ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK34

2016-04-02 09:18:10 | 日記
1979年10月24日第43回放送…って
やっと甲斐さんのサンスト・シーズン1の折り返し地点…(汗)
この頃は、甲斐バンドにとって激動の時期だけあって
なかなかサラッと流せない内容の放送が多いですねぇ(苦笑)

ともあれ、この日のオンエア曲は【港からやってきた女】
吉田拓郎さん【結婚しようよ】
森田童子さん【さよならぼくの友達】
イーグルス【ハートエイク・トゥナイト】
萩原健一さん【祭りばやしが聞こえる】
そして【特効薬】と、発売されたばかりだった
「マイ・ジェネレーション」から2曲が選ばれてます

ディスコや暴走族、グルーピーやドラッグまで
「今、俺たちの生きている世界をバンバン出してみた問題作」と甲斐さん

バックジャケットに記された英語の曲名で
アルバムのタイトルチューンになっている【三つ数えろ】は
レコーディング中にニュースでご覧になった「梅川事件」から生まれたと
あらゆる取材で話されてたそうだけど

「悪を肯定してる訳じゃない
ただ、二重人格だからとか、麻雀の打ち方が荒っぽかったから
あんな事件を起こす要素があったと
世の中が簡単に物事を割り切って片づけてしまうことに
ものすごく怒りを覚えているんだよね」という甲斐さんの思いを

「過激だ」「好戦的だ」と評する向きも少なくなかったらしい
「だからこそ、このアルバムが売れたことが嬉しい」とおっしゃってたんだとか…

翌週は、ツアー先の北海道から
大森さんと松藤さんをゲストに迎えられての放送とあって
【汽笛の響き】に始まり、中島みゆきさん【ホームにて】
北原ミレイさん【石狩挽歌】ふきのとう【白い冬】
あがた森魚さん【最後のダンスステップ】に【安奈】
…と、ご当地ゆかりの曲が目立ちますね

コメント欄には「風邪をひいて最悪のコンディション
甲斐さんの声は痛々しかった
ピンチヒッターの大森さん、ハガキを読むのが上手だった」と書かれてますが

おそらく?この放送の収録日の頃は
「ノドが裂けて血を吐いた」
「病院で絶対安静と言われたけどキャンセルはしない」
「ステージ脇に看護婦さんが待機していた」
「楽屋に戻った時にまた血を吐いた」という
壮絶なライブがあったんですよね?(汗)

11月に入って、7日の放送は
泉谷しげるさん【眠れない夜】荒井由実さん【瞳をとじて】
浜田省吾さん【風を感じて】サザン【C調言葉に御用心】
BOROさん【大阪で生まれた女】に【100万$ナイト】

翌週14日は、ツイスト【SOPPO】
チューリップ【虹とスニーカーの頃】ばんばひろふみさん【SACHIKO】
チャゲ&飛鳥【ひとり咲き】堀内孝雄さん【わすれな詩】に【異邦人の夜】

当時「ニューミュージック」と呼ばれたジャンルの曲ばかりです(笑)
甲斐さんご自身は「フォークかロックしかないと思う。他は歌謡曲だ
曖昧な優しさや甘いメロディには辟易した」とおっしゃって

「生ギター1本でもロックを作ることは出来る
アコースティックと言っても精神はロックなんだ」と
「音楽の表面だけを見てジャンル分けする人がいる」ことに
抵抗を感じられていたそうです

上記のことも含め、また1979年も残すところ40日余りという時期になり
第47回放送は「80年代を撃つ!」
翌週は「80年代に向かって、60年代の歌」とのテーマが掲げられてます

前者のオンエア曲は【三つ数えろ】
中島みゆきさん【世迷い言】白竜さん【警告】
柳ジョージ&レイニーウッド【プリズナー】
吉田拓郎さん【ペニーレインでバーボン】
パンタさん【つれなのふりや】

