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旅限無(りょげむ)

歴史・外交・政治・書評・日記・映画

秀才の言い訳 其の壱

2008-09-26 16:25:01 | 教育
■麻生新総理が閣僚人事を考えていた時に、出張先のアメリカから森元総理があれこれと「ぶっ壊された」はずの派閥の論理で注文を出していたそうです。町村派の衆議院議員から「何が何でも2人入閣させろ!」とアメリカからの国際電話で捻じ込んだのだとか……。その結果、町村派に揃って入っている中山恭子議員と中山成彬の御夫妻の処遇が問題となったらしく、拉致問題担当として国民の支持と拉致犯罪被害者家族の信頼を得ている中山恭子さんを「員数合わせ」のために外し、夫の中山成彬さんを何故か国交相に押し込んだのだそうです。拉致問題に不熱心な森さんらしい話ではありますが……。

河村建夫官房長官は25日午後の記者会見で、中山恭子前拉致問題担当相を拉致問題担当の首相補佐官に起用すると発表した。26日の閣議で正式決定、27日付で発令する。麻生政権初の首相補佐官となる。
2008年9月25日 産経ニュース

■実に素っ気ない短い報道ではありますが、ゼロ泊3日で国連総会に出席している麻生新総理からの怒りを含んだ指示があったと想像しますと、この人事の裏側はなかなか面白く味わい深いものがありますぞ。


中山成彬国土交通相は26日の記者会見で、報道各社の前日のインタビューで成田空港反対闘争を「ごね得」などと発言したことについて「国民に迷惑をかけたことを申し訳ないと思っている。言葉足らずというか言いすぎた点を含めて撤回する」と謝罪した。責任を取って辞任することは、「ない」と否定した。

■「言葉足らず」と「言い過ぎ」とでは、日本語の意味がまったく違います。今風に言えば「マギャク」でしょうなあ。この人は宮崎県出身で宮崎1区の衆議院議員です。鹿児島ラサール高校を卒業して東京大学法学部を経て大蔵省に入り、東京都荏原税務署長、世界銀行に出向してワシントンに行き、帰国してからは大蔵省主計局主査の防衛担当、名古屋に行って大蔵省東海財務局理財部長にもなって昭和57年からは大蔵省大臣官房企画官になって退官。翌年の衆議院選挙に立候補して落選するも、昭和61年には当選を果たして2期目には文部政務次官を2年ほど務めています。だから教育行政の素人ではありませんが、絵に描いたような大蔵キャリア官僚出身の議員さんですから、あまり大風呂敷は広げない方が良さそうです。

■でも、ラサールから東大法学部に進んで大蔵官僚になった人ですから、誰よりも自分は頭が良いんだ!と思い込んでいるのでしょうなあ。その後、党内の環境部会長、商工部会長、商工委員長を務めて4期目には衆議院災害対策特別委員長になり通商産業総括政務次官を経て経済産業副大臣!それから経済産業委員会筆頭理事へと経済産業省が続き、自民党政務調査会副会長になって党内でも中堅どころになります。ほんの半年だけですが、悪名高い厚生労働省を監視監督するはずの衆議院厚生労働委員長をやっているのが気になるところ。

■自民党副幹事長になって5度目の当選を果たし、いよいよ文部科学省の大臣に就任!という輝かしい?経歴の持ち主が、どうして国交相になったのかはさっぱり理由が分かりません。でも、日本の閣僚人事というのは大臣候補者の資質や政治思想などはどうでもよい場合が多過ぎましたから、長く議員をやっていれば何処からともなく「そろそろ大臣にでも……」という声が上がって自民党内の力関係やら地元後援会の思惑やら、議員本人が省庁や業界に張り巡らした根っこなどが絡み合って、時には意味不明の大臣ポストに押し込まれたり祭り上げられたり……。そんな事を続けているから官僚がどんどん偉くなってしまうのでしょうなあ。何も知らないアホ大臣が政局の混乱などでころころと変われば、その子守と養育を担当する役人は馬鹿馬鹿しくなって手を抜くでしょうし、本当のアホ大臣なら簡単に操り人形扱いして省益を好き放題にどんどん拡大し続けるというわけです。だから予算はいつでも足りません。


中山氏は成田空港の反対闘争について「発言後に事務方から歴史的経緯について説明を受けたが、誤解を招く表現だった」と述べた。単一民族発言に関しては「アイヌの人々は独自性を有する先住民族だったと認識している」と説明。大分県の教員汚職事件に絡めた日教組批判は「所管外で発言を控える」とし、一連の発言について「私人、公人の発言は区別しないといけない」と話した。麻生内閣発足で行政改革担当相を断って国交相に就任したとされることが「ごね得ではないか」との質問も出たが、「その辺の発言は控えたい」と話した。
2008年9月26日 産経ニュース

■「行革大臣」などというポストには何の旨味も無いから、誰も就任したがりません。だから小泉さんほどではないにしてもちょっと変人の渡辺喜美さんは貴重な人材だったと思われましたのに……。
ぺらぺらと薀蓄めいた暴言を吐いておいて、「事務方から」レクチャーを受けて己の無知を悟るなどという醜態は許されません。政治家には品格に負けないくらい高い「見識」が要求されますから、宮城1区の有権者の皆さんは、中山議員の「見識」に賛同しているからこそ、5回も当選させているに違いありません。しかし、中山大臣の大失言の連発は、それほど簡単に訂正できるものではないかも知れませんぞ。何せとても立派な学歴とキャリアを持っている人の暴言なのですから、日本の教育を考える上ではまたと無いサンプルになりそうですなあ。

漢字という財産 其の壱

2008-09-25 17:26:25 | 教育
■総理自らが閣僚名簿を読み上げる気合の入った出だしを見せた麻生内閣は、史上最短の寿命しかないとか、総理だけが目立つように地味な顔ぶれを並べたとか、いろいろと言われているようですが、総裁選挙の論功行賞も兼ねて内閣の中核に集められたのが、「文教族」議員なのだそうです。

麻生内閣は、首相と親しい「文教族」が多いのが特徴だ。「文教族のお友達内閣」(古賀派ベテラン)との指摘も出ている。内閣の要の河村官房長官をはじめ、中山国土交通相、鳩山総務相、中曽根外相、与謝野経済財政相の5人が文相、文部科学相の経験者だ。初入閣組でも、塩谷文科相は文科副大臣、小渕少子化相は文科政務官を経験している。首相自身も文部政務次官や党文教部会長も務めた文教族の実力者。組閣では、文教族の大物、森元首相の意向も尊重した。……
9月24日 読売新聞

■その割には国家百年の計を定める「教育」に関する発言がほとんど聞かれないのは、最近の毒ゴメ転売問題に代表される「食の安全」が揺らいでいる内政問題と、米国発の大恐慌の可能性を心配する外交と経済の問題などがあまりにも大きい上に、総選挙の日取りまで取り沙汰されている時節柄、票にはならない「教育」問題などを取り上げている場合ではないのかも知れません。でも、次の世代を担って行く若い日本人の学力が止め処もなく低下しているのは事実ですし、大分県で火を噴き続けている教育委員会の腐敗も酷いわけですから、ゆめゆめ油断してはなりません。

■近代教育を簡単に徳育・知育・体育などと3分割して考えることもありますが、近代国家の軍事教練から発達した体育や歴史の流れによって質的に変化する家族関係と社会常識に対応するのが難しい徳育は、そう簡単に論評することは出来ませんが、読み書き・算盤に代表される知育、そのまた基盤になる文字教育に関して隣の韓国で大きな動きがあるようです。どうする?日本!


2008年9月23日、新華社通信系の国際先駆導報は、ソウル南部の一部小学校で来月から漢字学習が復活することを受け、韓国で再び「漢字教育」をめぐる激しい論争が巻き起こっていると伝えた。韓国では独立後、ナショナリズムの台頭により、漢字を捨ててハングルを浸透させようとする機運が高まった。現在では、若い人の大半が漢字の読み書きができないほどハングルが定着している。しかし、漢字を理解しなければ学術用語や中国の故事成語などを理解するのは難しいという現状がある。さらに、漢字を習得すれば、同じ漢字圏である中国や日本などとのコミュニケーションが容易になることから、90年代以降は漢字学習を見直す声が高まっていた。……

■チャイナと韓国は、この数年間「文明のルーツ」に関して本家争いをしているようですが、漢字を発明したのは……というチャイナの逆鱗に触れるような不正確な報道が流れて大騒ぎになりかけたりもしましたなあ。漢字をしっかり輸入して表音文字の仮名を作り出し、漢字と仮名を組み合わせて発展して来た日本語にとっては対岸の火事なのですが……。

