心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

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天野篤教授

2012-08-26 10:24:49 | 医学・医者

先日、天皇陛下の心臓のバイパス手術を執刀した順天堂大学医学部心臓血管外科の天野篤教授は色々と考えさせる存在である。
既に多くの人が彼について語っているが、その中で注目すべきなのは東大医学部vs.私立医大という対置図式である。

天野教授は埼玉県立浦和高校から三浪で日大医学部に入った。
浦和高校は当時東大合格者60人ぐらいの公立名門校である。
東京都の日比谷高校、埼玉県の浦和高校と呼ばれた公立全盛期の卒業生である。
しかし、受験勉強ではさえなく、二浪目まではどこもだめ。
三浪目にようやく日大医学部にひっかかった。
日大医学部は日大では別格の存在である。
旧設の私立医学部で伝統も人脈もある。
外科系、小児科、肝臓病、脳神経外科救急には定評がある。
しかし、巷の素人さんの評判はよくない。

板橋区に住んでいたころ、日大病院の近くをサイクリングしていた時、主婦の会話を小耳にはさんだ。
「東大病院なら間違わないけど、日大病院だと間違いそうじゃない」
「でも日大病院のほうが患者の権利守りそうね」

これが内実を知らない平均的市民のイメージである。
「間違わない」って、入学試験の話してんじゃないぞ。

それが今回の天皇陛下の手術である。
東大病院の心臓外科の教授は、自分の腕に自信がなかったので、近くの順天堂大学のゴッドハンド天野教授にお頼みした。
実は東大病院とその関連には天野教授をしのぐ人が一人もいなかったのである。
国立、旧帝を見渡しても、誰も日大出身の天野さんにはかなわない。

ネットの掲示板では医学関係人が辛辣な意見を述べ合った。
東大医学部は国の税金を湯水のように使い、いざとなると私大出身の私大教授に泣きつくのか、という意見が多かった。

これで「東大病院なら間違わないけど、日大病院だと間違いそうじゃない」という素人の意見が、実情を知らない単なるイメージであることが明らかとなった。
実は東大理Ⅲには偏差値が高いという理由だけで受験・入学する者が多い。
医学部というものはそういう理由で入るところではない。
病気で苦しんでいる人を救おうという崇高な意志をもって入るところなのである。
天野さんは、父親が心臓病で死んだことが、医学部入学の動機だったのである。
そして、大学入学後、卒後、死ぬほど勉強して、手術の腕を寝ないで磨いた。
彼こそ医師の鏡である。

国民はそろそろ学歴や学閥ではなく、実力というものの重要さに気付くべきなんじゃないのか。

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