ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ラジオ

2013-08-20 21:35:12 | 日記
ボクは、甲斐さんとラジオって
定番の組合せのように思ってたんだけど(笑)

そもそもの始まりは
文化放送のディレクターの方が
神田共立講堂で甲斐バンドのライブをご覧になったことらしい

甲斐さんが岩崎宏美さんの【ロマンス】を歌われたのを見て(笑)

『やたらカッコいい』という印象から
『こんなミーハーな面もあるのか!?』(爆)と
その日の内に打診されたそうだ(笑)

ちなみに、甲斐さんが担当された
『セイ!ヤング』金曜日の前任者はグレープだったとか…(笑)
グレープが解散して甲斐さんが…スミマセン!

当時、ニッポン放送では
すでにオールナイトニッポンが放送されていたようで

土居まさるさん、落合恵子さん、みのもんたさんなどが人気を博しておられたという

甲斐さんのセイヤングの裏は
南こうせつさんが担当していらっしゃったらしい(笑)

初DJについてのインタビューに甲斐さんは…

初めてだから、夢中で何が何だか判らないんで
参ってるけどガンバッてます(笑)

喋るのはあんまり得意じゃないけど(笑)
喋り出すと、とめどがなくなるんだ(爆)

だから、ディレクターなんかは
変なこと言い出すんじゃないかって心配してるみたい(笑)

でも、遠慮しないで好きなようにやらして貰うとおっしゃってます(爆)

ちなみに
甲斐さんをスカウトされたディレクターの方は
甲斐さんの初放送の前に
編成部へ異動になってしまわれたそうだ(苦笑)

1976年4月16日、第1回の放送で
『えー』と280回も言ったという大記録(爆)を残して

甲斐バンドのメンバーから
『トチリのよしひろ』と呼ばれたらしい(笑)

メンバーの誰が数えてたんでしょうね?全員?(爆)


それはさておき…

昼間の番組では落語家やタレントの方が
お笑いと歌謡曲、クイズとプレゼントといった

いわゆるお茶の間的な放送をされていたのに対し

深夜放送では
まずパーソナリティのキャラクターが若者たちを惹き付け

肉声によるコミュニケーションが成立していたという

特に、甲斐さんのセイヤングは

純粋音楽番組というより
キャラクターとトーク中心の番組として
認識されていたらしい(爆)


当時の甲斐バンドは
『フォークとロックの中間的な?ボーカルサウンド』
と言われていたようだけど(苦笑)

甲斐さんは、その音楽性を
番組を通じて一般にもっと理解して貰いたい

そのためにメンバーにも出て貰う予定だと話されてます

『サウンドストリート』を担当されていた頃のインタビューにも

ここで語っていることは
甲斐バンドで歌っていることと同じなんだよね

曲を作る時や歌う時に、ある思いがある
それを番組で言ってるわけ


以前にも触れましたけど…

放送作家の寺崎要さんが色んな方に
『何故ラジオで話すのか?』と訊ねたら

中島みゆきさんは
『伝えたいことがあるから』と答えたという話…

甲斐さんがおっしゃったことと同じですよね

だから、構成作家も居ないし(笑)台本もないし
全ての投稿ハガキに目を通し
曲も全部、甲斐さんが用意され

NHKだろうとお構い無く(笑)
本音を吐いて来られたんでしょう

開局以来の最多投稿記録を打ち立てた時に

俺が真剣に語って、皆が真剣に書いてきてくれると
こっちが胸打たれるのね、嬉しかったよ
とおっしゃったそうだけど

ライブについても

最初こそ俺たちが観客に向けて熱を発するんだけど

最後には俺たちが観客からエネルギーを貰ってるんだよと話されてます

テレビと違って、顔の表情も姿も見えないけど
ラジオって全身を使って話さないと何も伝わらないんだよね

という甲斐さんの言葉…
やっと少し判ったような気がします(汗)


余談ですが…
『セイ!ヤング21』が復活した時
甲斐さんは
放送時間帯が夕方からだったことに戸惑われたそうだ

甲斐さんにとってのラジオは
それこそパジャマでやっていいくらい(爆)
自由なものらしくて

若い時間帯にどれだけリラックスして
自由なトークが出来るか?と考えておられたという

今のセイヤングを聴く限りでは
この上なく自由に(笑)楽し気に(爆)
話されていると思います♪
コメント (9)
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