春学期に哲学A1を受講した学生も今回初参加の学生も、これから一月末までこの哲学B1の文章講義を思う存分楽しんでほしい。
不幸にも新型コロナのせいで秋学期もオンライン授業になってしまったが、一般教養で200~350人も受講する授業は仕方がない。
アメリカの大学で対面講義を全面再開したら一気に1000人の感染者を出してしまった。
日本ではそれほど出ないであろうが、クラスター発生は避けられない。
特に東洋大学のようなマンモス大学はその危険が高い。
だから、オンライン授業で我慢してほしい。
春学期と同様に秋学期もこのブログを使って文章講義を毎週配信していく。
配信の頻度は週1~4回で、平均すると二回である。
土曜日には必ず配信するが、その他の曜日にも一、二回配信する。
その都度読んでもよいし、土曜の夜に一括して読んでもよい。
またブログなのでいつでも読み返せる。
前期にはテキストの内容の解説が不足していたので、後期では内容に深入りし、より詳しく説明しようと思っている。
そこで、毎回の文章量ないしページ数も増えると思う。
そして、それに対応した課題を出そうと思っている。
春学期はレポート二回と中間試験と期末試験、計四回の課題だったが、秋学期もこれと同じとなる。
テキストはシラバスに載っている通り『情報の形而上学』である。
春学期のテキストが入門書であったのに対して、秋学期の本は専門書に近い啓蒙書である。
タイトル通り、情報の本質を論じた本だが、普通の意味での「情報」とは違う。
これは講義が進んでいくうち、または自分でテキストを読んでいるうちに、自然と分かっていく。
既に前期のテキストの「情報」についての章でその概略は示している。
今回は、それを多角的に深く論じるのである。
この本が出たのは2009年だが、その年の授業でテキストとして使ったとき、二人の学生が自主的にレポートを提出してきた。
どちらも優れた内容で字数が非常に多かった。
本当によく理解しており、驚いた。
また、翌年の春、この本の一部が東京都立日比谷高校の国語の試験に出典引用され、問題として使われてた。
要するに、中学三年生でも、大学の新入生でも理解できる内容だということである。
一見、難しそうだが、「情報」という身近な現象を存在論的に深く論じている。
抽象的なようでいて具体的である。
それは読んでもらえれば分かる。
しかし、やはり私による解説は必要である。
それをこの文章講義で毎回やるのである。
テキストの概要は直前の記事に書いてある。
前にこのテキストでやった対面式の講義では全体の70%~80%しか扱えなかったが、オンラインでは春学期同様全部消化できる。
ただし、春学期の文章講義では内容の説明が足りなかったようなので、秋学期にはより詳しく説明していこうと思う。
実際の内容には次回の文章講義から入り込んでいく。
また、課題の提出様式は前期とだいたい同じであり、レポート二回と中間・期末試験の計四回である。
提出期限の設定もだいたい同じである。
そこで、第一回目のレポートとして序と第1章の要約と感想をまず課したいと思う。
それはネットエースに掲示されるので、各自閲覧してほしい。
とにかく、今回のテキストは「情報」という身近な現象の哲学的意味ないし存在論的根源を論じており、少し難しそうに思える。
テキストでは何度も英語のinformationに遡って理解しようとしないと、理解の端緒が得られないと力説されている。
前期のテキストの「情報の存在論的意味」の章を読み返しておいた方がよい。
難しいものに挑戦しないと、頭がよくならない。
むずしいと言っても、前出の学生のように講義していない箇所まで自主的にまとめてレポートを提出した者もいる。
なんか、私立文系には珍しい理科が得意そうな学生であった。
論述も非常に正確・緻密で最高点を付けた。
要するに、誰でも理解できるはずなのだ。
具体的話を期待する学生はテキストの78ページの図をまず見てほしい。
また、毎回の猫の画像に癒されてほしい。
それでは、実際の内容には次回から入っていきます。
また頑張るにゃ