今日は「3 自殺の臨床哲学の可能性」について話す。
君たちは自殺したくなったら誰に相談するであろうか。
あるいは、人が自殺したくなったら、どこに相談に行くと思うか。
第一選択肢は精神科のはずだが、精神科は思いの外信頼されておらず、親、友人、先生、民間の心理カウンセラーのような人、宗教関係などを頼りとするようだ。
大学にも学生相談室や保健室があるから、とりあえずそこに行く者もいるであろう。
なぜ、精神科に直行しないのか。
それは日本人の意識に深く刷り込まれた心身二元論、つまり精神と物質の二元分割によってである。
医学はあくまで物質科学として病気を治すものであって、精神という聖域に関わることは許されない、というわけである。
かなり軽薄な信念だが、本人は確信しており、揺るがない。
精神科は脳の機能障害に定位して、諸々の精神の不調、精神疾患を治療するものなのだが、誰もこのことを知らない。
精神科では薬物療法が中心となっていることは知っているが、それを「薬漬け」とか「麻薬で誤魔化すようなもの」と受け取り、精神という聖域を守ろうとする。
そういう思い込みに囚われた者が、実際に統合失調症になったらどうなるか、という例をテキストで取り上げて説明している。
他方、軽薄な唯物論によって「脳を薬によってチューニングして、楽チンして精神の不調を治そう」と主張する馬鹿者もいる。
かつてベストセラーになった『完全自殺マニュアル』の作者である。
この作者は、その後覚醒剤不法所持によって逮捕され、その後どこに行ったか分からなくなった。
心の臨床哲学は、こうした二つの両極端な立場、軽薄な精神主義と薄っぺらな唯物論の中道を行く観点から、自殺の意味を捉え、それに対処しようとする。
それは簡単なようでいて、意外と難しい。
その意味を深く考えてほしい。
なお、自殺は安楽死の問題にも関わる。
多くの人は闇雲に自殺を否定し、それを蛇蝎のごとく忌み嫌う。
しかし、私は自殺を必ずしも否定しない。
特に、前にあげた四人の作家のような例はむしろ賞賛に値する、と思う。
人類は人口爆発の状態にある。
このままでは地球の自然環境を破壊し続け、多くの生物を巻き添えにして、地球自体を物理的破滅に追い込むであろう。
単に人類が滅亡するだけではなくて、地球自体を破壊してしまうのである。
しかし、もし地球が自己組織化する有機体として、自動的に自己を存続できるように舵を切るなら、ある手段をもって人類の数を間引こうとするであろう。
能産的自然の自己組織性とは、そういうものなのである。
そして、新型コロナのパンデミックはその一環だとも言えるのである。
我々は人間を神の子、神聖な精神的生物として特別視する観点を捨てて、自然に対して少しは謙虚になるべきなのである。
そのためには、宗教というものをこの世から抹殺する必要がある。
それと、悪徳政治である。
科学に関しては、科学哲学による厳しい監視が必要となる。
ちなみに、この講義は来年は一応対面授業になる予定だが、多分オンラインに切り替わると思う。
我慢して、多量の本を読んでほしい。
僕は毎日大量の本を読んでるにゃ。
僕は陰から君たちを監視してるにゃ。