goo blog サービス終了のお知らせ 

The orthodox civilization is the festival politics of Japan

「安藤真の『世界文明の正統は』」の続き、祭政は人間中心を超え物質文明を越える、これを受け継いでいるのが日本の伝統と文化

ミデアンの荒野から 7

2013-01-12 09:10:48 | Weblog

 明治年間、アイヌの村で起こったことは事実であったのか、それとも、たんなる妄想や幻覚だったのか、なんとも判断ができない、妄想・幻覚であれば、それは、地上的なヒトの心理現象であり、この時間・空間の範囲内ということになる。

 だが、事実であったならば、どう考えたらいいか、まったく違う原理・次元の介在を設定しなければならない、どうだろう。

 古代文明には、現代の科学でも解明できないことがある、メソポタミアの数百トンの石柱、エジプトの壁画の大きな電球、そして、シュメールには、二人の神々の間に塩基配列が建立しており、手にはスマホのようなモノ、「遺伝子操作」の現場ではあるまいか。

 カミソリの刃一枚通さないインカの石の壁、その完成度の高さはどうだ、江戸城の石組みを見る度にインカの精密さの秘密を知りたくなる、なにが、あったのか。

 現代人とは、全く違う発想法か、そして、それ以外の可能性もあるのかもしれない・

ミデアンの荒野から 6

2013-01-12 09:03:57 | Weblog

 このエピソードを手島は、
 「私は思いました、『まことの伝道者とは、こうあるんだな、そうでない間は、本を読んだり知識を語ったり、何かの話をしたりする、どうしても本当の伝道ができない、しかし、キリストがともに居ましたもうならば、もっと神秘なことが伴うはずだ』と」

 バチュラーと手島は、この現実的世界以外の次元に足を踏みこんでいたのかもしれない。