The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

上海相場の暴落 10

2015-07-25 09:10:36 | 世界経済
              
 満州国の建国大学の名簿を見ていたら、瀧川政次郎先生の名前を見つけた、私の歴史学は先生の著作から出発している、先生の論文は、名文である。

 これに比すると司馬遼太郎が、いかに世渡り上手の「もの書き」であるかが歴然とする、かつて神田の古書店で先生の論文を渉猟した、手紙を差し上げると、ぶるぶると震える文字が、
 「若い時の論文を読んでくれてありがとう 私はすでに齢(よわい)九十を越えて ただただ死を待つのみ」
 「・・・」
 「今後一切 手紙を書かないでください」

 年齢と時代には勝てないか、過日、古書店で会った老学者が、
 「わたしが死ぬのは なんとも思わないが」
 「わたしの脳が 燃えてしまうのがさびしい」
 ニッポンの老学者の帰った後、古書店の主人が、
 「あの方は 国宝みたいな人なんですよ」   
 「マスコミに出ることもせず 一生を研究に奉げてきました」

 瀧川先生、モンゴルを旅していた時,一頭のヒツジの後ろでヒツジ飼いの男がなにかをしている、彼の腰が、
 「クイクイ クイクイ」
 「クイクイククイ ククイのクイ」
 「もひとつおまけに ククイのクイ」
 すると、メスのヒツジが、
 「メー メー メー」
 「メーメー メーメー メメンがメン」
 「メフェ メフェ メフェメフェーン」

 あれをしていたのだ、先生、双眼鏡を握りしめたまま、しっかりと見届けた、フツーの学者ではしないことだ、これによって、漢民族と羊の関係また牧畜文化との密着が彷彿とする。

 だから、先生の漢字の研究には味がある、
 「美」は、羊(ヒツジ)の後ろで両手を広げた「人」、
 「士」は、男のナニが屹立したカタチだって、そして、
 「彦」は、サンヅクリ(毛をあらわす)の上にあれ、男の名前につけるわけだ。