甲斐バンドのオールタイムベスト「Best of Rock Set かりそめのスウィング」には
「もう1曲、新しく録音された曲が…」と下埜さん
甲斐さんは「【ちんぴら】っていう曲ですね」とおっしゃったかと思うと
いきなり「昔、僕『照和』に…ライブハウス照和に…アマチュアの時に
僕、実はですね、僕がオーディション
係だったんですよ
チーフが全く音楽的素養がなかったんで、僕…No.2、僕だったんで
『甲斐、やってくんない』みたいな…」と話し出されたんですが
かつての甲斐報には…「照和に俺が戻って来た頃、シーンはドン底で
新しいマネージャーの広津さんに、幾つかの計画を提案した
1週間をフルに満杯にするために…
その一つは、アメリカンフォークのコピーバンドに辞めて貰うことだった
先輩だが、4年卒業時の区切りを上手く利用して、速やかに退いて貰った
そして、オリジナルが書ける新しいバンドの発掘のために
頻繁にオーディションを繰り返した」と記されていて
甲斐さんの方から持ちかけられた感もナキニシモアラズ(笑)
「それで、ナンか、いっぱい…
僕、オーディションしたバンド、意外とみんなプロになってるんですよ
まあ、長く続くか続かないかは置いといて…
で『ラム』っていうバンドとか、まあそういう色々…幾つかあって」と甲斐さん
ラムは、甲斐バンドがデビューした後
甲斐さんの担当されていたFM番組を引き継がれたバンドで
そのハーモニーの美しさが、ダークダックスに認められてプロデビューされ
その後、甲斐バンドが【フライのブルース】をカバーしたり
比山清さんが、アルバムのレコーディングに参加されたり
また、セイヤングで「解散しても福岡に帰らない(笑)」池浦均さんの話や
「福大出身じゃないのにOB会の世話役をやってる(笑)」とか
「靴を脱いだら身長が縮む」「ベルボトムの裾で床掃除をする」という
倉本明彦さんの話をなさっていたりと
正に照和で同じ時期を過ごされた仲間といった感じです
ともあれ…下埜さんが「甲斐さんの琴線に触れないと
合格にならなかったんですね(笑)?」とお訊ねになると
「イヤイヤ、1曲でも良い曲あったら、絶対通すんだけど
それはもう、ホラ、繋がるポイントがある訳ですから…
ただし、通す時に『1ヶ月歌って、ちゃんと書けよ、オリジナル』って…
一番最初に通したのモッズなんですよ
モッズの森山くんと、それからベースは…
あ、そのグループは『開戦前夜』って言ったんですけど
ボーカルはモッズの森山くんで、ベースがシナロケのベース(浅田タケシさん)
その2人が高校生で、それで坊主(頭)だったのを
お母さんのカツラ借りてやって来る(笑)
『それ、カツラだよね?』って…(笑)
イイでしょ?この話(笑)この変態チックな話(笑)」と甲斐さん(笑)
でも、映画「照和」の中で、森山さんが、この話をなさったことに
かなり驚かれてましたよね?(笑)
下埜さんが「それがストロング・ポイント?(笑)」と爆笑されると
甲斐さんは「そう!そう!(笑)
でも、森山は最初から良かったもんね
イイなー!コイツと思って…」とフォロー?(笑)
ただ、後にご自身のソロアルバムでカバーなさったくらい
「坊主頭をかきながらヌーッと現れ
テレたような愛想のいい笑顔でステージに立ち
生ギターとエレキベースという変則なスタイルで
いきなり、みんなのドギモを抜いた『開戦前夜』」の
「【えんじ】という曲が素晴らしく
今後もちゃんとオリジナルを書き続ける約束をさせて、一発でOKした」みたいですし
「『ナンでタイトルは【えんじ】なんだ?』と訊くと
森山は、ニカッと笑い『だって…初恋は、えんじっていう感じでしょうが』
…という答えに感激し、再度OKサインを出した」とおっしゃってました(笑)
「で…ナンか、半年くらい経った時に
ナンか、久留米の高校生バンドがいるんですよ
それも、1曲しか良くないのね
あと全然ダメなんだけど…それが、石橋凌…石橋くんで
…で『オリジナル絶対書けよ!』って、バンドにすごい言ったんですよ
なかなか…2ヶ月くらい全然書いて来ない…1回切ったんですけどね」と…
でも、イチローさんも映画「照和」で話されてましたが
「ここに来るのが精一杯」だったり
石橋さんのように「ここに出るのが目標」といったバンドも多かったようだし
門田一郎さんによれば「毎週、久留米から車でやって来る」のは
「根性があった」ってことみたいです(笑)
「で、その内、僕がプロになって消える…っていうね(笑)
厳しくしといて、ふいに消えるって、どう?これ…(笑)」と甲斐さん(笑)
