このブログで何度も取り上げた山崎豊子原作の映画とドラマ『白い巨塔』の主舞台・浪速大学医学部のモデルは国立大阪大学医学部である。
山崎は複数の大学をモデルにしたと言っているが、直接のモデルとなったのはどう考えても大阪大学である。
1966年の田宮二郎主演の映画『白い巨塔』で戝前助教授(田宮)は関西弁を使っているし、東都大学から来た東教授以外ほとんどそうである。
なぜか、浪速大学で戝前と同級であった里見助教授は標準語だったが。
1978年のフジテレビのドラマ版では田宮の演じる戝前は標準語になっているし、大学と医学関係はみな標準語である。
ただし、佐々木庸平の家族などその他の庶民は関西弁を使う、という変な設定になっていた。
それはともあれ、浪速大学のモデルは明らかに大阪大学なのであり、浪速大学医学部附属病院は大阪大学医学部附属病院なのである。
これは2004年の唐沢・江口版でも同じである。
それらすべてにおいて浪速大以外の大学で有力なものは別名になっている。
東京大学は東都大学、京都大学は洛北大学、鳥取大学(?)は山陰大学である。
しかし、千葉大学、東北大学、金沢大学、愛媛大学、岡山大学などはそのままの名前で出てくる。
東大と京大と里見が飛ばされる予定だった鳥取大の名前を伏せたことは、「浪速大学=大阪大学」だからである。
それをあからさまにしないためにそうしたのである。
とにかく、あのドラマで浪速大学医学部は大阪の企業や財閥との癒着が指摘され、大阪という商人の街で絶大な信頼を得、権力を振るっていたことが描かれている。
阪大医学部も実はそうなのである。
少し古い本だが、和田努の『大学医学部 その人脈と名医たち』(1991年、日新報道)では阪大医学部は「東大、京大を凌ぐ町人の町の実力派」として紹介されている。
旧帝大の中で六番目にできた大阪大学の医学部は、その後急成長し、医学部旧御三家の九州大を抜いて、新御三家となった。
つまり、東大・京大・阪大が医学部新御三家なのである。
この中で阪大が一番臨床に力を入れ、病院としての信頼を獲得し、商人の町の財力のバックアップを受けつつ、戝前のようなやり手教授を生み出しているのである。
実は東大も京大も医学部は看板学部ではない。
それに対して阪大は医学部が看板なのである。
そして、旧帝大として研究にも強く、かつ臨床は東大と京大を凌いでいる。
この点は実は私学の勇・慶應医学部に似ている。
事実、阪大医学部と慶應医学部は東大・京大に次ぐ三位の座を常に争っている。
大阪では病院と言えば「阪大病院」なのであり、そこなら死なないし死んでもかまわない、という絶大な信頼を集めている。
財界のお金持ちに特に人気なのは慶應と同じである。
ちなみに、1978年のドラマ版『白い巨塔』では中之島に巨大な船のように浮かぶ大阪大医学部病院がはっきり出ていた。
次の動画の2:45のところを見よ。
https://www.youtube.com/watch?v=pPPqAcNnjVA
次の画像は、建設中のものであるが、中之島にあった旧阪大病院のビルである。
周知のように、このビルはもう取り壊され、郊外の吹田市に移転し、次のような立派なビルの病院に生まれ変わった。