「…で、海援隊はハードロックバンドで、ジャックスのカバーやってて…
ドラムと、ベースが…みんなエレキで…」と甲斐さん
萩原さんが「武田鉄矢さんも歌ってたの!?」と驚かれると
「そうそう!そうそう!で、あの人だけは一緒なんだけど、周りは全部違ったんですよ
で、ジャックスの『堕天使ロック』とか
『ラブ・ジェネレーション』とか、そういうのやってた
で、すごい良いバンドだったの『ああ、イイなあ!』と思って…てか
『合間の喋り、長過ぎるわ!(笑)』って思ってたんですけど
それは、そっちが主流になっちゃってさ、まああの…
で、おまけに、チューリップが(東京へ)行く時に…
チューリップはロックバンドで行きたいっていうの、途中からもうどんどん…
ビートルズみたいになりたいってことじゃないですか
で、海援隊のドラムの上田雅利を引き抜く訳ですよ、ね?
(『なるほど…九州の中でそういう…』と萩原さん)
イヤ、だから…福岡だから、小さな街な訳じゃない?
つまり、その…ナンだっけ?東京だったら、池袋、新宿、渋谷とか
色々こう…ナンか、5つくらいデカイ街があるじゃないですか
(天神は)そん中の1コ(みたいなもの)だから…(『そこにギュッとしてたから』)…
そう!そう!だからもう、たぶんドラマーなんて上田雅利しかいなかったと思うんですよ(笑)
(『ドラム叩いて欲しかったら彼を…(笑)』)
そう!連れて行くしかないと…で、連れて行かれ…
まっ、財津さんもウマイから、あの…ちょっと人間的にこう…
ナンか分厚く感じさせるところがあるのね(笑)
あの…あとで、すごい仲良くなったらしい
『勘違いだってことが判った』って…(笑)
で、そういうのがあって、引き抜くでしょ
で、引き抜いたら、当然エレキベースが要らなくなるからもうヤメるじゃないですか
そうすると、結局その(海援隊は)引き抜かれたまんま…
リズムセクションがいなくなったんで、フォークグループになると…
だから、アマチュア…ナンか、残酷物語みたいな感じですね
で、僕ら、それを見ながら…高校生なんですよ
『へえ~!』みたいな…っていう感じですかね
そいで、僕は、高3に…高校3年の9月くらいにヤメたんですよ、ナンか、就職したくて…
あの…ウチ、すごいでっかい商売やってたんで、日銭じゃないですか
ちゃんとナンか…彼女もいたし『給料欲しいな』みたいな…『月給貰いたい』みたいな…
(『カタギの生活を送りたい?』と萩原さん)
そうそうそうそうそう!これ、ホントに真面目に…
それで、4ヶ月(会社に)行って…『あっ、もう…』…
最初のもう2ヶ月でもう『絶対、向いてない』と思ったの
(『その…働き出してね?旅行関係の所に行ったんですよね?』)
そうそう、旅行代理店…それも結構でっかいトコ
そいで、ナンかあの…駅に朝早くこう…バーッてこう…向かってるじゃん
そうすると、ちょっと小雨とか降って来るじゃん
だから、スーツ2着と替えジャケって、1コくらいしか持ってないじゃん
だからこう…ポツンポツンとジャケットに小雨が当たると
ちっちゃく煙がピッピッて上がるんですよ
だって、それ、クリーニング、しょっちゅう出せないから…
それ見て『ああ、向いてないな』って、すごい気持ちがメゲて…
(『でも結構、成績上げてたんでしょ?だって…』)
そうそうそう!だから、ヤメさせられるの大変だったもん
(『でも、そうやって、まあ働きに1回出て…でも、それで、やっぱり違うと…
ちょっと違うと、俺は歌うぞと、その照和に戻って…?』と萩原さん)
イヤ、それで、戻ってみたら、みんなが『絶対ヤメると思ってた』って言って…
思ってたらしいのね、みんな…だから、あの…『ウェイター、1つ空いてるから』
『甲斐さん、大変でしょ?食わなきゃいけないから』って言って…
(『で、ウェイターをしながら歌うようになったというね(笑)
僕、あの…照和に1回行った時に、このお盆を甲斐さんが持ってたんだって見せて貰った(笑)』)
ひっでぇな!それ(笑)…(『今、名物になってましたからね、これがね(笑)』)」
