ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK43

2016-04-28 07:48:19 | 日記
1980年7月2日の放送は、佐野元春さんの【アンジェリーナ】に始まり
松野こうきさん【クィーンはまぶしい】アナーキー【シティ・サーファー】
井上陽水さん【答えはアンダースタンド】吉田拓郎さん【あの娘といい気分】
最後にハウンドドッグ【嵐の金曜日】と、甲斐さん推しますねぇ(笑)

もちろん奥さんは、佐野さんやハウンドドッグのアルバムを買って
友達に薦めまくり(笑)ライブに誘ったりした訳ですが
その内の数人の方は、今も佐野さんのライブに通っておられるらしく(笑)
奥さんに感謝して下さってるそうだけど
何より佐野さんがずっと歌い続けていらっしゃることが素晴らしいですね♪

翌週から2週に渡って「懐かしのGS特集」が組まれ
パート1では、テンプターズ【エメラルドの伝説】
カーナビッツ【好きさ好きさ好きさ】
パープルシャドウズ【小さなスナック】
ハプニングスフォー【あなたが欲しい】オックス【スワンの涙】

フォーナインワン【ウォーキング・ザ・バルコニー】
ゴールデンカップス【長い髪の少女】と【本牧ブルース】
ランチャーズ【真冬の帰り道】モップス【朝まで待てない】タイガース【都会】

パート2では、アダムス【旧約聖書】
ビレッジシンガーズ【亜麻色の髪の乙女】ダイナマイツ【トンネル天国】
アウトキャスト【愛なき夜明け】ズーニーブー【白い珊瑚礁】

ワイルドワンズ【青空のある限り】タイガース【青い鳥】
レオビーツ【霧の中のマリアンヌ】加賀テツヤさん【ギター子守唄】
ジャガーズ【星空の二人】サベージ【いつまでもいつまでも】

…と、それぞれ11曲が流されてるんだけど
フルコーラスではなかったにしろ?
やはり、当時の曲は2~3分を目安に作られていたんでしょうね

この機関紙のコメント欄にも
「さすがサウンドストリートという感じ
他所ではかからない名曲がたくさん」と書かれてますが

「GSといえばコレ!」っていうメジャーな曲だけでなく
「あった!あった!」と思い出すような隠れた名曲も選ばれていて
坂崎さんから「高見沢に匹敵するGSマニア(笑)」と
呼ばれるだけのことはありますね(笑)

夏木マリさんの番組でも【ウォーキング…】について
夏木さんもご存知なかったエピソードを披露され
かなり盛り上がっていらしたけど(笑)
当時は買えなかったGSのレコードを
その後「大人買い」なさるほど、お好きだったんですよね?

我が家の何でも取っておく人(笑)の資料に
FM番組で放送される「GS特集」についての紹介ページがあって
その記事によると…60年代の高度経済成長の中で、文化の主導権を握ったのが
第一次、第二次ベビーブーム生まれの青年達であり、GSブームの主役だった

なぜ主役たり得たかといえば、同じ年令の人間が
程遠いはずのブラウン管の中で自由に泳ぎ回っているということが
歌謡界のスター達より新鮮に映ったからだろうし
何よりGSにはパワーがあった

少なくとも現在のロックコンサートのように
定例化されたアンコールが、1曲終われば「また会いましょう」などという
物わかりのいい客もいなかった(笑)
ステージの上も下も、数時間のコンサートに全力投球し
燃え尽きることを潔しとしていた

甲斐よしひろの言う「俺は遅れて来たと思った」という
60年代末の熱い政治の季節へのジェラシーは
GSのステージにも投げられるべきなのだ…と記されてます(笑)

ナンで突然ココに甲斐さんの名前が?ってことはさておき(笑)
このライターの方は、甲斐バンドのステージを
ご覧になったことがないんじゃないかと…(笑)
当然、甲斐さんが子供の頃からハードリスナーでいらしたことも
GSに造詣が深くていらっしゃることもご存知なかったんでしょう(笑)

