心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

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精神医学と人生論

2016-05-16 09:25:57 | 精神医学

精神医学は医学の中でもちょっと変わった分野である。

それは外科学や内科学と違って実証性や科学性が薄弱であるような印象が強い。

ある内科学の学者は「精神医学、あれは医学かね。文学じゃないのか」と言ったそうだ。

一般的印象として、精神科の診断や治療は、いわゆるカウンセリング中心のもののように思われ、身体医学の範疇から外れているように感じるのである。

つまり、精神科は身体の一器官たる脳を治療しているというよりは、「心の悩み」を癒しているところのように思われているのである。

印象としては精神分析や臨床心理学がウェートを占めている。

ところが、精神科での治療はもっぱら薬物療法が中心で、3分~10分の問診と薬の処方がほとんどである。

そして、この短い問診も、服薬中の薬の効き目や副作用の話が中心で、付加的に最近の精神症状や身体症状が聴かれるにすぎない。

たとえば、幻覚・妄想の強弱、不眠の改善、食欲、頭痛・腰痛、不安・緊張、自殺念慮、職場復帰、恋愛・・・・・等々。

ただし、精神科医の中にも薬物療法と身体症状の扱いが得意な内科的医者と精神病理や臨床心理が得意な医者がいる。

ただし、後者も精神薬の処方と脳の病理のプロなので、心理に偏重していることはない。

しかし、精神と身体を統一して患者の苦悩と苦痛に対処するのが精神科医であり、そのためには精神療法と身体療法(薬物療法)双方に通じていなければならない。

つまり、精神科たるものは心理と生理、精神療法と薬物療法の両方に精通しいてることが理想なのである。

これは特に「うつ病」の治療に関して最近やかましく言われていることである。

うつ病は「心の風邪」とも言われ、精神疾患の中でももっともポピュラーらものであり、日本人の全人口の二割はこの病の傾向を有し、その十分の一が実際に精神科に通院している。

あるいは通院・治療が必要な状態にある。

うつ病の治療の原則は休養と服薬であるが、認知行動療法などの精神療法や生活指導や環境の調整と重要である。

それなのに、ここ30年の間、精神科におけるうつ病の治療は薬物偏重であり、うつの心理-環境-生活的原因をあまりにないがしろにしてきた。

うつ病には内因性の要因が強いもののほかに、生活上のストレスが強くかかわっているものがある。

たとえば、ブラック企業における過酷な労働環境に起因する反応性うつ病がその代表である。

月に残業120時間で休日が二日程度といったブラックな職場はそこらへんに散在しているが、こういうところに努めていると、数か月でうつ病になる。

そして、ついに耐えかねて、偏見をもっていた精神科(メンタルクリニック)の門をたたくことになるのだが、治療の中心は薬物である。

抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬を計5種類ぐらい処方され、家に帰る。

恐る恐る飲んでみると、その夜は爆睡、その後二週間ぐらいは「あ、少し楽になった」と感じるが、ブラックな勤務状態が変わらないので、そのうちまた病状は元に戻る。

すると、精神科医は薬を変えるか増やすかする。

一番いいのは、職場環境を変えるか、あるいは思い切って退職して、十分な休養(三か月)をとり、心身の復調をすることである。

それをしないで、薬で押し切ろうとしても無駄である。

薬は、休養による心身の復調と合体してこそ初めて効果を発揮するのである。

心身的生命の自然治癒力こそが基本であり、薬はその補助なのである。

ちなみに、こうした過労死寸前の精神肉体疲労に由来する「うつ」のほかに、強い心的外傷や精神的ストレスや借金苦や病苦による「自殺念慮の強いうつ」がある。

さらに、その他に、「人生の意味を見失った虚無感にゆらいする、自殺念慮が強いうつ」もある。

たとえば、芥川龍之介の「将来に対するぼんやとした不安」によるうつと自殺の決行がそれにあたる。

とにかく、あらゆるうつとうつ病には自殺念慮がつきまとい、それゆえ「人生の意味への問いかけ」が付随するのである。

作家の多くはうつ病の傾向を抱えており、それが作品における人生や人間の本質への問いにつながり、叙述を深いものにし、芸術性や哲学性を高めている。

また、うつ病だけではなく、躁うつ病や神経症や心身症や統合失調症でも病は人生論と親近性をもっている。

精神疾患は脳のシステム的機能変調であると同時に人生の苦悩でもあるのだ。

もっと簡単に言うと、心の病は脳の病気であるとともに人生の病なのである。

芥川の晩年の告白的作品を読むと、精神症状と身体的不調が人生の苦悩や人間への懐疑と渾然一体になっていることが痛感される。

太宰の精神病院入院日記である「HUMAN LOST」はもっと直接的である。

また、有島武郎や夏目漱石作品も、精神病と人生、精神病と人間への懐疑が実体験に裏打ちされた芸術性をもって読者の心を打つ。

こうした文学作品例は枚挙に暇がないが、最近多い精神病患者の自伝や闘病記からも「精神病と人生」が読み取られ、そこから慧眼の読者は「精神医学と人生論」というテーマへと移っていくのである。

とにかく精神医学は、「実証的科学たらねばならない」という分別くさい見栄を捨てて、脳の病理と人生論を統合する真の心の医学にならなければならないのである。

 

 

 

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