後者は、遠藤賢司さん【カレーライス】
友部正人さん【トーキング自動車レースブルース】
加川良さん【下宿屋】泉谷しげるさん【日が沈む頃】
【メモリーグラス】というラインナップ

甲斐さんが、当時のインタビューで…
「70年代の後半っていうのは、ニューファミリーとかフィーリングとか
ニューミュージックなんて言葉が出て来て
その雰囲気だけで何となく判ったような気分になっていた
だけど、俺たちが欲しいのはそんなものじゃない」

「これだけ情報が溢れてる時代だから
ちゃんと自分で情報を選び取らないと
気分や雰囲気だけで流れて行っちゃヤバイよ
気がついたら空っぽだったなんてことにならないように
ホントの感触を大切にしたいんだ」

「80年代なんて80年からは始まらないって
中上健次が言ってたけど、その通りだと思う
突然80年ですからって始まったものこそ、ウソっぱちなんだよ」

「2~3年前は、80年ってスゴく意識してたけど
これだけ80年代という言葉が氾濫すると
誤魔化されてるって思えて来るのね
80年代に向けて放ったりはしない
俺たちは今を撃ちたいよね、79年の今を」…と話されてるのは

「80年代に向かって」というサブタイトルがついた
山口百恵さんの【しなやかに歌って】に代表される
世の中の風潮に風穴を空けるという意味がおありだったようです

顔写真を取り違えられた(笑)という村上龍さんとの対談でも
「曖昧な70年代の言葉なんて信用しなくなってる
今は79年だけど身体はもう80年代に行ってるじゃない
そうすると、触ってみて感じられるもの、リアルなものしか信用しないよ
映画でも音楽でもね」と話されていた甲斐さん

上京後、敷石のないアスファルトの舗道をご覧になって
「俺たちに【ストリート・ファインティング・マン】は歌えないと思った」
自称「遅れて来た全共闘少年」「60年代のしっぽ」の方は

村上さんの「限りなく透明に近いブルー」について
「あそこには、俺たちの本当の姿があるよ
しかも、龍という本当に60年代を生きた奴が
初めて敗北の60年代を描いた」と話され

村上さんは「俺は本当に60年代を生き抜いた人間だから
それを作品にする時は、距離を置かないとダメなんだ
自分で自分に酔っちゃうと、見てる方はたまらないからね
やっぱり、人間はテレなきゃダメなんだよ」と答えておられます

お二人が「80年代を予感させる音楽」に挙げられたのが「レゲエ」で
甲斐さんが「パンクって結局、詩だけじゃなくて曲も暴力だから
それでみんな聴かないと思うんだ
ドアーズともストーンズとも全く違うのね」とおっしゃると

「ドアーズってキレイだったもんね
ルー・リードもテレだし、ジム・モリソンもテレだよ
ギャーッとやってもウケないだろうと思ってるんだ」と村上さん

甲斐さんは「強いことを言えば言うほど
それをスムーズに通じさせる手口って大事だと思うな
レゲエは、軽い聴きやすいリズムに乗せて
モロ言いたいこと言ってるじゃない

ゲットアップ、スタンドアップ、みんな立ち上がれ
権利のために戦え!ってあのメッセージ
絶対に必要だと思うんだ」と話されてるんだけど
この曲が流されたのは、長谷川和彦さんがゲスト出演された時でした(笑)

余談ですが…
この対談にナゼか挿入されている吉見佑子さんのコメントには
「甲斐バンドって、誤解されやすい所が魅力だと思うのね
それが甲斐よしひろの独創性にも繋がると思うんだけど

例えば今じゃ、みんなスニーカーなのに
ハイヒール・ブーツ履いてて、原色が好きで
どことなくアンニュイな泥くささがあるでしょ
それが、彼らの持つ切なさなのね」と記されてます

理屈っぽいと敬遠されようと
マスコミに生意気だとか反逆児だと叩かれようと
ご自身の意見を伝えるために数知れないほどの取材を受けられ
曲にメッセージを込めて歌い続けていらした1年だったんですよね?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする