私的表現と普遍性のバランスというのは
表現の上で一番難しい部分ですよねと甲斐さん
自分が物凄く私的なことを書いたとしたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
僕には、血反吐を吐くほどの思いで表現しようとする人たちは、私的なことを書いても
それは多分どこかで普遍性に繋がって行くはずだという直感だけがあったんです
吉田純子さんいわく…エリート学生のミックを音楽へと最初に突き動かしたのは
黒人文化に対するコンプレックスと強い憧憬だった
しかし、R&Bにとどまらずインドやアラビアの民俗音楽
カントリー、レゲエなどを貪欲に体内に入れることで
感性の混血が時代や地域への所属を超えた普遍性の源となることを証明した
萩原健太さんも『彼らの望みは一つだけ
生ある限り音楽を満喫し、数々の無名の先人の系譜に
自らも名もなき存在として連なること』と話され
シナトラのカバーアルバムをリリースしたディランについても…
定型を嫌い、ライブでは自作曲すら大きく崩して歌う彼が
意外にもケレンもてらいもなく丁寧に
シナトラの往年のレパートリーをカバーした
私的な題材をテーマに据えた楽曲を自作自演する美学の先駆者が
それ以前のプロの作家が普遍的なテーマのもと紡ぎ上げた楽曲を歌う
ディランのルーツといえば、ブルース、フォーク、ゴスペルといった
米南部の土臭い伝承音楽がまず思い浮かぶが
より都会的で洗練された音楽もまた大切なルーツなのだ
単に歌手としての力量や選曲センスの良さを強調しようとする狭い視点からではなく
アメリカの音楽の歴史というものが
どれほど幅広く豊かなものであるかを世に知らしめようとしている
音楽は、歌は、誰も歌わなくなったら、誰も聴かなくなったら
歴史から姿を消し、この世から消滅する
古い文化をいかに、誰が受け継ぐか、多くの分野で危機感が囁かれる昨今
これらのスタンダードナンバーとて油断は出来ない
新奇なものばかりに目を向けがちな業界に対し
彼なりのやり方で警鐘を鳴らしてみせたのだろう
何十年前に作られた曲であろうと、今の時代に有効に機能するのであれば
それは確実に現役の音楽だ…と記されてます
ピンク・フロイドのニック・メイスンが
20年前なら不可能だっただろうと言った最新にして最後のアルバムには
6年前に他界したリック・ライトが参加している音源が
最新のテクニックを駆使され甦っている
今は亡きメンバーとの共作であり追悼なのだというこのアルバムのリリースについて…
歳を取るのは悲しいものだが、自分たちはあまり成長していないらしい(笑)
発売に興奮しているし、聴き手がどう受け止めるか、震えてもいる
若い人に是非聴いて欲しいねと語ってます
同じく唯一無比のメンバー・フレディを喪ったクィーンのブライアン・メイは…
彼なしでは活動は出来ないと思った
でも、多くの人がクィーンの曲を愛し心に刻み込んでいるのに気づいたと話し
ポール・ロジャース、次にアダム・ランバートという若手のボーカリストを迎え、活動を再開
ただ、フレディが声を遺した未発表曲をリリースしても現在形の新作とは言えず
かといって、新ボーカリストを入れてレコーディングするつもりはないという
とにかく、フレディの真似は誰にも出来ないし、代わりを探す気もなかった
でも、アダムのような人材に巡り会うと
今までと違う感じでパフォーマンス出来るかも知れないと
ライブを展開したくなった
家族と同じで、僕が常に心にとめて生きているのがフレディ
だから、フレディはステージのどこかで僕らの演奏を
頷きながら聴いていてくれると思うと語ってますが
この記事には…今後、その時々でボーカリストを変えてライブを行うなら
クィーンは『バンド』というより『プロジェクト』になって行くのではないか?…と書かれてました
甲斐バンドの解散に際して、甲斐さんは
バンドがなくなっても曲は残るとおっしゃってたけど
この『気になる記事』に登場したバンドもそれぞれ形は変わっていても
曲は今も歌い継がれています
甲斐バンドは長岡さんが脱退され、大森さんは亡くなられましたが
今も甲斐さんやメンバーの皆さんが歌い続けておられ
クィーンのようなプロジェクト(苦笑)でないことは
ホントに素晴らしいことですよね♪
『優れた音楽は、人の記憶と結びつく
記憶を強化し、浄化し、救済する』
これは、ビートルズに向けられた言葉ですが
全ての音楽家に言えることだと思います
…って、まぢめな話は照れますね(汗)
