心と神経の哲学/あるいは/脳と精神の哲学

心の哲学と美学、その他なんでもあり

哲学B1 文章講義(第25回目)

2022-01-06 07:25:08 | 哲学

今日は「3 自殺の臨床哲学の可能性」について話す。

 

君たちは自殺したくなったら誰に相談するであろうか。

あるいは、人が自殺したくなったら、どこに相談に行くと思うか。

 

第一選択肢は精神科のはずだが、精神科は思いの外信頼されておらず、親、友人、先生、民間の心理カウンセラーのような人、宗教関係などを頼りとするようだ。

大学にも学生相談室や保健室があるから、とりあえずそこに行く者もいるであろう。

 

なぜ、精神科に直行しないのか。

それは日本人の意識に深く刷り込まれた心身二元論、つまり精神と物質の二元分割によってである。

医学はあくまで物質科学として病気を治すものであって、精神という聖域に関わることは許されない、というわけである。

かなり軽薄な信念だが、本人は確信しており、揺るがない。

精神科は脳の機能障害に定位して、諸々の精神の不調、精神疾患を治療するものなのだが、誰もこのことを知らない。

精神科では薬物療法が中心となっていることは知っているが、それを「薬漬け」とか「麻薬で誤魔化すようなもの」と受け取り、精神という聖域を守ろうとする。

そういう思い込みに囚われた者が、実際に統合失調症になったらどうなるか、という例をテキストで取り上げて説明している。

 

他方、軽薄な唯物論によって「脳を薬によってチューニングして、楽チンして精神の不調を治そう」と主張する馬鹿者もいる。

かつてベストセラーになった『完全自殺マニュアル』の作者である。

この作者は、その後覚醒剤不法所持によって逮捕され、その後どこに行ったか分からなくなった。

 

心の臨床哲学は、こうした二つの両極端な立場、軽薄な精神主義と薄っぺらな唯物論の中道を行く観点から、自殺の意味を捉え、それに対処しようとする。

それは簡単なようでいて、意外と難しい。

その意味を深く考えてほしい。

 

なお、自殺は安楽死の問題にも関わる。

多くの人は闇雲に自殺を否定し、それを蛇蝎のごとく忌み嫌う。

しかし、私は自殺を必ずしも否定しない。

特に、前にあげた四人の作家のような例はむしろ賞賛に値する、と思う。

 

人類は人口爆発の状態にある。

このままでは地球の自然環境を破壊し続け、多くの生物を巻き添えにして、地球自体を物理的破滅に追い込むであろう。

単に人類が滅亡するだけではなくて、地球自体を破壊してしまうのである。

しかし、もし地球が自己組織化する有機体として、自動的に自己を存続できるように舵を切るなら、ある手段をもって人類の数を間引こうとするであろう。

能産的自然の自己組織性とは、そういうものなのである。

そして、新型コロナのパンデミックはその一環だとも言えるのである。

 

我々は人間を神の子、神聖な精神的生物として特別視する観点を捨てて、自然に対して少しは謙虚になるべきなのである。

そのためには、宗教というものをこの世から抹殺する必要がある。

それと、悪徳政治である。

科学に関しては、科学哲学による厳しい監視が必要となる。

 

ちなみに、この講義は来年は一応対面授業になる予定だが、多分オンラインに切り替わると思う。

我慢して、多量の本を読んでほしい。

 

 

                                  僕は毎日大量の本を読んでるにゃ。

   

         僕は陰から君たちを監視してるにゃ。


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