ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.3)その3

2016-08-03 08:08:10 | 日記
「おまけ」の後に「その3」というのもナンですが(苦笑)
「ニャンキュッパ」で大人気の「フテ猫」のCMに
最近登場している「なめ猫」について
田家秀樹さんが書かれた記事が載ってるもので…(笑)

あのCMのキモ「1980」年代といえば
リスナーとしての甲斐さんにとっては「ツマラナイ時代」で(苦笑)
甲斐バンドとしては「アップダウン」の「ダウン」の時期に始まり
【破れたハート…】と「NY三部作」を経て
解散から甲斐さんソロへと激動の時期ですよね

一般的には、漫才ブーム、テクノポップ、竹の子族
ぶりっ子、花の82年組、プッツン
プールバー、ボディコン、イカ天などが流行する中
81年に生まれた「なめ猫」は、今と同じ「猫ブーム」のリーサル・ウェポン(笑)

腕まくりした学ランに細いグラサンをかけた「又吉」(笑)や
白鉢巻を巻いて革ジャンを着た猫たちが
ポスターやレコード、写真集のほか、あらゆるグッズで席巻

奥さんも「なめられたら無効」と書かれた
「自動車免許型プロマイド」を持っていたらしい(笑)

記事には…本物(人間)のツッパリ君は怖そうだけど、猫なら「カワイイ」
この「カワイイ」という感情が人気の秘密になっている
…って、「カワイイ♪」と言われる「人間」も人気者だけど…(笑)

人間たちが、トゲトゲしく、ナマナマしくなっているから
猫が代理作用的、解消剤的に人気者になるのか
それはよく判らないのだが、人間たちに冴えがない
せいぜい榎本三恵子さんと伊藤素子さん

猫に「なめんなよ」と言わせたのは、自分たちが言えないからか
正面切って「なめんなよ」と言ってみせたのが
この2人の女性だけだったとしたら、男たちは何をしていたのだろう

ひたすら背を丸め、低姿勢になって行くばかりなのだろうか
1982年は男たちが「なめんなよ」と言い切れる年になるのだろうか

…と記されてますが(苦笑)
甲斐さんも「[虜]や[Gold]を作ってる時にすごく思ったのは
この国には、ベトナム戦争も徴兵制もない
政治がどうのこうのと言ったって
個人の日常レベルにまで至ってない訳で

そうすると、男が書ける世界、書きやすい政(まつりごと)の部分がなくて
政治がガタガタになって、僕らの文化にまで露骨に入り込んでは来ない
そういう国で語りやすいのは女ね、女が書けるのね
生理的なこと、非常に日常的な部分で一番言葉が書ける

【漂泊者】を書き終った時にそう思ったのね
[歌を歌う自分]を感じられる時
物凄く自分がシビアにならざるを得ない時
最高のボルテージなんだという感じで作った歌なんて
あと何回作れるのかなあって思うわけ
あの後さ、歌やめようかなって思うことだってあったからさ

とにかく[スタンス]みたいなことが日本にないのね
博多弁で言うと[ハードボイルドなかろうが]と…
そこから、自分のスタンスを全く変えて行ってる

僕の書けるスタンスの部分はここです、という風にね
そこで目一杯パーフェクトにやろうとしてます、ということしかないですよ」と話されてますが

その甲斐さんの「スタンス」を一言で言うと
「ハードボイルド」になるんでしょう
北方謙三さんによれば「ハードボイルドは男の視線」だそうだし…

甲斐さんは「男の生理って、何かをガードする
とことん守り抜くということだと思うのね
個人の部分で日常的な何か、家族でもいいし
自分の暮らしのレベルでもいい
才能や欲望も入るだろうし、最終的には命と密接に関係している何かを守る

そのために、とことん賭けなくちゃいけないという意識が
男には当然ある訳ですよ
男どもが何を歌うか、何があるかというと
[守る]ってことなんだよね」とおっしゃってます