次回はいつも通り、ゆるゆるで行かせて頂きます(笑)
表現の上で一番難しい部分ですよねと甲斐さん
自分が物凄く私的なことを書いたとしたら
それがきちんと普遍性を帯びているかを
表現者はどこかで客観的に見ることが出来ないといけない
僕には、血反吐を吐くほどの思いで表現しようとする人たちは、私的なことを書いても
それは多分どこかで普遍性に繋がって行くはずだという直感だけがあったんです
吉田純子さんいわく…エリート学生のミックを音楽へと最初に突き動かしたのは
黒人文化に対するコンプレックスと強い憧憬だった
しかし、R&Bにとどまらずインドやアラビアの民俗音楽
カントリー、レゲエなどを貪欲に体内に入れることで
感性の混血が時代や地域への所属を超えた普遍性の源となることを証明した
萩原健太さんも『彼らの望みは一つだけ
生ある限り音楽を満喫し、数々の無名の先人の系譜に
自らも名もなき存在として連なること』と話され
シナトラのカバーアルバムをリリースしたディランについても…
定型を嫌い、ライブでは自作曲すら大きく崩して歌う彼が
意外にもケレンもてらいもなく丁寧に
シナトラの往年のレパートリーをカバーした
私的な題材をテーマに据えた楽曲を自作自演する美学の先駆者が
それ以前のプロの作家が普遍的なテーマのもと紡ぎ上げた楽曲を歌う
ディランのルーツといえば、ブルース、フォーク、ゴスペルといった
米南部の土臭い伝承音楽がまず思い浮かぶが
より都会的で洗練された音楽もまた大切なルーツなのだ
単に歌手としての力量や選曲センスの良さを強調しようとする狭い視点からではなく
アメリカの音楽の歴史というものが
どれほど幅広く豊かなものであるかを世に知らしめようとしている
音楽は、歌は、誰も歌わなくなったら、誰も聴かなくなったら
歴史から姿を消し、この世から消滅する
古い文化をいかに、誰が受け継ぐか、多くの分野で危機感が囁かれる昨今
これらのスタンダードナンバーとて油断は出来ない
新奇なものばかりに目を向けがちな業界に対し
彼なりのやり方で警鐘を鳴らしてみせたのだろう
何十年前に作られた曲であろうと、今の時代に有効に機能するのであれば
それは確実に現役の音楽だ…と記されてます
ピンク・フロイドのニック・メイスンが
20年前なら不可能だっただろうと言った最新にして最後のアルバムには
6年前に他界したリック・ライトが参加している音源が
最新のテクニックを駆使され甦っている
今は亡きメンバーとの共作であり追悼なのだというこのアルバムのリリースについて…
歳を取るのは悲しいものだが、自分たちはあまり成長していないらしい(笑)
発売に興奮しているし、聴き手がどう受け止めるか、震えてもいる
若い人に是非聴いて欲しいねと語ってます
同じく唯一無比のメンバー・フレディを喪ったクィーンのブライアン・メイは…
彼なしでは活動は出来ないと思った
でも、多くの人がクィーンの曲を愛し心に刻み込んでいるのに気づいたと話し
ポール・ロジャース、次にアダム・ランバートという若手のボーカリストを迎え、活動を再開
ただ、フレディが声を遺した未発表曲をリリースしても現在形の新作とは言えず
かといって、新ボーカリストを入れてレコーディングするつもりはないという
とにかく、フレディの真似は誰にも出来ないし、代わりを探す気もなかった
でも、アダムのような人材に巡り会うと
今までと違う感じでパフォーマンス出来るかも知れないと
ライブを展開したくなった
家族と同じで、僕が常に心にとめて生きているのがフレディ
だから、フレディはステージのどこかで僕らの演奏を
頷きながら聴いていてくれると思うと語ってますが
この記事には…今後、その時々でボーカリストを変えてライブを行うなら
クィーンは『バンド』というより『プロジェクト』になって行くのではないか?…と書かれてました
甲斐バンドの解散に際して、甲斐さんは
バンドがなくなっても曲は残るとおっしゃってたけど
この『気になる記事』に登場したバンドもそれぞれ形は変わっていても
曲は今も歌い継がれています
甲斐バンドは長岡さんが脱退され、大森さんは亡くなられましたが
今も甲斐さんやメンバーの皆さんが歌い続けておられ
クィーンのようなプロジェクト(苦笑)でないことは
ホントに素晴らしいことですよね♪
『優れた音楽は、人の記憶と結びつく
記憶を強化し、浄化し、救済する』
これは、ビートルズに向けられた言葉ですが
全ての音楽家に言えることだと思います
…って、まぢめな話は照れますね(汗)
次回はいつも通り、ゆるゆるで行かせて頂きます(笑)