下埜さんから「しかも、バンド3つ失くなってるっていう…(笑)
それは、やっぱ縦社会だからです(笑)」とのコメントがあり(笑)
「イヤイヤ、そんなことないよ!音楽は縦社会じゃないよ」とおっしゃると
「森山さんのこと、呼び捨てに出来るの、甲斐さんくらいですよ(笑)」と下埜さん爆笑(笑)
「それはだって、高校1年生だから…
僕、19歳だから大丈夫です!(笑)」との言葉に
再び「縦社会ですから(笑)」と…(笑)
「ナンで、その【ちんぴら】を思い出したかっていうと
これは、実は博多に僕らがそうやって巣くってる時の話なんですよ」と説明され
「ということで、甲斐バンド【ちんぴら】を聴いて下さい」とQ出し
約36分のインタビューが終わり
「様々な伝説を持ってる甲斐バンドならではのね、楽しい話が
…時効の話が(笑)いっぱい飛び出しましたけども
今回、何と言ってもベストアルバムの曲順通りに
コンサートをやってくれる試みも、ホント今から待ち遠しい」と
再び大阪ライブの告知があり
「この時間は、このベストアルバムからお届けしましょう」と
【ブルーレター】が流れたのは、インタビューの間中
ベストアルバムのCD-1から順番に流されて来た曲が
【フェアリー】までだったからじゃないかと…?(笑)
その後は…「SECRET GIG」の【港からやって来た女】(with 中島みゆきさん)や
【薔薇色の人生】【最後の夜汽車】が流れ
「先日、MISIAがカバーしたことで話題になりました
ZEPP NAMBAでMISIA観に行って
この曲がね、バッチリ、ハマってたんですよね
MISIAも九州出身なんで、先輩の名曲をカバーしたと言っていいかも知れません」と下埜さん
リスナーからのメッセージを幾つか紹介され
「お別れは、80年代の武道館ライブ鉄板のアンコール曲、参りましょう!
この曲を聴かないと終われない!
甲斐バンド【翼あるもの】を聴きながらお別れです」と結ばれてましたが
奥さんが大きく頷いたことは言うまでもアリマセン(笑)
余談ですが…紹介されたメッセージの中に
「小6の時の同級生が甲斐バンドファンで、初めて甲斐バンドを知りました
同級生の趣味がシブイわ!」というメッセージがあって
奥さんの同級生じゃないか?というウワサが…(笑)
「もう1曲、新しく録音された曲が…」と下埜さん
甲斐さんは「【ちんぴら】っていう曲ですね」とおっしゃったかと思うと
いきなり「昔、僕『照和』に…ライブハウス照和に…アマチュアの時に
僕、実はですね、僕がオーディション
係だったんですよ
チーフが全く音楽的素養がなかったんで、僕…No.2、僕だったんで
『甲斐、やってくんない』みたいな…」と話し出されたんですが
かつての甲斐報には…「照和に俺が戻って来た頃、シーンはドン底で
新しいマネージャーの広津さんに、幾つかの計画を提案した
1週間をフルに満杯にするために…
その一つは、アメリカンフォークのコピーバンドに辞めて貰うことだった
先輩だが、4年卒業時の区切りを上手く利用して、速やかに退いて貰った
そして、オリジナルが書ける新しいバンドの発掘のために
頻繁にオーディションを繰り返した」と記されていて
甲斐さんの方から持ちかけられた感もナキニシモアラズ(笑)
「それで、ナンか、いっぱい…
僕、オーディションしたバンド、意外とみんなプロになってるんですよ
まあ、長く続くか続かないかは置いといて…
で『ラム』っていうバンドとか、まあそういう色々…幾つかあって」と甲斐さん
ラムは、甲斐バンドがデビューした後
甲斐さんの担当されていたFM番組を引き継がれたバンドで
そのハーモニーの美しさが、ダークダックスに認められてプロデビューされ
その後、甲斐バンドが【フライのブルース】をカバーしたり
比山清さんが、アルバムのレコーディングに参加されたり
また、セイヤングで「解散しても福岡に帰らない(笑)」池浦均さんの話や
「福大出身じゃないのにOB会の世話役をやってる(笑)」とか
「靴を脱いだら身長が縮む」「ベルボトムの裾で床掃除をする」という
倉本明彦さんの話をなさっていたりと
正に照和で同じ時期を過ごされた仲間といった感じです
ともあれ…下埜さんが「甲斐さんの琴線に触れないと
合格にならなかったんですね(笑)?」とお訊ねになると
「イヤイヤ、1曲でも良い曲あったら、絶対通すんだけど
それはもう、ホラ、繋がるポイントがある訳ですから…
ただし、通す時に『1ヶ月歌って、ちゃんと書けよ、オリジナル』って…