■韓国内でも心ある学者の皆さんの中には、「漢字復活」を悲願としている方が多いことはよく知られている事で、漢字撲滅運動が間歇的に起こる日本としても傾聴に値する切実な問題なのだと、隣国の文化事情を通して考えさせられる点が多々あります。1446年に李氏朝鮮第4代世宗が『訓民正音』を発布したものの、あまりにも長い漢籍尊崇時代の影響で世界で最も科学的な表音文字体系と評されるハングル文字(この呼称にも問題があるのも問題)も、知識階級からは見向きもされなかったとか……。近代になって日本とのややこしい関係もあって、漢字とハングルを組み合わせる表記法が普及したものの、戦後の独立から半島分断へと続く流れの中で漢字を使わずハングルだけで表記するようになっているそうです。


コラムは、「韓国文化の母体は中華文明。韓国が漢字を捨てることは、文化の母体を捨てるのと同じ。漢字を捨てた韓国は、まるで魂を失ったミイラのようなものだ」と指摘、韓国政府が漢字教育を復活させたことは「必然であり、とても賢い選択だ」と評価した。
2008年9月25日 Record Chin

■新華社の記事ですから「中華文明」が称揚されるのは当然ですが、そんなに大袈裟な事を言わなくても、漢字文化に長く接して発展した文化を持っている場合、漢字を全面的に捨ててしまうのは非常に不便であるのは確かです。だからと言って「中華文明」の漢字が文字として大変に優れているのか?というと改めて考えてみれば、チャイナの魯迅が漢字を憎悪したのは有名な話ですし、日本でも大変な苦労をして使いやすい表記・読解方法を開発した歴史がありますから、案外、文字としては扱いにくい部類に入るかも知れませんなあ。

教育の死角 その壱

2008-07-17 11:48:51 | 教育
■教育は「国家百年の計」のはずなのに、日本の教育はころころと変わり、その振幅の大きさも世界でも珍しいくらいのようです。戦争という大きな歴史的な要因があるにせよ、生徒や保護者が不信感を抱くような「思いつき」としか思えない改革案が実行され、その検証もろくにしないで「泥生式」に手直しを重ねるから、ますます混乱が深まってしまうのでしょう。

■「鬼畜米英」が「民主主義の手本」へとコロリと変わり、生徒達の手で大切な教科書を「改訂」させて始まった戦後の日本教育ですから、最初から独自の権威などは無かったのに、教育行政を担当する官僚たちは戦前も戦後も自分たちは常に正しいと信じ込んでいるようです。数々の失敗を重ねて生徒達を振り回してしまったことを一度も反省しない根性は大したものですが、その混乱を収拾するだけの見識と実力を持つ教育行政に強い政治家が居ないのも不思議な話です。

■「ゆとり教育」の混乱は今後の数十年間、日本の根幹を揺るがし続けるような気がしますが、ころころ変わり続ける混乱は学校現場と就学生を抱える各家庭だけの話で、GHQが強引に移植・接木した「教育委員会制度」だけは戦後の日本を生き延びていたことが、やっと大分県で発覚しましたなあ。自立性の強い開拓者たちが作って発展させて来た米国の教育制度を日本に持ち込んだらどうなるか?この大問題を解明しないまま、欧米諸国の政治制度に範を取った「地方分権」などに飛びつくと、もっと酷いことになるような気がします。

■たまたま大分県で火の手が上がりましたが、おそらく日本中の教育委員会には大なり小なり、教育行政を私物化して自分の権力を誇示する材料にしている政治家や有力者がごろごろしているのでしょう。この件は続報を待って、じっくり考えてみなければならないと思います。それにしても夏休み前、万が一、疑惑教師が受験生の担任だったりしたら、生徒も保護者も大変な苦労を強いられるのは間違いないでしょう。本当にトンデモない連中が教育委員会に巣食っていたものです。

■ころころ変わる教育の象徴が「漢字制限」かも知れません。今頃になって「常用漢字」を増やそうか、と政府がもぞもぞと動き始めたようです。


常用漢字表(1945字)の改定作業を進めている文化審議会の漢字小委員会は15日、常用漢字に新たに188字を加え、現行の「銑」「錘」など使用頻度が低い5字を外すとした暫定案を了承した。賛否が分かれていた「俺(おれ)」は追加候補に入った。……総文字数は2128字。今後は各字の音訓などの読み方や字体を定めた試案を来年2月にまとめ、一般の意見を反映させた上で、平成22年の答申を目指す。

■「漢字制限」というと、常に字数が話題になりますが、政府が漢字を制限するという事自体が問題で、いつの間にやら使える漢字は少なくても恥ずかしいとは思わないという風潮が広まってしまいました。何やら小学生レベルの漢字も読み書き出来ない「恥」を売り物にしてテレビ番組に出ている人が居るとか……。本来は5万~30万とも言われる膨大な漢字体系を整理して、国民の言語能力を底上げするための指標として考案された「常用漢字」が、どこかで誤解されて知っているべき漢字の「上限」になり、後ろ向きの人情として「半分くらい知っていれば大丈夫」と考えてしまう傾向まで生まれたようです。


漢字小委は平成16~18年の出版物や新聞などを調査した「漢字出現頻度表」の上位から追加候補を選考。……常用漢字は「社会生活で現代の国語を書き表す漢字使用の目安」とされ、現行表は昭和56年に制定された。IT化で難しい字も簡単に使えるようになり、平成17年に中山成彬文部科学相(当時)が「時代の変化に対応した見直し」を諮っていた。
7月16日 産経新聞

■新聞各社が活字を一斉に大きくしたのは、明らかに老眼の読者が占める比率が多くなったのが理由でしょう。全紙面の半分を占領する広告類はそのままですから、活字が大きくなった分だけ、記事の数が減り、情報量が乏しくなるのは覚悟の上なのでしょうが、悪い事ばかりでないようで、行間に余裕が出来たのを幸いに「振り仮名」が徐々に増えているように見えますぞ。拙著『チベ坊』にも書いた通り、日本語にとって振り仮名文化は世界に誇れるものですから、珍しい人名や地名だけでなく、すっかり漢字嫌いになってしまった日本人のレベルに応じた配慮が期待されます。そもそも、鉛活字を組んだ名人芸の時代に技術的に難しい「振り仮名」をせっせと付けていた新聞が、技術革新に逆行して「振り仮名」の排除に踏み切ったのが最大の間違いだったのです。全部の漢字に「振り仮名」を付けられると、確かに読みにくいのですが、だからと言って全面的に「振り仮名」を廃止するというのは乱暴な話でありましたなあ。

テレビの教育効果 その弐

2008-07-17 01:26:12 | 教育
……少年は当日券で名古屋発東京行きの高速2階建てバスに、出発地の名古屋駅前から乗車。正午に発車した後、名古屋インターに入った辺りで、2階から降りてきた少年が、運転席付近で右手にナイフを持っていたため、出張で同乗していた同社の男性社員が本社に連絡、110番したという。少年は運転手にナイフを突き付けるなどしたほか、乗客全員から携帯電話を奪い、運転手の電話で「おれはバスをジャックした」と自ら110番もしていた。要求は一切なかったという。持っていたのは刃渡り10センチの果物ナイフと同12センチのぺティナイフで、「2本とも名古屋の100円ショップで買った」と述べている。
7月16日 時事通信

■「秋葉原の惨劇」で禁止となった特殊なナイフではなく、何処の家庭にでもあるキッチン用品を凶器にするところは本家の事件に似ていますが、大量殺人を計画してプロ用の牛刀を用意するほど社会に対する憎悪は深くはなかったようです。でも、親子喧嘩を公共の場に持ち出されては迷惑ですなあ。


……同県警はバスを同高速美合パーキングエリアに誘導し、男を説得。同日午後1時56分、監禁、銃刀法違反容疑で男を現行犯逮捕した。車内には運転手のほか乗客10人が乗っていたが、乗員にけがはなかったという。男は取り調べに対し「自分は14歳だ」などと話しているといい、県警は確認を急いでいる。……
7月16日 毎日新聞

■「戦う14歳」は一世を風靡したアニメ『エヴァンゲリオン』のキャッチコピーだったはずですが、今では少年法が改正されて「おおむね12歳以上」は子供だからと大目には見てもらえなくなっています。人権派弁護士やら精神鑑定やら、また忙しい話になるのでしょうが、幸いにも犠牲者が出なかったとは言うものの、「西鉄バスジャック」事件でも狙撃を躊躇した警察に対する非難の声は多かったことが蒸し返されて、またまた、犯罪の内容よりも「死傷者が出なかったのだから……」という温情話がまとめられ、次の模倣犯を待つことになり兼ねませんなあ。


……逮捕されたのは山口県宇部市の中学2年の少年(14)。調べに対し、「親にしかられ、親をめちゃめちゃにしてやろうと思ってやった。バスジャックをテレビで見て世間を騒がせようと思った」などと話しているという。……少年はナイフを運転手の首に突きつけ「走れ」などと要求。同1時10分ごろ、運転手の携帯電話から「バスジャックをした」と自ら110番通報した。
7月16日 日経ネット

■バスの乗っ取り犯人を英雄視する風潮は、何度も起こる残虐な事件の連鎖の底流とつながっているようですが、精神的に病んでいる者が起こす事件と、実に狭苦しい世界に閉じ籠って幼い怨念を爆発させて大きな事件になってしまう場合とは根本的な違いがあると思われます。やっと少年犯罪の壁が取り払われたものの、犯行内容よりも動機や生い立ちなどに重心を置いた裁判が行われれば、妙に好待遇を受けていると勘違いする模倣犯が出て来るのが心配です。人道主義に基づいた更正と治療の手続きは必要なのでしょうが、走行中の車内で手をハンドルから放せない運転手の首に刃物を突きつけるのは「殺人未遂」には当たらないのでしょうか?時々起こるタクシーでの強盗殺人事件も同様ですが、この種の犯罪は本当にタチが悪い!

