沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 SYNODOS

2015年07月25日 09時05分21秒 | マスコミジャーナリズム

辺野古移設を強行すれば日本への怒りが広がる──大田昌秀インタビュー


詩595 沖縄からの発信 20 オキナワを知る、ということ 1

2015年07月24日 09時18分17秒 | 政治論

 筆者は、何度も言うようにただの沖縄移住者であり、1960年代ベトナム反戦の単独反戦活動(ひとりプラカード)をした程度で70年安保当時の学生運動(当時学生だったりしたが)もほぼ傍観者で過ごした(彼等戦後戦無世代の学生運動会!!には結局ただの門外漢だったというわけさ)。

 筆者が待望するのは全面的な「自由性」以外なにものでもなく政治的に中立であることの意味など全く理解できない(それも自由を損ねるだろうから)ので、当然、孤独、独学、読書、自然科学、あるいは土いじり以外に自家滋養となるものは余り認めたくもなく欲求もない。従って沖縄観光、ルルブ系知識情報については殆ど怠惰なビジター並でしかない。

 筆者の沖縄移住は、正確には一つの偶然に過ぎない。もし必然性が多少でもあるなら底冷えする東北の寒冷を嫌った、永年の家族の要望に否応なく答えた、ということだ。その移住前にあった沖縄知識というのは今思えば実に果敢ない(現在のヤマトゥの多くの人たちとほぼ同じような無知さ加減に埋没していた)ものだった。首里高校野球部の「甲子園の土」事件が最初の記憶で、瀬長那覇市長誕生とその追放の話のほか1968年の琉球政府主席公選に屋良朝苗氏が当選した頃から徐々に耳目を掠める程度のそれが入ってきていたとはいえほぼ無知に等しかった。此処ヤンバルに来て、そのころあったらしいいくつかのヤマトゥでの事件を知ったとき、当時はそういうこともあったのだなあ、と思った。

 うる覚えのオキナワ的認識の欠片は「米軍基地にズタズタにされた島」。ところがこのうすぼんやりした印象は何の問題性も孕んではいなかった。つまり現実に、米軍機が爆音騒音まき散らして四六時中頭上を飛び交い、いつ落ちてくるか知れぬ恐怖と背中合わせになりながら生活をするということが、それのなかったヤマトゥの生活とどう違うのか、ということをそれらしく語るというようなこと、あるいは、実際に基地公害を目前にして一体人はどう反応し、その不健全な環境を強いられているという事実に対しどう自分を納得させるのか、ということ、勿論又不本意に基地を抱えることで「悪魔の島」に変質させられる罪悪感など、恐らくそんなことは頭の片隅にも生まれ来ってはいなかったのだった。そこに住むために生活の場を移動する、ということは、当然にその島のことを知り、しかも正確に知り、かつ自身の「自由希求」において事実と実態の検証と、生活の場としての適格性をはっきり見定めること、が求められるであろう。筆者にとって知識の元はネット情報よりも、過去現在に散りばめられた無数といっていいだろう書籍、文献資料にしかなかった。聞き取りならもっといいのだろうが生来の怠け者にそんな行動力はない。勢い名護市に移り住んでからは市の中央図書館に通うことが習慣となり、できるだけ多くの沖縄関連書籍に出会うことが、この生涯偶然の出会いを紛れもない必然にまで昇華する手立ての一切となっていった。

 名護市中央図書館の2階部分1/4程の南西側一角は、ほぼ沖縄県北部地域関連資料と沖縄県関係の書籍で占められている。2週間に数冊の貸し出しを受けていた当時ここから沖縄戦などの文献を見つけては読み漁ったのだが、これを読んで知れば知るほどに島津侵攻に始まる琉球とヤマトゥの関係が想像を絶する差別的処遇に放り込まれていた事実に生々しくこころ打たれるしかなかった。それは例えば戦後まもない米軍占領下、米兵による一般婦女子への手あたり次第のレイプ、あるいは完全な女狩り、あるいは疾走してきたジープが一瞥もせず去った後跳ね飛ばした農夫の死体が畑に転がっている様、など、「目を覆う惨状」というべき光景がそこかしこに見つかるのだが、こうした話を集中的にまとめた一冊は「米兵の犯罪」と銘打って、何気に置かれているのである。つまり基地問題の中でも生々しく顕著な米兵による引きも切らぬ犯罪の連鎖は、戦後すぐから現在に至るまで沖縄問題の中心位置を占めており、地位協定で守られている彼らの「外地でのやり得」化している実態が多くの資料や卑近な例から見えてくる。

 移住したばかりのころ2007年9月29日宜野湾海浜公園で11万6千人規模の県民大集会(教科書検定問題)があった。この時、後に埋め立て承認した仲井真元知事他41市町村長議会議長もこれに参画し沖縄県史上稀に見る大規模なもの(少女暴行事件時のそれは8万人規模だった)となったのだが、その後このために教科書記述が鮮明に「集団自決の軍関与」を表出したわけではない。「大江岩波訴訟」の勝訴(2011年4月確定)後も同断である。この不鮮明な国家的対応の極みは例のオスプレイ配備反対のための「オール沖縄建白書」提示にみられた。というよりも、如何なる沖縄県民の意思もこの国は明らかにこれを無視する(意思の実現を必ず門前払いする)遇し方で対してきた、少なくとも筆者が移住して10年のあいだ、この関係性には何の変化も改善もなかったことを、余すところなく見聞してきたのだ。それで、筆者は、日米安保の過重負担を沖縄に押し付け、国内問題として誠実に対処することを避け、すべてアメリカのためにその地位協定通りに基地問題の一切を不誠実にも沖縄抜きで決定しているという、この国の米国依存傀儡性として確実に認知するに至った。(つづく)

 

 

  


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年07月23日 16時45分59秒 | マスコミジャーナリズム

辺野古沖でフロート引き上げ 台風対策か

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246182-storytopic-271.html

報告精査、県「3週間」 辺野古三者委、知事判断早まる

八重山から辺野古「ノー」 郡民大会に300人

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246177-storytopic-271.html

16日の嘉手納基地離着陸124回 三連協が目視調査結果公表

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246184-storytopic-3.html