五業昌晶(佐藤剛)さんの「甲斐よしひろ紹介」によると…
物心つくかつかない内から、戦後の舶来音楽の代名詞だったジャズを耳にし
同時に歌謡曲を歌うことを覚えた

60年代に入って、アメリカン・ポップの洗礼を受け
家中で毎週ヒット曲のベストテンを作成していた小学生の時
ビートルズを筆頭とするリバプールサウンドの台頭に出くわした

もっとも彼は、ビートルズ一辺倒だった訳ではなく
ブリティッシュ・ミュージック全体に傾倒していたようで
デイブ・クラーク・ファイブのファンクラブ会員だった時期もあり

また、ストーンズこそ彼の音楽性を語る上でポイントとなるのだが
今日の甲斐バンドに見られるブリティッシュ・ミュージックの影響は
この当時に培われたものだろう

日本の音楽では、やはりGSからの影響が強いが
音楽的なものよりは、そのブームの発生から終焉を見続けることによって
精神的なものを掴んだようだ

GSのほとんどのグループは、与えられた曲を演奏し
色んな意味で未熟であった
しかし、そんな未熟さをものともしない激しいアピールが魅力だったはずだ
カッコ良さに憧れ、それに酔った無数の若者の情熱が
ほんの一時期にしろ、膨大なパワーとなった

何しろ当時は、GSに対する大人の反発が強く
何らかの反逆精神を持たないことには
ブームの渦中に入って行けなかったのである
当然、渦中の若者は少なからず「不良」のレッテルを頂戴した

そんな大人の冷たい目なんかには
お構いなしにみんな熱狂した
彼は「熱狂する」とはそういうことだと知ったはずである…そうです

甲斐さんご自身も「人の作った曲ばかりで
オリジナルを歌うグループが少なかった」ことに触れられ
「音楽の一つとして根づく前にブームが終わってしまった」と話されてますが
その時代の日本の文化やファッションには
「かなり影響を受けた」とおっしゃってました

「翼あるもの」でカバーされた曲もありますけど
そのリリースに際して「昔のヒット曲を
今の時代にも通用するように斬新なアレンジをして
原曲を知らない人達にもその良さを判って貰いたい」

「流行した時期を過ぎると、どんな良い曲も懐メロとしてしか評価されない
スタンダードが生まれにくい日本の音楽状況に対して
本当はそうじゃないよ!という思いが込められてる」と甲斐さん

奥さんによると…GSのことだけではなく
海外では、往年のヒット曲やその歌手に対して敬意を持っているのに
ナンで日本人は「一発屋」みたいな扱いしか出来ないんだろう?と
嘆いておられたらしい(苦笑)

「誰も俺が聴きたい音楽を作ってくれない」とミュージシャンになられ
「人生最後の日に何を聴きたいか?」という話では
「誰も本気で音楽のことを心配していない」とおっしゃったり

「30歳を過ぎるとCDショップに行かなくなる」リスナーのために
ラジオ番組で自腹で買われた曲を放送なさったり
確かに「いちミュージシャン」というより
「音楽愛好家」とお呼びした方が良いのかも知れませんね(笑)

余談ですが、前述のライターの方は記事の続きに…
GSに音楽的な意味なんかつけちゃいけないよ
「彼らの存在が、後のニューロック
ニューミュージックを生んだ」なんて言っちゃいけない

演奏はヘタだし、歌も上手くないし
ファッションだってダサイに決まってる
ちょっとマスクの良いのが、エレキギター持って
女のコにキャーキャー騒がれて、PTAに睨まれたり

朝7時20分から「ヤング720」を見て
始業ベルすれすれに学校に飛び込み(笑)
ホーキをギター代わりに持って、センコーに怒られてただけなんだ

GSなんて、GSなんかどうってことないよ
でも、GSは過ぎ去った時間じゃない
俺たちの青春の断面そのものなのだ
…と、記されてます(笑)
コメント
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