■もしかすると、私たちの社会は「教育」を課題に評価し過ぎているのかも知れませんなあ。その一方でテレビなどの大衆メディアの「教育効果」や「感化力」を軽視し過ぎているのかも?

テレビの教育効果 その壱

2008-07-17 01:25:40 | 教育
■北京五輪大会を踏み台にして、一挙に地上デジタル放送を日本中に普及しようとしているテレビ業界ですが、スポーツにしろドラマにしろ、国民が一斉に注目するような番組を作り出すのは不可能に近くなっている状況で、家電製品の中でも最も電気を喰うとも言われるテレビ受像機と関連機器を、昔のように上座に据えて愛用するような日本人がどれほど居るのでしょう?既に米国ではテレビ番組の視聴者は、完全に高齢化の傾向がはっきりしてしまっているという話ですが、日本では高齢者の皆さんと10代までの若いというより幼い世代が最後までテレビ業界のお得意様として残るような気がします。

■特に多感な10代にテレビの音と映像で刷り込まれたイメージは、文科省が手を変え品を変えて編集する教科書の数万倍の影響力を持っているらしいので、古くて新しい問題として「テレビ文化」を改めて考えてみる必要があるような気がしますなあ。そんな事を考えたのも、二日続けて愛知県でテレビが無ければ起こらない事件が連続して起こったからであります。


14日午前零時半ごろ、愛知県常滑市古道東割の県道で、交際相手の女性と別れ話をした後、「死んでやる」と言って車道に寝転がった同市小倉町の無職・中川翔太さん(20)が、愛知県半田市の男性会社員(27)の乗用車にはねられ、脳挫傷で死亡した。……フジテレビの大ヒットドラマ「101回目のプロポーズ」(91年)では、武田鉄矢が演じるもてない主人公が、車道に飛び出し、はねられる寸前でトラックが急停車、「ボクは死にましぇ~ん!」と叫び、浅野温子が演じるプロポーズ相手のハートを射止めるシーンが有名。……
7月15日 スポーツ報知

■今となっては『101回目の~』というテレビ番組を実際に中川さんが熱心に観ていたかどうか、御本人の口から聞けないのですが、このドラマを1回も観た事がない旅限無でも、「ボクは死にましぇ~ん」という博多弁と思われる台詞は耳にしたくらいですから、年齢から逆算して3歳では無理としても再放送や別の映像媒体で観ていた可能性はありそうです。でも「三つ子の魂、百まで」とも申しますから、案外、3歳児の記憶に刻み込まれたかも?武田鉄矢さんは「金八せんせい」という強烈なイメージで日本の教育現場を混乱させた人でもありますから、相当の影響力があったのでしょうなあ。とても有名な台詞がこんな場面で使われていたと知って、日本のテレビドラマに悪質な幼児性を感じてしまいます。題名が『101回』なので、100回失恋しても自殺などしない健気な男の物語だと勝手に想像していたのですが……。

■最近、「俺は一人では決して死なないぞ!」などと実に傍迷惑な信念を持ってしまう人が、特に若者の中に増えているようで、散歩も買い物も安心して楽しめなくなっているのが残念です。ネット社会になったと言っても、人騒がせな大事件を起こす若者は、常にテレビを通して「有名になる」事に異様な執着心を持っているようですから、テレビ局にとっては熱心な視聴者がテレビ向きの材料を提供してくれたようなもので、残酷で理不尽な事件の「真相」を伝えると称して悪趣味な演出を交えて御丁寧に「再現」などしていると、それを参考にする困った人物が次々に現われるようです。

■2000年5月に発生した「西鉄バスジャック事件」を誰もが思い出す事件が起きましたが、本家?の事件が起こった時には日本に居なかったものですから、少しばかり参考のために調べてみましたが、その手軽さと結果の重大さを短絡的に考えれば、早々と人生に絶望し、それでも「テレビで有名になる」ことだけには執着する者にとって、高速バス乗っ取りは実に手ごろな案件ということになりそうです。


16日午後零時50分すぎ、愛知県内の東名高速上り線を走行中のジェイアール東海バスの高速バスから「バスジャックされた」と、同社を通じて110番があった。同県岡崎市の美合パーキングエリアにバスを停車させ、警察官が説得。男はナイフを2本持っており、県警は同1時56分に監禁と銃刀法違反の現行犯で逮捕した。乗客10人と男性運転手(39)にけがはなかった。逮捕されたのは山口県宇部市の市立中学2年の少年(14)で、家出をしていた。少年は「親に怒られ嫌がらせでやった」と供述。「ただ走りたかった」とも話しているという。

■「西鉄バスジャック」事件が起きた時、バスは山口県を通過しており、事件発生を知った何処かのマスコミが犯人の「要望」に応じるように、乗っ取られたバスに接近してトクダネ映像を狙っていたとか……。

教員互助会

2008-07-08 11:15:54 | 教育
■食肉もウナギも偽物騒ぎが続いておりますが、どちらも時代遅れのまま放置されている法律の不備が大きな原因のようですが、それに加えて検査体制が馴れ合いのグズグズ状態になっているという呆れた話も出ているようです。結局、泣きを見るのは税金を取られて偽物商品を買わされる一般庶民というわけで、誰も信用できないなあ、と暗澹たる気持ちになってしまうこの頃。
 
■既に「不景気」という言葉も聞かれなくなるくらい、長期化・深刻化している厳しい経済状況の中、どんなに悪口雑言を浴びようと、国でも地方でも公務員になって「遅れず、休まず、働かず」の伝統を守って務め上げれば、年金問題で苦労することもなく、物価の変動に右往左往する必要もない穏やかで安定した老後を迎えられると、多くの日本人が考えているらしいのですが……。社保庁を筆頭に役人の信頼感は雨散霧消しているとは言え、国の未来を託す教育現場でも悪性の役人風が吹き捲っているとなりますと、いよいよ日本国の将来は真っ暗ですなあ。

 
大分県の教員採用をめぐる汚職事件で、収賄容疑で再逮捕された県教育委員会義務教育課参事の江藤勝由容疑者(52)が、校長や教頭の昇格人事試験でも便宜を図り、見返りに金品を受け取っていた疑いがあることが8日、関係者の話で分かった。

■NHKの「朝の連続ドラマ」で有名になった大分県の由布温泉が、今回の恥ずかしい贈収賄事件の舞台なのだそうです。温泉ブームに上手に乗って、日本有数の温泉ブランドを確立した由布温泉では、数年前に隣接する温泉地との差別化を図ろうと法的措置まで採った騒ぎまで起きたと記憶しております。多くの温泉客を集めて評判も上々だったのに、偽物教職員がうじゃうじゃ棲息する気持ちの悪い場所という印象が根付くと、客商売としては困るでしょう。


江藤容疑者に商品券や現金を渡し、子弟の採用試験合格を依頼したとされる同課参事、矢野哲郎容疑者(52)は平成19年4月に、小学校校長の浅利幾美被告(52)は20年4月に、それぞれ校長に昇格した。県警は江藤容疑者が2人の人事に恣意的な手心を加えた可能性があるとみて調べている。

■生徒が荒れてまともな授業が成立しなくなっていた某中学校が、校長先生を先頭に先生方の努力で見事に復活!という感動的な話もありまして、中でも「挨拶運動」が効果が高いというので、全国的に朝早くから登校している生徒達に「おはよう!」と声を掛けてコミュニケーションをとろうという運動が広まったとか……。人間関係の基本は「挨拶」ですから、きちんと挨拶が出来る生徒を育てるのは非常に大切なことでしょう。最近はろくに挨拶の仕方も教えない困った親も増えているそうですから、学校の先生方にはご苦労をお掛けしております。

■率先垂範。先生方も生徒の見本になるように、大きな声で正しい挨拶をするのも大切なことでしょう。でも、大人の社会では「手ぶらで挨拶には行けない」という不文律がありますからなあ。お礼、お祝い、年末年始にお中元とお歳暮……。社会的な慣行と贈収賄との線引きはなかなか難しいものですが、「受託収賄」となれば簡単に逮捕立件ができそうです。何だか必ず値上がりする未公開株の贈収賄にも似た話でもあり、文字通りの「裏口入学」教師版という構図になっているようですなあ。

■これから、全国の学校で「挨拶をしましょう!」と生徒達に声を掛けると、「商品券持って来るの?」と聞き返されそうで怖いかも?


