ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK35(追記あり)

2016-04-03 09:52:21 | 日記
甲斐バンド激動の1979年も12月に入り
NHKホールから始まったツアーも名古屋と武道館2日公演を残すのみという
12月5日第49回放送は、桃井かおりさんをゲストに
【昔のことなんか】【蜃気楼のように】
【誰が決めたもんじゃろか】【あばずれのブルース】
4曲すべて桃井さんの曲が流されてます

以前にもご紹介しましたが
長谷川和彦さんやカメラマンの田村仁さんの話が出て
桃井さんは「たむじんさんは、気配を感じさせずに撮ってくれる」と話され

甲斐さんは「マイ・ジェネレーションのジャケットを撮って貰った」けど
「メンバー全員が良く写るのは難しいから
いつも誰かが犠牲になる(笑)」と笑っておられたらしい(笑)

ちなみに、77年のヤングギター6月号増刊「甲斐バンド写真集」は
田村さんが撮影なさっていて
ガスマスクや包帯のかぶりモノをつけられた甲斐さん(笑)や
ベッドの上でパンツ一丁で、でんぐり返しなさってる長岡さん?の写真が…(笑)

それはさておき…この翌週の放送で
「長岡和弘脱退コメント発表」がなされたようで
次のツアーには、元気に帰って来てくれると信じていた奥さんは
声も出ないくらい驚いたらしい

デビュー以来初めて、長岡さんの半年間休養が決まった時に
「ベースの長岡が体調を崩して
とうとう秋のツアーは出れない」と痛切な声で話され
「ツアーも中止しようかと考えた」という甲斐さん

急遽、セッションメンバーのオーディションを重ねられ
何とかツアーに出られたものの
佐藤剛さんによると「さすがの甲斐もかなり煮詰まっていて
人と口をきこうとしなかった」くらい
落ち込んでおられ、体重も激減なさったんだとか…(汗)

「何度も話し合いをした
腹を割ってとことん話し合った
その結果、長岡はバンドを脱退することになった
博多から4人でやって来て、長岡が欠けるのは痛い
クソーッ!という思いもあります
その心情をわかって欲しい…」

「長岡は、100日間51回公演という
ハードな春のツアーの過労で倒れた
俺たちはステージをやるのが使命だと思ってる
今後も続けて生きる証にしたいんだ
だけど、奴にはツアーに出られる体力がほとんど残されてない」

「長い人生、色んな岐路があると思う
いつかはこういう日が来ると腹をくくってはいた
くくってはいたけど、今、本当につらい…」

「甲斐バンドは今後3人でやって行くことになります
長岡がいたことを忘れないためにも
代わりのメンバーを入れることはしない」

奥さんはこれらの甲斐さんの言葉が
やっと「本当のことなんだ…」と実感されて来て…(泣)

「長岡とは、奴が福岡大学にいた頃に知り合った
雪の北海道を歩いたり、沖縄に器材を運ぶ金がなくて
レンタルの楽器を持ち込んだりした
ガックリした時も一緒だった」

「この夜にさよならを作ってた時に
俺がもうこれ以上書けないって言ったら
そんなに命をすり減らしてまで作ることはないじゃないかと
言ってくれたのが長岡だった…」と
甲斐さんが声を詰まらせておられるのを聴いて、奥さんも号泣…

後日、マスコミには、甲斐さんが
セッションメンバーと共に秋のツアーに出られたことを冷たいとか
ツアー前から脱退が決まっていたんだろうとか
金銭面でトラブルがあったとか
書きたい放題に書かれたみたいだけど

甲斐さんの番組で、甲斐さんご自身の口から話されたことを聴かれて
そんな記事を信じるファンの方はいらっしゃらなかったでしょう

長岡さんの正式コメントには…
年に200日、100回に及ぶツアーの過酷さに肉体的不安があること
1年の半分以上、家を空けることに苦痛を感じること
休養中に自分はプレイヤーよりも制作の立場に回る方が
自分の資質を生かせるんじゃないかと考えるようになったこと
…が記されていたそうで

この大きな決断をなさったのは、健康上の理由が一番でしょうけど
長岡さんが前年に家庭を持たれたことも要因の一つみたいです

その結婚の後押しをされたのが、甲斐バンドのメンバーで
福岡時代から長くつき合っていらしたのをご存知だったこともあり

…甲斐さんいわくは、俺なんかもう7年くらい前から知ってるからね
一緒にバイトやったこともあるの、お前知ってたか?(笑)…

そろそろどうなんだ?って心配してやったんだよ
頼りなさそうな奴だから
具体的なことは何にもやってないんじゃないかってさ

長岡さんがゲスト出演された際も
ご結婚後、年明け初めてスタジオに入られた時に
「ベースの音が全然違ってて驚いた」と話され

それまで、練習嫌いでいらした長岡さん(笑)が
「直せなかった、直さなかったこと」を練習されたとお聴きになって
「俺も結婚しても良いかなって思った」とおっしゃってたらしい

ともあれ…「好きで好きで、愛し愛されたいと思っても
噛み合わない部分が人生にはある
今度のことも、その噛み合わないズレなんだと思うしかない」

「バンドのサウンドや歌詞のイマジネーションに関しては
これからも奴に関わって貰うことになってる
甲斐バンドは、長岡も含めた運命共同体だと思ってるから
これからの長い道程に、渡る河は数々あれどってことだと思う
拍手で送り出して欲しい…」と甲斐さん

この放送の後、長岡さんは
「甲斐バンドにいて演奏したことは、一生忘れられないだろう
バンドには、もっと大きくなって貰いたいし
僕も今より絶対に大きくなる
僕が脱けたことで、甲斐バンドにとっても僕にとっても
結局、良かったと言われるようになること、それだけを願ってる
ファンの皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいだ」とコメントなさってます

奥さんにとっては、この日が
ある意味で「甲斐バンド」が終わりを迎えた日だったようです

【追記】この放送で甲斐さんが選ばれた曲は
【バス通り】【最後の夜汽車】
【あの日からの便り】【きんぽうげ】【熱狂】でした
これらの曲が流れている間、甲斐さんが何を思われ
どんな顔で聴いていらっしゃるのかと考えて
奥さんは涙が止まらなかったんだとか…
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