピードを増すためにやる訳だから
質を転換させるべき時期を見極めることって大切なんだよ
アーティストとして10年生きるか、15年生きるか
20年生きるかの違いは、そこから生まれて来るんだもの
で、僕らは今がその時だと踏んでるのね
良い時に質の転換を図れば、40歳になったって歌えるさ
自分達の納得度を増しながらやりたい
大きなモーションから、ゆったり投げても
威力ある球を投げられるようにね
それが今なんだよ」と話されてます
この機関紙インタビューの最後に
「この原稿が読者の目に入る頃には
すでにレコーディングが開始されている」と高橋竜一さん
「このインタビューでも、内容について具体的な説明はされてないが
今回特別に話を差し控えている訳ではなく
甲斐バンドは、いつでも蓋を開けてみないと判らないのである」と記され
「彼らは[ロック衝動]を貯め込んで貯め込んで
ある日、爆発するのだ」と結ばれてるんですが
「6月からツアーに出る」とおっしゃった甲斐さんの言葉通り
決定した「1982 BEATNIKツアー」のコピーに
この最後のフレーズがそのまま使われています
当然、クオリティを求めて変化するということ」と甲斐さん
「1年に4枚のシングル出して、全部ヒットさせて
それを10年続けた奴が今までいたか?
俺が3ヶ月に1枚のシングルより、1枚の質の高いLPだと言うのは
10年続けることの方が絶対重要だからだよ
3ヶ月に1回何かすることを考えて1年やるより
1年に何か1つやることを考えて、10年間続けたいのね、そういう意味なの
それが自然に2枚になれば、それはそれでいいけど…
2年くらい前は、そんな10年後のことなんて考えられなかったもの
考えてもなかったしね
目先のシングルをどうするか、差し迫るLPをどうするかって
物凄いショート・レンジだったのよ
今年、ある程度インターバルを取ることで
ハッキリ展開させる、やり口を…
俺「破れたハートを…」で、これから5年間はやれる方向が判ったの
あのLPは早いって言われたのね
日本で出すには早過ぎるって
【破れたハートを…】のシングルだって早いって言われたしね」と話されてますが
後に「虜」と名付けられリリースされるアルバムについては
「色んなタイプの曲を作るよ、きっと
でも、青い空の下で円満に穏やかに繰り広げられてるドラマじゃないよ
[破れたハートを…]の曲の中で
一番最後に書いた【観覧車】が引き金になってる
LPのドアを開ける鍵なんだよ」との言葉通り
5月1日に発売された先行シングル【無法者の愛】のB面には
【観覧車'82】が選ばれてます
奥さんが【観覧車】を「男女の話でもあり
甲斐バンドの話でもある」と主張する所以です(笑)
ただ、押尾コータローさんとのツアーで【無法者の愛】を演奏された際
当時は仕方なくリリースなさったとおっしゃってたそうで
まだ「レコード会社との契約」が残っていらしたのかなあと…?
ちなみに、このシングルについて松藤さんは
「周りからは、きっと【漂泊者】みたいな
ハードなのが出て来るだろうと言われてたんですよね
それを見事に裏切ったというか…(笑)それが一番おもしろい
みんなの思ってる通りに生きてたら
僕らの生き方って決まっちゃうからね
僕らは決めたくないし
ましてや聴いて貰ってる人達に決められたら困ってしまうし
グループの路線みたいなの作ってしまうと
僕達って良くないみたいですね
いわゆる世間の常識から外れてしまう人間が集まってるから(笑)」と
前回の記事の甲斐さんの言葉を裏付ける内容の話をなさってます(笑)
それはさておき…「ステージだってそうさ」と甲斐さん
「今まで俺達は年間やれるギリギリの量までステージをこなして来たよ
それが年に100本前後だった
これを例えば、年間200本にしたらどうなるか?絶対出来ないよ
そしたらその後半の50本はバラバラだよ、チームは空中分解さ
それとね、何のイマジネーションも沸かなくなるようなステージだったら
もう、俺は立たないよ
ステージっていうのは
毎回、同じようなことをやってるように見えるかもしれないけど
その時時のイマジネーションがあるから出来るんだよ」
…と、おっしゃってるんですが
その後、甲斐バンド・インタビューのキーマンとなられる
萩原健太さんの「初取材」記事によると
「9年近く、ずっと」レコーディングとツアーを
並行して行なっておられたのにナゼ?との質問に
「ツアー先のホテルや汽車の中で曲を書いたりして来た訳だけど
そのやり方じゃ、もう刺激が足りなくなって来たのね
特にここ1年くらい、それが単調に思えて来るほど
習慣的になっちゃったってことなんだ
そういうのって、真っ先に体が知るでしょ
ある年齢までは、ただ気力でやれるよね
瞬発力もバネもある、どんな動きをしても全部気力で一蹴できる
ところが、そういう嵐の中で生きてくようなやり方はさ、そう続かない
ある年齢からは、確実に訓練しないとダメになるわけ
だから、もっと穏やかな流れの中でキッチリ分けて、選択してね
僕らは今、そういう時期に差し掛かってると思う」と答えておられます
甲斐さんは、花園ライブの前日リハーサルの時に
「左肩の付け根が、もぎ取られそうに痛むことがある
夜中に痛みで飛び起きることもあるんだ
やっと大人になったということかも知れないね
これからは自分の体を騙し騙しやるしかないんだろう」と明かされてたようだし
離婚後に「精神がボロボロだから、せめて体だけは…」とか
「ジム・モリソンやジャニス・ジョプリンのように
27、28歳で死ぬんじゃないか?」と水泳を始められたみたいだけど
「自分の肉体が何年もつか、考えたことはあったよ
今、毎日水泳をやってるのは自信に繋がって来るんだよね
実感としてあるもの、よくもってるなあという喜びと
もたせないといけないという危機感と両方
あと10年やらないといけないって思いは物凄くあるものね
10年は一線で歌わないとダメだと思う
あのね、レコーディングのためにツアー止めますって言うと
なんか立ち止まった感じするじゃない?でも、俺は違うと思う
ハッキリ区別することで、絶対逆に瞬発力が生まれると思ってるから
そう、質の転換だけど、スピードは落とせないよ
むしろスピードを増すためにやる訳だから
質を転換させるべき時期を見極めることって大切なんだよ
アーティストとして10年生きるか、15年生きるか
20年生きるかの違いは、そこから生まれて来るんだもの
で、僕らは今がその時だと踏んでるのね
良い時に質の転換を図れば、40歳になったって歌えるさ
自分達の納得度を増しながらやりたい
大きなモーションから、ゆったり投げても
威力ある球を投げられるようにね
それが今なんだよ」と話されてます
この機関紙インタビューの最後に
「この原稿が読者の目に入る頃には
すでにレコーディングが開始されている」と高橋竜一さん
「このインタビューでも、内容について具体的な説明はされてないが
今回特別に話を差し控えている訳ではなく
甲斐バンドは、いつでも蓋を開けてみないと判らないのである」と記され
「彼らは[ロック衝動]を貯め込んで貯め込んで
ある日、爆発するのだ」と結ばれてるんですが
「6月からツアーに出る」とおっしゃった甲斐さんの言葉通り
決定した「1982 BEATNIKツアー」のコピーに
この最後のフレーズがそのまま使われています