県教委によると、校長や教頭に昇格するための試験は筆記と論文、2度の面接があり、毎年2月下旬に県教委ナンバー2の教育審議監らでつくる協議会が最終選考する。江藤容疑者は校長試験の論文採点を1人で担当し、面接官も務めていた。矢野容疑者が受けた校長昇格試験では273人が受験し、78人が合格。浅利被告の試験では297人のうち74人が合格した。

■こうした醜聞は大分県のごく一部だけで行われている話だとか、ごく最近の一時期に起こった特殊な例だとか、誰もそんな風には考えていないでしょうなあ。学校で事件が発生するたびに、「えっ?」と目を疑うような人物が記者会見に現われて、辻褄の合わない支離滅裂な応対をする場面を何度も見せられていると、どういう基準で昇格しているのだろう?と怪訝な思いに駆られて、身内のお手盛り人事が横行しているのではないか?という疑惑が湧いてしまいます。


……今年3月に矢野容疑者夫妻の呼び掛けで、浅利被告ら校長や教頭に昇格した4人が江藤容疑者を囲む食事会を開き、人事で優遇してもらった謝礼として金品を渡したとされる。
2008年7月8日 産経ニュース

■「きちんと挨拶しましょう」「助けてもらったら『ありがとう』と言いましょう」「みんな仲良くしましょう」など、人間教育の基盤となる訓練が行えなくなったら、とても困りますなあ。夏休みの直前にこんな事件が発覚すると、大分県内の学校では「不正採用教員リスト」のようなものが作られ始めているかも知れませんぞ。誰もが大分県に限った事ではないだろうなあ、と思っていれば、日本中で「怪しい教員リスト」が秘かに作られて回される可能性もありそうです。自分のクラス担任は大丈夫なのかなあ?と考えながら夏休みを過ごすのは楽しくないでしょうなあ。


大分県の教員採用をめぐる汚職事件で、平成18年と19年の小学校教員採用試験に合格した計82人のうち少なくとも20人について、県教育委員会の義務教育課参事、江藤勝由容疑者(52)=収賄の疑いで再逮捕=らが試験の点数を水増しした疑いがあることが7日、関係者の話で分かった。県警は計5人を逮捕した2つの事例以外にも不正合格が複数あったとみて、関係者の事情聴取を進めている。

■「少なくとも20人」という不完全な情報が流れるのは感心しませんなあ。それなら「最悪の場合」は何人になるのだろう?と疑心暗鬼が広がりますぞ。それに、「平成17年」以前はどうだったのかなあ?という疑問も感じるでしょう。ついには「大分県の汚職事件」がどこの県に飛び火するのだろう?という楽しくない推測をする人もいるでしょうなあ。


……18年の試験で当時県教委ナンバー2の教育審議監だった同県由布市教育長の二宮政人容疑者(61)=同容疑で逮捕=は、部下の江藤容疑者に約10人の受験者名を具体的に挙げて、合格させるよう得点のかさ上げを指示したという。19年には、合格依頼を受けた受験者の一覧表を江藤容疑者が作成。表には10人以上が記載されていたとされる。
2008年7月7日 産経ニュース

■莫大な税金で運営されている教育事業を食い物にしている輩が教育委員会のボスに納まっているような場所は、大分県だけではないはずです。そういえば、学生時代に一人の先輩が熱心に教員試験に挑戦していたのを思い出しますなあ。どこの県とは申しませんが「発表前から合格者は分かっていた!」と悔し涙を流していた先輩の声を、生々しく思い出してしまった実に嫌なニュースであります。立派な教員も多いのは分かっていますが、「安定」「安心」を最優先にして教職員を志望するのは、憲法に保障された「職業選択の自由」に適合しているのでしょうが、「合格者選定の自由」と勘違いするバカ者が教育界に巣食っているようでは、教育予算を増額しろ!という掛け声が無視されてしまうでしょう。

■実に嫌な想像ですが、世間には「教師一家」や「教師一族」という不思議な家系が珍しくないのは何故だろう?と改めて考え込んでしまいます。「外交官一家」「官僚一族」や「医者一族」というのも聞きますが、圧倒的に「教師一族」が多いのは地方のような気がするのは何故でしょう?

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何を今更の教育論 その壱

2008-02-16 18:51:51 | 教育
■人を人にする営みが教育というものですから、その方法と目的は時と場所によっても違いますし、歴史と政治の影響も非常に大きいわけで、そこに教える者と学ぶ者の感情的な要素も絡まるので、教育という作業は何とも複雑な仕事になります。欧州に生まれた近代市民国家が、国費を投じて「国民を作る」仕組みを編み出して以来、ひとつの理想形のようなものが想定されるようになった教育は、政府(党)が独占的に管理する行政の核となったのだそうです。まあ、欧州生まれの国民国家が人造の戦闘集団だったのですから、国家目標が戦争から商業や工業に変わろうとも、生徒が学ぶべき内容はその目標に沿った物に限定されるのは当然の話ではあります。

■いろいろな形容詞が付いた「教育法」を紹介する本や雑誌が毎日のように出版されるのはどうしてだろう?と改めて考えてみれば、人類はずっと教育方法の正解を得られずに苦労した歴史に思い当たるのであります。家庭であろうと学校であろうと、一見、「素晴らしい教育法」と思える話も、実は特殊な人格の成功潭だったり、下手をしたら捏造自慢話である場合もあるようで、もっと酷いのになると商品の宣伝用に偽造された話も少なくないとか……。


北九州市立大の森田洋准教授(生物資源工学)の研究で、畳に使われるイグサが子どもの集中力アップに効果があることが分かった。調査の対象者は中学1年生と小学5年生の計323人。畳を敷いた教室と通常の教室で、数学の問題を30分間に何問解けるかを調べたところ――。結果は、普通の教室より畳の部屋での解答率の方が、平均で14.4%増。学年別でみると、小5は24.3%で、中1の12.4%と比べて2倍近い伸び……イグサには森林の木々が発散しているフィトンチッドやバニラに含まれるバニリンなどの香り成分が含まれている。どちらもリラックス効果の香りとして親しまれていて、両方を兼ね備えたイグサはイチ押しなんだとか。
2月15日 日刊ゲンダイ

■それならフィトンチッドとバニラの香りを封印した缶詰でも作れば良いだろうに?!この実験に参加した生徒達は畳部屋でも板床でも同じ姿勢だったのか?椅子や机の形状は同じだったのか?などなど疑問が次々に湧きますなあ。町の畳屋さんが絶滅に近く、イグサも話題のチャイナからの輸入品がほとんど……そんな時代に、今更、「畳は頭によい」などと言われても困ってしまいます。畳部屋を主体としたアパートやマンションを見つけるのも大変な時代、まして大掃除の時期に畳を虫干しする庭もない高層住宅が増えてしまった頃に、こんな能天気な記事を書いている人は、一体、どんな住宅環境で暮らしているのでしょう?そもそも、『日刊ゲンダイ』という夕刊紙は畳部屋で編集しているのでしょうか?

■記事を真に受けて莫大な資金を投じて純和風にリフォームした揚句に、自分の子供の成績が向上しなかったとしても、『日刊ゲンダイ』は賠償責任は負わないでしょう。「金八先生」現象も似たようなもので、フィクション作品や売らんかなマスコミ記事を本気にしては行けません。マスコミはこの調子で「頭が良くなる方法」を書き散らして来たのでした。本も雑誌も自分達が紹介し提案した教育方法の結果を検証する仕事はしていないはずです。検証もせずに前とは矛盾するような「新しい教育法」を凝りずに発表する。そんな事をやっている報道機関に「ゆとり教育」を代表とする日本政府の教育行政が迷走している事態を責める資格が有るのかどうか?逆に尻馬に乗って「ゆとり」を宣伝していたかと思えば、今度は「ゆとり」を攻撃している所も多いかも?


文部科学省は15日、30年ぶりに主要教科を中心に授業時数と指導内容を増加し、「ゆとり教育」を見直した新学習指導要領案を公表した。基礎・基本の習得を重視し、都道府県名(小学社会)、ひし形・台形の面積(小学算数)、イオン(中学理科)などを追加、復活させた。教科書改定を伴う完全実施は小学校で平成23年度、中学校で24年度からで、理数教科は来春から前倒しで実施される。道徳の教科化は見送られたが内容を充実させ、新教育基本法に対応し、公共の精神や伝統文化の尊重、体験活動なども盛り込まれた。

■相変わらずの「盛りだくさん」の「欲張り」カリキュラムを作っているようですが、「ゆとり」教育が失敗だったのなら、失敗した項目をきちんと立てて、その原因と対策を明確にして貰わないと、膨大な予算と労力を費やして仕掛けた「ゆとり教育」がまったくの無駄になってしまいますなあ。「ゆとり教育」の実施がダメだからと言ってそれを廃止すれば良いというのは余りにも短絡した話ではないでしょうか?「ゆとり教育」を実施する前後に、激烈な反対論も出ていたわけですが、それらが全部正しかったのかどうか?当時の文部省、最初に「教育見直し」を命じた中曽根大勲位、教育行政に不熱心な議員、御用学者、御用新聞……一体、何処にどんな失敗責任が有るのでしょう?

