秩父宮は帝国陸軍の将校であったから、軍事訓練を指導し、真冬の渡河も率先する、そして、日曜・祭日は多くの訪問客を受け入れた、これでは、
「どんなに頑健であっても 身体がもたない」
終に発病する、悪意は無かったのであろうが、それは「贔屓(ひいき)の引き倒し」。
終戦の際の昭和天皇の果断な行動は、あるいは、
「英邁な弟君が あらせられたからではあるまいか」
それは、
「なにがあっても 弟がいる」
見えない助力があったのかもしれない、
「あのヒトラーを叱咤激励(しったげきれい)した秩父宮がいる」