日伊文化交流会

サークル「日伊文化交流会」は板橋区で生まれ、元東都生協登録サークルとしてイタリア好きの人たちが集まり楽しく活動しています

ローマのティベリナ島の病院を取り上げた「K症候群 ユダヤ人を救った謎の感染症(Syndrome K)」を見ました(2020.8.12放映)@NHKドキュランド

2020年10月13日 | イタリアの歴史

ローマのティベリナ島の病院を取り上げた「K症候群 ユダヤ人を救った謎の感染症(Syndrome K)」を見ました(2020.8.12放映)@NHKドキュランド


K症候群 ユダヤ人を救った謎の感染症」(NHKドキュランド)を録画で見ました

イタリア語を学び始めた14年前 ある大学の講座でローマのティベリナ島について聞きましたが ここにはカトリック系のファーテベネフラテッリ (よい行いをせよ という意味)病院があって 今もまだやっていると聞きました(当時の語学力は乏しくて覚えていません)

それがこのコロナ禍にあって 第二次大戦中にイタリア人医師たちが謎の伝染病を創り上げ ユダヤ人たちをナチスから救ったという事実があらためて注目を浴び 映画にもなったそうです

イタリア人の 機転を利かせて苦境を乗り切るメンタリティー 不屈の反骨精神を感じました

       *       *       *

第二次世界大戦中 ローマのユダヤ人コミュニティも ナチスによるユダヤ人迫害の標的となっていました

ユダヤ人たちを救うため ローマのティベリナ島(テヴェレ川の中州)にあるカトリック系の「ファーテベネフラテッリ病院」((Ospedale San Giovanni Calibita Fatebenefratelli) )の医師とスタッフたちが 偽の感染症「シンドロームK(K症候群/Syndrome K)」を作り出し 数々のユダヤ人を救ったというドキュメンタリーです

1943年7月 ムッソリーニ政権が倒れたあと 新イタリア政府は連合国側と協力して 以前の同盟国であったナチスドイツに宣戦布告しましたが 北部とローマはイタリア社会共和国(サロ共和国)としてナチスの支配下にありました 

また当時の教皇ピウス12世は ナチスのユダヤ人迫害に対し明確な非難をしておらず 戦後も批判を受けてきました 

1943年10月16日 ローマのユダヤ人コミュニティ・ゲットーへのナチスによる手入れが始まり 数百人がアウシュヴィッツに送られました
1938年 イタリアでは人種法が認められましたが この一斉検挙でもってようやく命の危険を身近に感じた一握りのユダヤ人家族たちが 居住区であるユダヤ人地区からはわずか200メートルにあるティベリナ島にあるこの病院に助けを求めたのです

医師たちは彼らを患者として受け入れ 実在しない感染症「シンドロームK(K Syndrome)」を病名としてカルテに記して 特別病棟を作ってユダヤ人を保護したのです

この「シンドロームK」は 筋金入りの反ファシスト活動家のジョバンニ・ボッロメオ医師によって名づけられました

暗号名のKは ドイツ軍のイタリア戦線司令官アルベルト・ケッセルリンク ナチスローマ警察長ヘルベルト・カプラーの頭文字ですが 2人は後に戦犯として有罪となっています 
また結核(Koch Syndrome)その他の病名もKであることからKという文字が使われたそうです

1944年6月5日に連合国軍がローマを解放 ナチスによる迫害は終わりますが このファーテベネフラテッリ病院の使命と医師たちの機転は ナチスの恐怖に対する勇敢な行為として高く評価され 2019年にはドキュメンタリー映画『Syndrome K』が製作され 2020年1月に公開されました

番組よりピックアップ:

ファーテベネフラテッリ病院では 3人のイタリア人医師が命の危険をかえりみず ユダヤ人たちを保護していたのです 自分にどんな運命が待っていようとも…

「最後に勝つのは 勇気です」

米ホロコースト記念博物館 フレミング女子のインタビュー:  ユダヤ人がたよりにできる施設がたくさんあるローマのような街は珍しかったのです

教皇ピウス12世は 当時中立を保とうとしていました

ジョヴァンニ・ボロメオ(Giovanni Borromeo)内科医長は 反ファシストでした

アドリアーノ・オッシチーニ(Adriano Ossicini)医師は反ファシスト活動家であり ナチスに逮捕され拷問を受けました

ヴィットリオ・サチェルドーティ(Vittorio Sacerdote)医師は ユダヤ人だったためアンコーナの病院を解雇され 縁あってここで働くことになったのです

これは架空の病気であり 病院の一部を完全な隔離病棟にしました
きわめて高い感染力があり 重い神経疾患をひきおこすというものでした 
病院内に秘密の無線基地を作りレジスタンスと連絡を取り 印刷機も備えて秘密のビラも印刷していました
偽造カルテや書類は完璧で  50人ほどの患者たちはずっと入院はせず 数人ずつ退院させ 修道院に入れさせ 患者は入れ替わりました

1943年10月16日 一斉検挙が始まりナチスがユダヤ人をとらえにきました 病院にあった無線機を地下の暖房器具の中に隠しました  

ローマで暮らすユダヤ人は約13,000人 みな結束が固かったのです
修道院や近隣住民が手を差し伸べました 
この一斉検挙のあと ユダヤ人たちが入院させてほしいと頼みにきたのです

医師たちは 偶然できた30分の空白時間の間に にせ患者たちにドイツ兵の前で咳をするように言いました 感染症の恐怖に無敵のSSも怖れをなしました

ボッロメオ医師の息子のインタビュー:
10月末にナチスが病院にユダヤ人と反ファシストを探しにやってきた時 父は「シンドロームK」の病棟に一行を案内し いかに恐ろしい病気であるかを説明し 病棟内の捜索を許可したのですが 
大変感染力が強く神経障害をもたらすと聞くと ナチスは中に入ることを拒否し去って行ったそうです

1944年6月4日  北上する連合国軍によりローマはようやく解放され ナチスはローマから撤退しました
ローマのユダヤ人の8割が生き延びました イタリア人の善意のおかげでした

ボロメオ医師の息子にインタビュー: 「父は言った 私たちは人類というひとつの人種だ 
医師になったのは天職だと
怖くなかったかと尋ねると母は言った すごく怖かったけど あれが私たちの運命だったの と」

サチェルドーテ医師: 「勇気を持ち 誠実でいれば 人生は美しいものになる そう信じています」
オッシチーニ医師:  戦後も勤務し続け本を執筆し 2019年没 


「最後に勝つのは 勇気です」

ナチスのローマ占領後 4,500人以上のユダヤ人が 教会や修道院などバチカン所有の施設に身を隠しました
そのほとんどが ナチス占領下を生き延びたのです...

ユダヤ人を救った架空の感染症「シンドロームK」(2020.9.10)は こちら

映画「Syndrome K」(2020)は こちら (trailerが見られます/英語)

* 写真は ローマのティベリナ島 うしろの茶色の建物がファーテベネフラテッリ病院です


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