センター試験の季節 その四

2008-01-22 14:07:49 | 教育
■詳しい会見内容が別の記事に掲載されていました。

……「(この新聞に)1面広告を打つので、良く書いてくれるフォローの取材と思ったら、このような形で驚きだ」と激しく避難したうえ、「広告局と編集局は違うことは分かっているが、一般常識ではあり得ない」と“ジャーナリズム論”を披露した。

■話の後段は「一般常識」に適っていますが、前段と最後は非常識な暴論です。要するに広告主の立場を勘違いしているようです。


本人確認については、メールを送り、ウエブカメラでも行ったが、住所が変わったなどしたので180人が確認できていないと説明。「いくら(学生に)言ってもやってこない」と学生側の問題だとした。サイバー大は、引きこもりやハンディのある人、高齢者にも学ぶ場を提供したと成果を強調。また「納税できる人が納税しないのはおかしいと思ってきた」と学校法人の税免除問題を指摘、大学経営に一石を投じていくとした。

■「悪いのは学生だ」というのも一部の理は有りますが、大きな抜け穴が開いている仕組みを作った方にはもっと大きな責任が有るでしょう。在籍している生徒の中に、どれほど「引き篭もり」「ハンディのある人」「高齢者」が含まれているのでしょう?多くの大学でも間口を広げて様々な問題を持つ人にも入学の機会を与える努力を重ねているはずですから、サイバー大学の意義を強調するにしても、ちょっと言い過ぎかも?確かに教育には相互信頼が欠かせませんが、既存の大学に通えない事情を持つ人が生徒になっているのなら、ますます本人確認は重要になって来るでしょうなあ。



新聞が「単位を与えた」と報道したことには「事実誤認」だと指摘し「ソフトバンクには優秀な弁護士が多くいる」と法的措置を予告した。だが、記者から「大学として、文科省の留意事項を実行していない責任を学生に責任転嫁するのか」と聞かれると「組織として反省点はある」と風向きは一転。「問題は3割も未確認であることではないか」との質問には「対面確認を優先してきた。入学式や説明会に喜んでくると思ったが幻想だった」と思惑が外れたことを認めた。最後は「本人確認が大事なことはよく分かった。学生に迷惑をかけ、反省している」とトーンダウンして“怒りの会見”を終えた。

■「優秀な弁護士」などと、完全に喧嘩腰ですなあ。「単位を与えた」のが事実誤認なら、裁判沙汰になったらこの点が問題になるのでしょうが、それよりも講義の内容、そしてやっぱり本人確認の方法へと議論は戻って行くでしょうから、御本人が「幻想」を追い掛けている間は勝ち目は無いような気がしますなあ。吉村ファラオ先生のピラミッド解釈はなかなか面白く、年末にも大掛かりなテレビ番組が放送されていたようですが、もしかするとエジプトに通いながらも学長の仕事が出来るからサイバー大学なのでしょうか?

■どんなにIT技術が進んでも、人間の頭脳は変わりませんし、人の育て方も教え方もあれこれといじくり回してもロクな事にはならないような気がします。大学ともなれば、どこまで行っても読書と思索、それから議論が欠かせないはずなので、それをサイバー空間でやるのなら2チャンネルに負けない講義数と24時間休まず議論を続ける覚悟が必要になるかも知れません。でも、やっぱり講義用に時間と場所を区切って対面授業をやった方が勉強の効果は上がるような気がしますなあ。

■IT技術を導入した住民基本ネットも、巨大な予算が投入され、膨大な議論を呼んだわりには何処に行ってしまったのやら?という状態ですし、骨董品のようなコンピュータとは言え、社会保険庁もIT化に失敗して年金制度をボロボロにしてしまったのですから、教育界でもそんな愚かな轍を踏まないようにIT技術は慎重に扱うべきなのでしょう。
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センター試験の季節 その参

2008-01-22 13:05:26 | 教育
文部科学省の大学設置・学校法人審議会では2006年11月、サイバー大学の設置を認可するにあたり、学生の本人確認を厳密にすることなどを留意事項として挙げていた。文部科学省では2007年11月、当時210人しか本人確認が済んでいなかったサイバー大学に苦言を呈し、これを受けたサイバー大学は学生に対し、2007年12月から本人確認を済ませるようメールで通達していたという。

■文科省は役所そのものですが、サイバー大学側にも天下り役人が多いのか「通達」を出して済まそうとするのは事の重大性を認識していなかった事を証明していますぞ。


……吉村氏は、入学式や説明会での対面による本人確認を重視していたため、本人確認が進まなかったと釈明。「私の判断が甘かった」として対応の不備を認め、1月末までにはWebカメラや携帯電話のカメラ機能を用いて本人確認を終了したいと述べた。また、次年度に入学する学生に対しては、本人確認ができなければ入学を認めない方針を示した。

■「重視していなかった」からではなくて、対面による確認を「重視していたため」に確認が進まなかった?何度読み直しても筋が通らない言い分ですが、どうやら、「やろうと思ったけれど失敗した」という意味のようですなあ。要するに「見切り発車」をしてしまったという事です。でも、カメラの映像を掻き集めたからと言って、それが本人確認になるのでしょうか?随分昔になりますが、娘の学力が不足しているのを心配した父親が女子高校生に変装して身代わり受験を企てて、試験場内で非常に恥ずかしい姿で摘発されてしまったという事件が有りましたが……。


サイバー大学の授業では、入学時に付与されるIDとパスワードを入力して学生専用ページにログインする。授業の出欠は、教員が講義を行なう動画を閲覧することで、出席と見なされる。会見では、「替え玉の受講も可能では」という質問が寄せられたが、吉村氏は「通学制の大学でも代返はあるが、勉強しなければ答えられない試験を身代わりで受けるような酔狂な人はいない」と回答。

■あれ?博士号を怪しげな業者から買う「酔狂な人」も居るくらいですから、身代わり勉強、身代わり試験を商売にする人が居ても不思議ではないでしょう。最初から教養を深める社会人学校のイメージで発足していれば、こんな大騒ぎにはならなかったのでしょうが、そんな事ならNHKの教育テレビやラジオでも十分ですし、大卒の資格が貰えるからこそ、260人もの生徒が集まるのでしょうが……。でも、そもそも本当にサイバー大学などという物が必要なのでしょうか?


Webカメラや指紋認証による授業毎の本人確認も検討するとしたが、「教育は相手を信じるもの」との持論を述べた。「怒りの会見と言っていただいて結構」と語気を強める吉村作治学長は、今回の記事が掲載された経緯は、読売新聞の記者が、事務局長である渡邊開也氏に取材したと説明。「責任を持たない人間に質問を投げかけ、都合のよい部分だけを書いている」と非難した。サイバー大学では近日中に読売新聞で広告を出す予定だが、「そのフォローの取材だと思っていた。詐欺にあったような気持ち。水戸黄門が欲しい」と憤りをあらわにした。

■どうして水戸黄門なのでしょう?今の総理大臣の父上が自称「昭和の黄門様」だったので、回りくどい御追従をしようとしたのでしょうか?それに新聞やテレビが「広告主」に遠慮してしまったら、それこそジャーナリズムの自殺行為でしょう。吉村ファラオ先生が怒っているのは分かりますが、讀賣新聞に八つ当たりしてもサイバー大学自体が抱え居る問題はまったく解決はしません。


「公正な監査を受けずに税金を逃れる大学法人や宗教法人がある中、株式会社立のサイバー大学では決算報告書を公開し、しかるべき利益が上がれば税金を納めるべきと考えている。このように大学改革を一生懸命やっている人間に対して、何の利益があってこのような記事を書くのか。我々には謝る理由はないので、法的対応も検討する。(経営に関与する)ソフトバンクには優秀な弁護士がいるので、読売新聞社は覚悟して欲しい。」
1月21日 Impress Watch

■サイバー大学は「大学改革」なのですなあ。それも小泉改革以来の経済特区や民営化構想にも乗っている事にもなっているのかも?「税金を払う株式会社」は正に小泉改革が求めていたものですが、「税金を払わない」教育法人に言及するのは藪蛇かも知れませんなあ。脱税どころか不正な方法で補助金を横領しているバカ者も教育業界には存在しているようですから、それを野放しにしている文科省を批判している事にもなるので、吉村ファラオ先生の怒りは虎の尾を踏んでしまったかも?

