織田作之助は大阪市生まれの小説家。
1913年(大正2年)生まれで1947年(昭和22年)に肺結核のため死去。
これは太宰治が同じく結核で亡くなる前の年である。
太宰は織田の訃報を聞いたとき、「織田君、君はよくやった」と同志を称賛した。
言うまでもなく、織田は太宰、坂口安吾とともに無頼派を代表する作家であった。
そして、太宰とともに昭和前期を代表するイケメン作家であり、両者のイケメンぶりは甲乙つけがたい。
次の画像を見れば誰もが納得するであろう(なんか太宰に似てるな)。
織田はスタンダールの『赤と黒』に心酔し、その主人公ジュリアン・ソレルに自らを凝していた。
また、旧制第三高等学校(新制の京都大学教養部の前身)中退だから、太宰と同じくらい遊び人の秀才だな。
代表作は『夫婦善哉』(1940年)、『青春の逆説』(1941年)、『土曜夫人』(1946年)。
私と同郷(青森県むつ市出身)の映画監督・川島雄三と親交があったという点で贔屓(ひいき)したい。
撮影の際に美人女優と懇談する川島監督↓
川島雄三については次の記事で詳しく書きます。