
教壇で、
「不安で孤独な人生を ぶるぶるふるえながら生きることです」
「存在に対する吐き気 絶望の地平におろおろと生きること これしかないんです」
なんとも気の滅入る内容だ、手をふり足をふんでのパフォマー、前向きじゃあない。
彼ら実存主義者も、他の哲学各派を講義したが、それは通りいっぺんのつけ焼き刃、考えに考えぬいたものではない、表面をかすっただけで、つっこんだ質問をすると怒りだし、
「キミイー ものごとの本質はねー 不可知なんだぞー」
だから、そこから一歩も進まない、そのため学生を感化することがなかった、「思考する」ことの醍醐味が伝達されない、仕事を終え、街中を歩きだした団塊の世代のアタマの中はカラッポで、思想の花が咲いていない。
「クズが教壇に立っている」の真意は、そのことだったのか。
建設政務次官の秘書を止めて、別の大学の大学院に入ったのだが、その大学に、東大で哲学の講座をもっていた川田熊太郎先生がやってきた、先生は、どういうわけか、大学院の講義を持たなかった。
しかたない、学部に行こう、最前列に席を取る。