センター試験の季節 その弐

2008-01-22 13:04:55 | 教育
福岡市に本部を持つサイバー大は、パソコンを使えば、どこでもネット上の講義を受講できることや、一般の通信制大学のような「スクーリング(面接授業)」を一切しないことが特徴で、「一度も通学せずに大卒資格が取得できる」とPRしている。
1月21日 読売新聞

■讀賣新聞は1月21日の一面にこの記事を掲載していたのが、吉村ファラオ先生には気に入らなかったようです。でも、吉村先生には学位販売会社から博士号を買った?という拙い話で名前が報道されている弱みも有るようで……。


サイバー大学は21日、同大学が学生の本人確認をせずに単位を認定していたと報じた読売新聞の記事に対して、単位認定の事実を否定した。……吉村作治氏は、本人確認が遅れている事実は認めたものの、「記事の内容は全くの事実誤認」と強調。記事による風評被害で入学者が減ることも想定されるとして、読売新聞社に法的手段を検討する考えを示した。

■この件に関しては時事通信社も配信していますから、讀賣新聞だけを名指しして喧嘩を売るのはちょっと乱暴かも知れません。文科省が動いたのは事実なのですし、こういう会見を開くのは逆効果ではないでしょうかな?


サイバー大学は、すべての講義をインターネットによる通信教育で行なう4年制大学。PCとインターネットにつながる環境があれば、24時間どこでも授業を受けることが可能で、一度も通学せずに大卒資格を取得できることが特徴としている。21日付の読売新聞朝刊では、サイバー大学の在学生620人のうち約200人に本人確認をせず、この中には大卒資格の取得に必要な単位を与えていたと報じていた。また、他人に講義や試験を受けさせて、大卒資格を取ることも可能としており、文部科学省が改善指導に乗り出すことを決めたと記載されている。

 この記事に対してサイバー大学は21日付のプレスリリースで、在学生の本人確認を進めており、在学生620人のうち440人の本人確認が終了したと報告。さらに、本人確認が済んでいない生徒には単位を認定しておらず、現時点では、文部科学省からの改善指導も受けていないと反論した。
 
■既に大手予備校や英語学校の中にも衛星放送やコンピュータ回線を使って授業をしている所が有りますが、どちらも「卒業証書」を出すような所ではありません。仮に「修了証」のような物を発行しても、それぞれの目的を達せられなければ屁のツッパリにもなりません。何箇所もの予備校や英会話学校の「修了証」を持っている方が変でしょうなあ。それにしても、大学の卒業証書が問題になるとすれば、博士号を買ったと揶揄されている吉村ファラオ先生は分が悪いでしょう。


本人確認が済んでいない180人に対しては、全国各地で開催している大学説明会のほか、Webカメラや携帯電話のカメラ機能で本人確認を行ない、2008年1月末までに本人確認を終了するとした。1月末までに確認できない学生に対しては大学職員が個別訪問し、2月末までに確認できない生徒には単位を与えず、その後も確認できない生徒には退学勧告を行なうという。サイバー大学の広報部によれば、本人確認の方法は、カメラで撮影した学生の動画と、その学生の入学願書の写真と照らし合わせ、目視で確認するとしている。

■何だかボロボロになっている年金制度の後始末を思い出すような後手に廻った対応のような気もしますが、生徒本人を確認するのに苦労をするのはシステムを企画した段階から分かっていた事のような気もします。

センター試験の季節 その壱

2008-01-22 13:04:25 | 教育
■何故か毎年、雪に降られるセンター試験ですが、これまた毎年出て来る受験場でのトラブル。今年は試験中に携帯電話が鳴り出して再試験、試験会場が突然停電、英語のリスニング試験用機器も若干数が不調だったとか。全体の受験生数に比較すれば少ないとは言え、不運に見舞われた学生は堪ったものではありませんなあ。でも、世の中は思い掛けないトラブルが頻発するものですから、保護者や先生方に守って貰える時代が終わる通過儀礼の一部として、逞しく乗り切って頂きたいものです。
 
■「ゆとり教育」まっ只中で学校生活を過ごした生徒諸君には、勝手な思い込みやマスコミが作り出した印象による色眼鏡が邪魔臭い時もあるでしょうが、目出度く合格した暁には、世間の印象ががらりと変わるような勉強熱心な大学生像を作り出して貰いたい!日本の若者をざっくりと輪切りにしてしまった文科省の朝令暮改は決して許されない失政でしたが、お上はよく間違いを犯すものですから、間も無く投票権が得られるのですから、絶対に騙されない賢い有権者になってリベンジを果たす覚悟も必要でしょうなあ。

■さてさて、大雑把な計算では「大学全入」時代になっているので、受け入れ側の大学は凄まじいサバイバル競争をしているようです。他の大学には無い特色を打ち出して差別化の努力をしない学校は受験生と世間に見棄てられて経営が破綻します。学生側も単なる卒業証書と学士の学位だけでは自分の進路は拓かれない時代になって、資格や技能を身に付けようとあれこれと考えて受験校を探さねばなりません。でも、「差別化」にもいろいろあって……。


女性教員にわいせつな行為をしたとして、東京福祉大学(東京都豊島区)の総長中島恒雄容疑者(60)が逮捕された事件で、同じ系列で、同容疑者が理事長を務めるサンシャイン学園(豊島区)の幹部が21日午後、記者会見し、同容疑者が総長など学校関係の役職を退任する意向であることを明らかにした。……中島容疑者は接見した弁護士に「お騒がせした責任を感じる。学校関係の役職は退任する」と語った。女性教員への謝罪はなかったという。
1月21日 時事通信

■この総長さんは強姦未遂事件を起こした問題のある人物で、噂によると大学校歌に自分の名前と業績?を歌い込ませて悦に入る強烈な自己顕示欲の持ち主なのだとか……。独裁者として怖れられ、大学全体を私物化して好き放題に振舞っていたようですから、建物も職員も生徒も「全部俺のモノ」だというわけで、やりたい放題だったのでしょうなあ。「福祉」に特化した大学を作ったのは商売上の理由以外には無かったような印象を受けますが、そこで福祉関連の資格を取ろうと頑張っている生徒は、「ゆとり世代」ならぬワイセツ総長の大学出身と言う経歴を背負って行かねばなりません。

■たくさんの学生が居ますから、アホな変態総長が逮捕されたからと言って「お取り潰し」というわけには行かないのが教育行政で、それが学校経営者の倫理を弛緩させていなければ良いのですが……。人気のある資格と言えば、福祉関連に並んでIT関連の技術も取得希望者が多い資格のようです。既に就職試験の入り口でコンピュータを扱えない者は入社試験も受けられないのですから、それなら大学を丸ごとサイバー空間に作ってしまえば良いだろう、と考えるのも時代の流れでしょうなあ。


すべての講義をインターネット上で実施している「サイバー大学」(昨年4月開校、吉村作治学長)が、在校生620人のうち約200人の本人確認をしていなかったとして、文部科学省は近く、改善指導に乗り出すことを決めた。この中には、大卒資格の取得に必要になる単位を得ていた学生も多く、同省は、講義を履修した学生だけに単位を付与するよう定めた「大学設置基準」に違反する疑いが強いと判断した。4月までに学生全員の本人確認を完了しなければ、学校教育法に基づく改善勧告も検討する。

■通常の講義形式で運営している大学でも、出席を偽装する「代返」やら研究作業を外注?する「代筆」やらの問題があるのですから、匿名性が強いインターネットで生徒を管理するのは至難の業でしょうなあ。それこそ声紋や目玉で本人確認する必要が有りそうですが、それを実施したからと言って講義を聴いている者・レポートを書いた者が「本人」だとは限りませんからなあ。

「包み紙」を考える その参

2008-01-15 21:13:01 | 教育
……ニセ学位を採用や昇進の際の審査書類に書いていた大学教員は43校48人(国立は7校8人)。……直接的な判断材料となり採用・昇進につながった教員も4校4人いた。多くは、大学の冊子やホームページにニセ学位を記載していた。……博士号が取得しにくい文系の教授などが購入するケースも少なくないという。国内でも、早稲田大の元教授が、今春の定年退職まで同大の教員データベースに、アメリカの実態不明の大学の博士号を経歴として記載していた。
2007年12月28日 読売新聞

■吉村作治さんの名前を伏せていますが、多くの人は知っているのではないでしょうか?大学内に48人しか居ないとなると、大学の外で怪しげな博士号を振り回している人がうじゃうじゃ居るという事になりそうですなあ。記事の中にさり気無く書かれている「博士号が取得しにくい文系」というのが大問題で、多くの本物の博士は海外に留学して学位を取得している例が圧倒的に多いそうです。最近は文科省の指導もあって国内産?の文系博士も増えているようですが、大学院生が博士論文を執筆するのを指導している教授が博士号を持っていないという笑えない話がごろごろしているとか……。長年、日本国内の文系学界では博士号の取得ではなく、「認定」が一種のタブーとされていたという話も有るようです。それが証拠に面白い本を読んだ後に著者の経歴を見ると「博士課程修了」が最終学歴となっている事が実に多かったのでした。

■明治以来の欧米留学に対する異様に高い評価、それは崇拝に似たドグマだったようですが、国費留学組が帰国して大学内で政治力を持てば、国内産の博士など認めない!という変な風潮が蔓延してしまうのは当然の事で、大学の文系の研究者は翻訳家と区別が付かない身分になっていました。かと言って国文学の研究者が博士号をたくさん取ったのか?と言えばそうでもないようです。博士認定をタブー視したり、変に臆病になるのは困りますが、その反動で博士号を濫発されたらもっと困ります。カネで売買するなどは言語道断!