一番最初に通したのモッズなんですよ
モッズの森山くんと、それからベースは…
あ、そのグループは『開戦前夜』って言ったんですけど
ボーカルはモッズの森山くんで、ベースがシナロケのベース(浅田タケシさん)
その2人が高校生で、それで坊主(頭)だったのを
お母さんのカツラ借りてやって来る(笑)
『それ、カツラだよね?』って…(笑)
イイでしょ?この話(笑)この変態チックな話(笑)」と甲斐さん(笑)
でも、映画「照和」の中で、森山さんが、この話をなさったことに
かなり驚かれてましたよね?(笑)
下埜さんが「それがストロング・ポイント?(笑)」と爆笑されると
甲斐さんは「そう!そう!(笑)
でも、森山は最初から良かったもんね
イイなー!コイツと思って…」とフォロー?(笑)
ただ、後にご自身のソロアルバムでカバーなさったくらい
「坊主頭をかきながらヌーッと現れ
テレたような愛想のいい笑顔でステージに立ち
生ギターとエレキベースという変則なスタイルで
いきなり、みんなのドギモを抜いた『開戦前夜』」の
「【えんじ】という曲が素晴らしく
今後もちゃんとオリジナルを書き続ける約束をさせて、一発でOKした」みたいですし
「『ナンでタイトルは【えんじ】なんだ?』と訊くと
森山は、ニカッと笑い『だって…初恋は、えんじっていう感じでしょうが』
…という答えに感激し、再度OKサインを出した」とおっしゃってました(笑)
「で…ナンか、半年くらい経った時に
ナンか、久留米の高校生バンドがいるんですよ
それも、1曲しか良くないのね
あと全然ダメなんだけど…それが、石橋凌…石橋くんで
…で『オリジナル絶対書けよ!』って、バンドにすごい言ったんですよ
なかなか…2ヶ月くらい全然書いて来ない…1回切ったんですけどね」と…
でも、イチローさんも映画「照和」で話されてましたが
「ここに来るのが精一杯」だったり
石橋さんのように「ここに出るのが目標」といったバンドも多かったようだし
門田一郎さんによれば「毎週、久留米から車でやって来る」のは
「根性があった」ってことみたいです(笑)
「で、その内、僕がプロになって消える…っていうね(笑)
厳しくしといて、ふいに消えるって、どう?これ…(笑)」と甲斐さん(笑)
下埜さんから「しかも、バンド3つ失くなってるっていう…(笑)
それは、やっぱ縦社会だからです(笑)」とのコメントがあり(笑)
「イヤイヤ、そんなことないよ!音楽は縦社会じゃないよ」とおっしゃると
「森山さんのこと、呼び捨てに出来るの、甲斐さんくらいですよ(笑)」と下埜さん爆笑(笑)
「それはだって、高校1年生だから…
僕、19歳だから大丈夫です!(笑)」との言葉に
再び「縦社会ですから(笑)」と…(笑)
「ナンで、その【ちんぴら】を思い出したかっていうと
これは、実は博多に僕らがそうやって巣くってる時の話なんですよ」と説明され
「ということで、甲斐バンド【ちんぴら】を聴いて下さい」とQ出し
約36分のインタビューが終わり
「様々な伝説を持ってる甲斐バンドならではのね、楽しい話が
…時効の話が(笑)いっぱい飛び出しましたけども
今回、何と言ってもベストアルバムの曲順通りに
コンサートをやってくれる試みも、ホント今から待ち遠しい」と
再び大阪ライブの告知があり
「この時間は、このベストアルバムからお届けしましょう」と
【ブルーレター】が流れたのは、インタビューの間中
ベストアルバムのCD-1から順番に流されて来た曲が
【フェアリー】までだったからじゃないかと…?(笑)
その後は…「SECRET GIG」の【港からやって来た女】(with 中島みゆきさん)や
【薔薇色の人生】【最後の夜汽車】が流れ
「先日、MISIAがカバーしたことで話題になりました
ZEPP NAMBAでMISIA観に行って
この曲がね、バッチリ、ハマってたんですよね
MISIAも九州出身なんで、先輩の名曲をカバーしたと言っていいかも知れません」と下埜さん
リスナーからのメッセージを幾つか紹介され
「お別れは、80年代の武道館ライブ鉄板のアンコール曲、参りましょう!
この曲を聴かないと終われない!
甲斐バンド【翼あるもの】を聴きながらお別れです」と結ばれてましたが
奥さんが大きく頷いたことは言うまでもアリマセン(笑)
余談ですが…紹介されたメッセージの中に
「小6の時の同級生が甲斐バンドファンで、初めて甲斐バンドを知りました
同級生の趣味がシブイわ!」というメッセージがあって
奥さんの同級生じゃないか?というウワサが…(笑)