そして、この「猫と女たちの一年」という記事の隣には「ラグビー」が…(笑)
少年ジャンプ編集部の堀内丸恵さんいわく…

両チーム30名の男たちが、ひとつの楕円のボールに全神経を集中させ
押し合い、ぶつかり合い、投げ、跳躍し、走る
横70m、縦100mほどのグラウンドで戦う
球技というより、格闘技といった方が正確な時もある

楕円のボールの回転は、予測不能でドラマチックだ
ひとつのボールの争奪という単純なゲームであるから、種々の用具も不要だ
ケガをした時も[魔法のヤカン]と呼ばれる
ヤカンの水で大概すませてしまう

ひとたび試合が始まれば、コーチも監督も指図はしない
各選手の一瞬一瞬の判断が状況を決定する
ラガーには状況を把握し、決断し、行動へ移る決意が求められる

昭和48年12月、早明戦前の早大・日比野監督が
フィフティーンを集めて叫んだという
「早大の歴史と伝統の中で、今日ほど
男が命を賭けるに相応しい日はない」と…

また、全日本の名SO・松尾も、早大戦の前は
「新しい下着をつけ、新しいバンテージを用意してのぞんだ
いつ死んでも恥ずかしくないようにという覚悟だった」と語っていた

今どき「命を賭ける」などという言葉は死語に近い
こう言い切れる者がどれだけいるか
彼らをこれほどまでに駆り立てるものは何だろうか

野球やサッカーのようにプロはない
甲子園で活躍し、契約金何千万でプロ入りということもない

きっと、あの土くさいグラウンドと肉のぶつかり合う音が
男たちにくすぶっている闘争本能を呼び起こし、掻き立てるのだ

力はあるが足の遅い子は、戦車のような突進で敵を蹴散らすフォワードに
小さいが機敏な子は、名スクラムハーフになれるかも知れない
15のポジションは様々な男を受け入れる

スターは要らない
余程の力の差がない限り、一人のスターでは勝てない
15人の力の結集は大きい

劣勢を伝えられた早大が勝利を掴んだ
果敢なタックル、剥き出しの闘志
ひたすらチームのために頭と体を使う
フィフティーンの自主的なチームへの貢献が一致した結果だ

「追」…昨日(12月21日)の武道館の戦士たちにも乾杯!

この当時でも「死語に近い」ことが
昨年のラグビーW杯の「ジャパン」にも継承されていたことがスゴイなあと…

でも、リオ五輪には「サクラセブンス」が出場するとのことで
もう「男」だけのスポーツではないんですよね(笑)

そうそう!またアノ元総理が「独唱」と「斉唱」を取り違えただけでなく
選手団の士気を下げるような発言をしたと、奥さんご立腹(汗)

確かに奥さんは「国を背負った」スポーツの大会が好きなんですが
それは「国歌を歌えないような選手は代表ではない」とか
「表彰台に立ったら、大きな声で国歌を歌って下さい」ということではなく

世界レベルの実力を持った選手たちが
「代表であることに誇りを持って戦う」ことが好きな訳で
それは、たとえ表彰台に上がれなくても変わらないし

そもそも「日本」が出場していない大会でも熱心に観てるんだし(笑)
サッカーW杯にハマったのだって
PKを外したイタリアのレジェンドのおかげなんですから…(笑)

識者の方がおっしゃるように「国や国民の期待を背負わされることで
スポーツがスポーツ以外のものになってしまった」り
「プレッシャーに押し潰され、実力が発揮できなくなる」ことなど望んでおらず…

かつて奥さんが、沢木耕太郎さんの「敗れざる者たち」を
途中で投げ出したくなったのは
正にそうなってしまった選手の「遺書」が記されていたかららしい(泣)

あくまで、代表に選ばれた選手個人が
それぞれにベストを尽くす姿が観たいだけだと思う

もちろん、国によっては政情不安を抱えていたりして
選手の活躍だけが唯一の希望という国もあり
モチベーションもまちまちでしょうが

その代表としての意思表示…というか、国際的な舞台に立った時に
おのずと国歌を口にしてしまうというのが「正しい」んだとか…(笑)

考えてみれば、オリンピック以外の大会って
ほとんどが試合前に国歌が流れますよね(笑)
コメント (3)
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