名古屋市立大大学院の医学博士号審査を巡る汚職事件で、文部科学省が同大に対し、医学研究科だけでなく、すべての研究科を対象に博士論文審査の謝礼の実態を調査するよう指示したことがわかった。……今月10日、西野仁雄学長らが同省を訪れ、収賄容疑で逮捕された医学研究科元教授の伊藤誠容疑者(68)が謝礼を受け取ったとされる2004年度の審査について、携わった教授や学位取得者から聞き取り調査をすることなどを説明した。これに対し同省は、「大学院の学位の質を確保するためにも、期間や対象を絞らず、全研究科を対象に調査して速やかに報告してほしい」と要請した。同大の研究科は七つ。昨年度、計106件の博士学位を授与している。
2007年12月12日 読売新聞

■文系に比べて理系の博士号は取り易いという話も有りますが、中でも医学博士は「或る種の取り方」が有るという噂は有ったようです。病気の追跡調査や薬剤の効果を調べて論文にまとめれば、それなりの評価を得られるとか……。以前に『脳内革命』なる刺激的な名前の本を大量に売った医学博士が居ましたなあ。大ブームの中で博士論文の代筆疑惑などが取り沙汰されたものでしたが……。アカデミズムを揶揄する時には「象牙の塔」と言いますが、医学の世界には「白い巨塔」という小説から出た特別な表現が有ります。

■別の報道によりますと、名古屋市立大大学院の医学博士号の審査で動いた金銭は、「口頭試問の問題」の値段が現金百数十万円!「博士号取得」の謝礼の相場は、主査に対して20万~30万円、副査が5万~10万円なのだそうです。博士号には大学院生が取る「課程博士」と、仕事をしながら取る「論文博士」が有りますが、露見した博士号商売の「客」のほとんどは「論文博士」だそうですから、仕事で稼いだカネで名誉の博士号を買ったという事になりそうです。
2007年12月9日 読売新聞

■エコ時代ですから過剰包装を慎むのが流行しているのかと思ったら、やっぱり贈答品や賄賂には、それなりの豪華な「包み紙」が必要だという事なのでしょうか?同じ博士号を買うにしても、日本で買うと高く付く?地獄の沙汰もカネ次第などという悪習が、政界ばかりでなく学界にも蔓延しているのなら、日本の将来は真っ暗ですなあ。西欧で生まれて1000年の歴史を持つ大学文化が日本に入ってまだ100年ちょっと、その経験の差は簡単には埋まらないのでしょう。本物のアカデミズムが根付く前に、大学が研究機関でも教育機関でもなくなったのが戦後の日本の歴史でもありましたから、名前ばかりの博士号を整理するのと同時に、名前ばかりの大学もそろそろ整理した方が良さそうです。

■文科省からの補助金を目当てに、不法滞在の片棒を担いで犯罪同然の商売をしているような経営難の学校も増えているようですから、大学自体が過剰な包装紙になっているのかも知れませんなあ。今年も「偽装」問題があちこちから噴き出し続けそうです。
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「包み紙」を考える その弐

2008-01-15 20:39:54 | 教育
■ホイホイ福田首相が、年末の忙しい訪中で何やら重大な文化的ショックを受けたという話が有りましたが、それを見越したかのようなニュースが有ったのでした。それも立派な「名誉博士号」を持っている人の言動に関するものです。

2007年12月19日、上海・復旦大学の朱維ジョン歴史学教授が広東省で開かれた特別講座で、「孔子は私生児」、「子孫は全員ニセモノ」と驚きの講義をしたという。……『史記』の「孔子世家」には、「卑賎階級の巫女から生まれた私生児」と記されているという。朱教授自身も、1982年の著書「孔子思想体系」でこの説を採用した。

■そんな事は周知の事実のはずですが……。何を今更、という感が強い話で、そもそも系図というのは文学作品に近い物が多く、日本のように将軍家でも養子縁組が盛んな所では系図と血縁関係は別物になっている場合が多いようです。隣の韓国では系図が非常に大切にされていて、系図屋さんという専門職が大活躍しているという話も有りますなあ。系図については「本貫」やら何やら、これまた非常にややこしい話が有るので省きます。重要なのは、このような発言をして世間の蒙を啓いてくれるのが博士の役目なのではないか?という点です。深く学んで研究すれば当然の事なのですが……。


……朱教授は復旦大学の中国思想文化史研究室主任でもあり、2006年7月の70歳の誕生日には、ドイツ・ハンブルク大学から名誉博士号を受けている。折しも27日からの福田首相訪中では、曲阜の孔子廟も訪れるというが…。
12月21日 Record China

■「名誉博士」というのは通常の博士号とは違うのですが、裏金や政治的な圧力を使わない限りは、普通の博士号を貰うよりも大変なようです。とも言えないのかな?ギネス記録を狙っているとしか思えない「名誉学位」のコレクターも居るようですから……。


教育活動の実態がないにもかかわらず、大学として博士号などのニセの学位を授与する海外の団体が増えているとして、文部科学省は、ニセの学位を持つ大学教員の実態調査に乗り出した。対象は国公私立すべての大学で、同省では、秋ごろに結果をまとめ、公表したいとしている。同省が「ニセ学位」を授与している疑いがあるとしているのは、アメリカ、中国、イギリス、オーストラリアに所在地を設定しているが、それぞれの国から大学と認定されていない団体。

■おやおや、やっぱり中国にも偽造学位販売会社が有るのですなあ。まあ、無い方が不思議ですが……。外貨稼ぎを目的にしている連中が多いのなら、博士号取得の特殊事情が残っている日本などは最上のカモでしょうなあ。


国内の各大学に対して、教員がこれらの団体が授与した学位を経歴に使用していないかや、この学位を基に採用されたり、昇進したりしていないかを尋ねる。同省によると、アメリカでは、大学と名乗る団体で取得した学位を就職などに悪用するケースが相次いでおり、こうした団体は「ディグリーミル(学位工場)」と呼ばれている。国内でも、国会などで、ニセ学位とみられる学位を持つ大学教員の存在が指摘されていた。
2007年7月23日 読売新聞

■天下の?早稲田大学にも購入者が居るのですから、厳正な調査をすればごっそりニセ博士が出て来るかな?と思っていましたら、案外と少なかったようです。はて?調査方法に問題が有ったのか?日本の大学人のモラルが高かったのか?それは分かりませんが……。


大学を名乗る海外の団体から授与された博士号などのニセの学位を、大学の採用や昇進の際に利用した大学教員が全国で48人に上ることが12月27日、文部科学省の調査でわかった。同省では、「大学の信頼低下につながる」として、各大学に厳正な対応を求めた。調査は、国公私立すべての大学を対象に、今年7~9月に実施。……

■どうして夏休み中に調査をしたのでしょう?日常の業務が忙しい時期を避けたという理由でしょうか?中には「連絡が取れない」博士も居たのかも知れませんぞ。これは讀賣新聞の記事ですが、「48人にのぼる」という書き方は、この数値が予想以上に多いというニュアンスになります。確かに一人でもニセ学位で採用や昇進などしていたら、教わる学生が大変な迷惑を受けます。勿論、真面目に講義に出席して話を聴いていればの話ですが……。

「包み紙」を考える その壱

2008-01-15 20:39:29 | 教育
■1月13日の日曜日、偶々テレビをザッピングしていましたら、「包み紙」をキーワードにした面白い対照が出来ました。テレビ朝日が午後11時から放送していた環境問題を専門的に?取り上げる『宇宙船』という番組で、日本の「飽食文化」に疑問を持った米国人が、廃棄処分にされる食料品(勿論、消費期限前!)を格安で購入して社会的弱者の皆さんの手元に届ける活動をしているというお話。こういう番組を農協のエライ人や農水省のエライ人は観ないのでしょうか?