…と、脱サラならぬ、サラリーマンから脱落してしまわれたあと
照和に戻ってプロを目指すことになられた経緯を話されてましたが
当時の甲斐さんをご存知の方全員が「絶対ヤメる」と思っていらしたので
賭けが成立しなかったという件はなかったですね(笑)
萩原さんが「ちょっと…じゃあ、ここでちょっと1曲聴きたいなと思いますけども
あのー、甲斐さんは、その…ビルボードライブで
ソロのアコースティックコンサートみたいなのを毎年ずーっとやっていて
それをまとめた…えー、DVD BOXみたいなのをね
CDもほら、付いた、その…」と、告知の方へ話を向けられ
甲斐さんが「いわゆる、その…若い連中と一緒にやってて…
Wベースと、それからカントリーフレーバー的なリードギターと
それから、えー、フィドルと僕、みたいな感じですね」と編成を説明なさると
「そうですね、そのアコースティックセットで、ライブをやっていて
さっきも、あの…『吟遊詩人の唄』…レオ・セイヤーの(カバーの)ヤツ聴いて貰いましたけども
続いてはですね、これ…同じ2017年の録音からですね
『リピート&フェイド』の『オクトーバー・ムーン』をね、行こうかなと思うんで
ちょっと、甲斐さんの方から紹介して頂けますか」と振られて
「えー、ビルボードライブからの…2017年からのライブです」と
「オクトーバー・ムーン」が流されたものの
その曲の間も、お二人のお話は続いていたらしく?まだ、曲が終わらない内に
「えー、まっ、そういう場所が欲しくて、みんな…九州のアマチュアミュージシャンたちが
その照和って所で色々こう…発表の場を求めてたって…」と萩原さん
当時の博多のアマチュアミュージシャンたちの
活動の仕方みたいなお話をなさっていたのか?と思いきや
甲斐さんは「あっ!ゴメンね、僕、さっきね、ちょっと勘違いしてたんだけど
海援隊の千葉くんと、チューリップのボーカルの姫野くんは『ライラック』ってグループでした」
…と、前述の「アマチュア残酷物語」を訂正され
「あっ!別のグループだったの!?」と萩原さんを驚かせておられました(笑)
ちなみに…財津さんがプロデビューなさる際に引き抜かれたのは
海援隊の上田雅利さん、ライラックの姫野達也さん、ハーズメンの安部俊幸さんみたいです
ともあれ…「そうなの!そいで(ライラックは)サイモンとガーファンクルやってたんですよ
ムチャムチャ上手かったの!
財津さんは『フォーシンガーズ』って言って
チューリップの前身みたいな…そういう感じだったかな?まだ(甲斐さんが)高校生の時…
(『はあ!みんな色んなことやってたんですねぇ』と萩原さん)
そう…そいで、僕が戻って来た時に…
(『甲斐さんは戻って来た時は1人?ソロでやり始めた?』)
そう、僕は、その時ソロなんですけど…ハーモニカと生ギターで…
そん時にもうチューリップが、かなり形が着々と出来上がりつつある!みたいな感じですかね
とにかく、ギャラは安い訳じゃないですか
だから、あの…バンドのメシが出るんですよ
(『まかないみたいな感じですか?』)
まかない!それが、ぶあつ~い、ぶあつ~い、焼いてもいない食パンに
ただ、ジャム…いちごジャム、ベタっと塗って…で、レモンスカッシュ…出るんですけど
これが、嫌がらせのように酸っぱいのね(笑)ほんっとに!
で、みんな、ブーブー文句は言うんだけど、誰も残さないんですよ、もう…
だから、みんな学生だから…まあ、文句は言うんだけどね
(『でも、やっぱり平らげちゃうのね?』)」
…と、当時の「アマチュアミュージシャンの悲哀」について触れられてましたが(笑)
照和の時給が「ソロ600円、バンド700円」の頃は、3人グループで出演され
「今度はソロ!」と思っていらしたのに(笑)
結局、甲斐さん自ら交渉なさって「ソロ700円、バンド800円」に値上げして貰った
…って、それでもバス代くらいにしかならないですよねぇ(苦笑)
まあ、その100円に「恩義」をお感じになって
「夜ヒット」に花束を持って来られた後輩ミュージシャンの方がいらしたけど…(笑)