萩原さんから「…で、甲斐さんのトコにも色んな人が
集まって来るようになっちゃった訳じゃないですか、だんだん…」と振られ
「まあ、そうですね」と、甲斐さんの「オーディション係」トークは続き…(笑)
「僕、妙安寺ファミリーバンドって言って
『絶対、照和に出たくない』って言ってたんですけど
そのグループが、一軒家を借りてたんですよ
で、僕、そこにナンか…すごい仲良くなって
もう、プチ家出して、8ヶ月くらい住んでたんで…(笑)
(『イイですね!ナンかコミューンな感じで…(笑)』と萩原さん)」
…って、これは、その妙安寺ファミリーバンドの「合宿所」が
大森さんと長岡さんの住んでいらしたアパートの近くにあって妙安寺のメンバーの門田さんや久保さんとお知り合いになられたことで
甲斐さんのお考えになる「良くなっていくアーティストの条件」…
「『音楽に対する素直な喜び』と『しっかりとした技術』を持っているか?」…
その2つが備わっていると見込まれた甲斐さんが
妙安寺の皆さんを照和に出演させるために、当時のマネージャーの方を差し向けられ
もちろんオーディションなしで「店からのたってのお願い」という形でオファーなさった結果
甲斐さんと同じ、月曜日にレギュラー出演することが決まり
それから、仕事終わりには「合宿所」へ帰られる(笑)ようになられたのがきっかけみたいです
甲斐さんのステージに刺激を受けられた門田さんは
「照和のステージは真剣勝負である。下手な演奏をすると客は途中で帰ってしまう
ステージの良し悪しは翌週の客の入りに確実に影響した
(2回目のステージまで)客を残すために(1回目の)ステージに全力を傾ける
(2回目のステージに)その成果があらわれると自然に熱が入る。そのため練習量が増えた」
…と、当時を振り返っておられるんですが
そういう姿勢こそが、甲斐さんが妙安寺の皆さんを照和へお呼びになった理由じゃないかと…?
ともあれ…「あと…ナンだっけ?…『アップル・トゥリー』って
まあ、僕がオーディションし始めて、半年くらい経った時に
アップル・トゥリーって言って、久留米のバンドがいて…まあ、高校生のね
あん…まっ、拙いんだけど、1曲だけ良いのがあったのね、だから『イイよ』って言って…
(『あっ!それ、オリジナルだったんだ?』と萩原さん)
そうそうそう!それ、もうオリジナルしかやらないバンドしか、僕、OKしなかったんで…
その時のボーカルが石橋凌なんですよ
で、2ヶ月も3ヶ月もオリジナルを書きやがらないんで、3ヶ月でクビ切るっていう…僕が…(笑)
(『厳しいですね(笑)』)…厳しい…『書けよ!』って言ってんのに…」と話されてましたが
「開戦前夜」の森山さんも「オリジナルを書かなきゃいけないっていうプレッシャーは
ものすごくあって大変でしたね(笑)必死で書きましたよ(笑)」とおっしゃってました(笑)
そして、いよいよ萩原さんが「…で、そこで、例えばまあ、のちに甲斐バンドになる
その…大森さんとか松藤さんとか…」と、その出会いについて話を向けられ
「そうそうそう!みんな色んなグループ…松藤は『ピエロ』ってグループで
大森さんは『三輪車』かナンかで、長岡は『リグビー』って…(『…が集まって来て?』)
そうですね、だから、さっきの『小さな街角あるある』なんだけど
結局、僕が、その…大森さんが『やろ!やろ!』って言うじゃないですか
僕、東芝との契約…最初ソロで、まともに掛け合ってたんですよ
で、契約の交渉の席に着いた時に、あの…『バンドやりたいんだ』
で、東芝レコードが大騒ぎになって…(笑)
で、結局、大森さんがリードギターで、リグビーが…長岡がベースで
松藤…ピエロのリードギターだったんだけど
『お前、リズム感いいから、ドラムしろ』って言って…(『スゴイ話ですね(笑)』)…そう
で、結局…でも、そうすると、この3つのバンドが全部潰れるんですよ
…っていうことになるんですよ、だから、小さな街なんで、カンベンして欲しいですよね(笑)
(『でも、彼らしかいなかった?』)…そうです」
…と「甲斐バンド」が「照和」に出ていたのではなく
それぞれ「照和」に出演なさっていた皆さんが集まられて
「甲斐バンド」が出来たことを明かされてましたが
厳密に言うと、松藤さんは、ピエロが解散したあとに
大森さんから「時々ドラムをやって貰うかも知れないけど」と声をかけられ
…って、松藤さんによれば「騙されて(笑)」加入なさったんですよね?(笑)
それはともかく…「ちょっとね、松藤さんが作った曲を聴こうかと思うんで
1曲、紹介して頂けますか」と萩原さん
甲斐さんが「えー、これは、2018年からの…聴いて下さい
ビルボードライブ『汽笛の響き』」とQを出されたんですが
この「甲斐よしひろバンド」の演奏をお聴きになって
「詳しくね、あの…ビルボードライブの話って、来週オンエアと思ってたんですけど
このメンツ、スゴイですね!やっぱ、今聴いてると、音源を…」と驚かれたらしく
甲斐さんが「そう、オーディションしたんで…
で、やっぱり『インサイド・ルーウィン・デイヴィス』って言って、コーエン兄弟の映画があって
あのね、歌ってる元になってる人…(『ディヴ・ヴァン・ロンクですね』)
そうそうそう!で、あの…まあアレは『ガスライト』っていうライブハウスね
で、アレ、ボブ・ディランがそこに出る前夜までの話なんですよね
だから、その辺の空気を知ってるヤツっていうので、こう…探したら居たんですよ
D.W.ニコルズの鈴木健太がいて、全部コピー…
すでに知ってた、その辺を…こいつイイなあと思って…
で、次にWベースの分、オーディションして
で、もう1発目で、タマが太いっていう…ホント木村くんって、タマが太いんですよ
ポンって弾き方で、軽く弾いてるのにね、才能を感じるって言って…
で、あと、フィドルだって、みんなウマイしね」と返されると
「ウマイですねぇ、スゴイ!…まあだから(甲斐さんは)
やっぱ、そういうの(照和で)叩き込んでるから
今また、そうやってアコースティックのセッションに戻っても出来ちゃうっていうね」
…とおっしゃって「まあ、そんな訳でですね、色んなお話聴きましたけども
ちょっとね、まだ聴き足りないので、来週に持ち越させて頂くということで…
また来週ね、よろしくお願いします!ということで、本日のゲストとしてですね
来て頂きました、甲斐よしひろさんでした!ありがとうございました!」
…で、甲斐さんの滞在時間(約27分)は終了♪
続いては「全国のライブハウスの声を直接リスナーの皆さんにお届けしよう」というコーナー
「東京カルチャーカルチャー」の担当者の方がリモートで出演なさっていたんですが
萩原さんが、ザ・バンドの映画「ラストワルツ」の
トークイベントでお世話になったとおっしゃったのを聴いて
甲斐さんが、ご家族とご一緒に、下高井戸シネマで「ラスト・ワルツ」をご覧になった際にも
萩原さんと鈴木健太さんが、上映後にトークショーをなさっていて
Kainatsuさん曰く「お二人に馴染みの深い人(笑)」は
「『シンコーミュージック』とか『ボブ・クリアマウンテン』って言うたびに
一瞬、俺の顔をよぎるんですよ、目線が…(笑)
もう、頼むから、頼むから呼ばないでね…みたいなことだったんですけど
もう、体に悪い対談だなあ(笑)」と話されていたことを思い出しました(笑)