■いろいろ考えさせられるなあ、と思いながらチャンネルをフジテレビに変えると、考古学スペシャル番組でもないのに何故か吉村作治さんの顔が映っていました。ピラミッドもスフィンクスも出て来ないのは、テーマが「ニセ博士号」だったからでした。「ディプロマ・ミル(学位工場)」とか言う怪しげな商売をしている米国の名前だけの大学から博士号を受けている。正確には購入したという話でした。日本がグローバル化に積極的に参加しようとする中で、「博士号」を持つ学者の少なさが国際会議などで大問題になったという話がありますなあ。

■「末は博士か大臣か」という言葉はフランキー堺さんが菊池寛とそっくりな顔で主演した名作映画の題名にもなっているわけですが、何故か日本では長い間「博士号」は「大臣就任」と同等に扱われていたようです。まあ、この10年ほどの日本の政界ならば、ころころと首相が交代するので大臣も粗製乱造が続いていますから、逆の意味で「大臣」と「博士」は似たような物になりつつあるのかも知れません。でも、これは多くの問題が潜んでいる日本の欠陥とも言われていますなあ。

■60年代から「駅弁大学」と陰口を叩かれる地方の公立大学を当時の急行列車が停車する駅(駅弁を売っていた)がある町に建設し続ける一方で、私立大学もどんどん新設させたのが日本の大学教育行政でした。裏側には「高校全入!」を悲願とする運動があったようですが、団塊の世代の皆さんが通り抜けた受験地獄の熱気が今でも残っているようで、地方の復興を考える時には新幹線!などと贅沢は言えない所では高規格道路か大学の設置を!と今でも陳情に熱心な地方自治体が多いとか……。基本的には「入るのは大変、出るのは簡単」と言われ続けた日本の大学ですから、学士の数は凄まじい勢いで増え続けたのでした。中には「本当に○○学士なの?」などとツッコまれて困った経験をした人も居たようですが……。

■先に挙げたテレビ番組『地球号』で、中身は何でもないのに入れ物のダンボール箱にちょっとした傷が付いただけで「廃棄処分」になる恐ろしい光景が出て来たのでした。吉村作治先生はテレビ業界とは昵懇(じっこん)なので、平気な顔で取材を受けたのでしょうが、米国で購入した博士号が偽物だったのなら、ダンボール箱に傷が付いたどころの話ではなくなります。大切な食糧が入れ物の傷で廃棄されるのに、博士号が紙切れだったと分かっても、特段の騒ぎにはならないのが不思議だったのでした。マスコミで名を売っている人の中にも、同種の博士号を購入した人が多いようで、ちらちらと名前が出ているようですが、馬鹿馬鹿しいのでそちらの詮索をしても詮無いことでしょう。

■この米国産ニセ博士の問題は、以前から時々マスコミが取り上げていたもので、吉村作治さんの名がこの件で産経新聞の社会面に出たのは、2006年の12月30日だったそうです。考古学の論文で、米国のパシフィック・ウェスタン大学から博士号を受けていた事が取り上げられ、実はこの大学は名前だけの公的には認定されていない学位販売企業だったのが問題とされたそうです。お値段は20万~30万円だそうですが、記憶が正しければ当時、似たような医学博士号を見せびらかして怪しげな霊薬を薬事法ぎりぎりのカルト商法で売っている変な人が日本中を騒がせていた頃だったのではないでしょうか?

■どうしても「博士号」が必要な事情がある人は多いのかも知れませんが、自己満足のための道楽以外にこの種の「印刷物」を集めるのは関心しませんなあ。隣の韓国でもニセ博士号で大スキャンダルが起こっていますが、不思議にチャイナでは同様の騒ぎが起こっていないようです。一党独裁体制は、こういう点では異様に厳格なのでしょうなあ。論文審査は政治的な意味でも非常に厳しく、要求される論文の発表数も厳しいようです。カルト集団には非常に神経質になっている北京政府ですから、日本のように怪しげな商売に博士号を悪用するような事をしたら命にかかわるかも知れません。でも、バレテいないだけかも?御用心、御用心。

OECDショック 其の四

2007-12-14 10:53:05 | 教育
■OECDの調査結果は重大な意味を含んでいるというのに、そして、前の安倍政権は最も重視したのが教育改革だったのに、一過性の問題として忘れ去られてしまったようです。防衛省と厚労省の問題が大きいのは確かですが、「はい、では次の話題です」という扱いをするわけには行きません。

渡海紀三朗文部科学相は4日、結果を受け、読解力は横ばいだが、数学的活用力と科学的活用力は下がっていると分析し、「応用力や活用力の課題も改めて明確になった。今後理数教育の充実に努めたい」と述べた。原因については「中央教育審議会で授業時間を増やそうというのは(授業時間が)足りなかったからであり、活用力を上げるには基礎基本の知識が必要だ」として、授業時数、学習内容を削減した現行の学習指導要領が影響したことを事実上認めた。

■「理数教育」を重視すると大臣が言い出しますと、真面目な官僚がまたまた無茶な「プラン」を書き上げてしまいそうで心配です。授業時間を削り教科書を薄くしてしまったのですから、数学的概念に馴染んだり計算法に習熟する「余裕」が無くなって次々に出て来る知識が何の脈絡も無く目の前を通り過ぎるようになって、当初の目的からどんどん離れた結果になって「ゆとり教育」は自滅してしまったのですから、その発端と経緯をしっかりと検証しないで反動の勢いだけで教育行政を「見直し」てしまうのは乱暴でしょう。


科学への興味、関心が最低だったことには、実験や現場を見るなど実体験を増やすことが重要だとし、論理的な思考の基盤となる言語力を育てる必要があることを強調した。
12月4日 毎日新聞

■「実験」重視となれば予算は付け易いでしょう。しかし、クラスの生徒数を減らさなければ実験授業の充実は難しいでしょう。その一方で、「言語力」という根源的な問題を提示されると予算の付けようがありません。ここから「教師の素質」へと話が飛ぶと更に問題はややこしくなりそうです。そもそも、人は言語をどのように身に付けるのか?という大問題を解決しておかないと、わいわい騒いでいるだけの奇妙な言語訓練授業が始まりそうですなあ。暴論も思いつきもすべて「意見」「個性」と認めてしまうのは正しい教育法なのか?特に理数系で露呈する論理構成力の弱点は、前提となる約束事を無視したり、普遍的な判断基準に従わない勝手な「思い込み」を制御する技術を持っていない証拠ではないかと思われます。「公式を覚える」ことを詰め込みだ!の一言で片付けてしまうような乱暴な議論をしている間は突破口は見えて来ないでしょう。

■そもそもOECDの調査とはどんな物なのでしょう?教育テスト研究センターの鎌田恵太郎理事へのインタヴュー記事があります。


経済協力開発機構(OECD)が57カ国・地域の15歳(日本では高1)を対象に実施した「学習到達度調査」(PISA)……00年に始まったOISAは今回が3回目で、日本は、読解力15位(前回は41カ国・地域で14位)、科学的リテラシー6位(同2位)、数学的リテラシー10位(同6位)と、各分野で順位を下げた。PISAは、生徒たちのどんな力を測っているのか。国際学力調査に詳しい、NPO「教育テスト研究センター」の鎌田恵太郎理事に聞いた。

■調査対象が57カ国地域だという点も重要です。今でも子供達にとって教育よりも食糧や生命の安全の方が重大な問題だ!という国が100以上もあるという事ですからなあ。取り敢えず安全な飲み水と餓死しないだけの食事ができて、通学路に地雷が埋まっていない環境で子供達が育つ。出版物や情報機器が身近にあって、夜間の照明器具も不自由なく使えるという優れた学習環境に置かれた恵まれた生徒達が調査対象ということです。不思議なことに、普通に学校に通えない場所の子供達は学校が大好きで、恵まれた環境で学べるはずの生徒達は「不登校」になってしまうものです。


 --PISAで測る「読解力」「科学的リテラシー」「数学的リテラシー」とは。

 リテラシーは通常、「読み書き」「識字力」の意味ですが、日本と欧米ではとらえ方が違います。「読み書き」という言葉から私たち日本人が考えるのは「読むこと」「書くこと」で、それ以外のことは意識しません。しかし、欧米でいう「リテラシー」はもっと幅の広い概念です。……データや文章など、さまざまな素材を読み解き、理解したうえで、自分なりの知識と経験を基にして考える。さらに、自分の意見を組み立てて相手に伝える。この一連の行為のすべてを「リテラシー」と言います。
 
■「読むこと」は読解と理解と同じことのはずですし、「書くこと」は相手に伝えることのはずです。そうすると、「自分なりに考える」という中間に位置する作業が日本では意識されていないという話になりそうですなあ。「読むこと」が意味も考えずに音読するか、黙読しているフリをするだけだったり、「書くこと」が原稿用に要求されただけのマス目をを埋めるだけの作業になってしまえば教育ではなくなってしまいます。更に「自分なりの知識と経験」を蓄積して想起する能力が不足していると、自分で考えをまとめる事もできず、相手に伝える情報の加工もできなくなります。

■「識字力」の点では、表音文字でも表意文字でも、最終的な目標は5000個ほどの概念を身に付けることだとも言われています。現代日本語の場合は漢字という便利な概念の缶詰があり、そこにカタカタ外来語が入り込んでいるので、正確な意味を把握するのに時間がかかります。「だから英語を公用語にしろ」という意見は明治維新以来、何度も出てくるわけです。でも、仮に26個のアルファベットで構成される英語を母語に切り替えても、ややこしいスペリングを記憶し続けて5000種類の概念を習得するには長い時間が掛かることを忘れては行けません。漢字を借り入れてから1000年間、日本語は本家も知らない漢字の利用方法を考案して発展して来まして、江戸時代から明治にかけて、膨大な翻訳語を生み出して本家に大量に輸出した歴史もあります。中には誤解に基づく誤訳も含まれているのですが、それを整理修正するのは専門家の仕事です。