沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2015年07月22日 16時19分36秒 | マスコミジャーナリズム

ゲート前100人抗議 辺野古、作業は確認されず

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246118-storytopic-53.html

平和メッセージ、ケネディ大使に送付 「辺野古反対」伝達 東アジア共同体研究所

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246136-storytopic-53.html

辺野古ボーリング調査「結果破棄」 名護市議会要請に防衛局

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-246135-storytopic-53.html


詩595 沖縄からの発信 19

2015年07月22日 09時12分28秒 | 政治論

 テロの標的に米軍基地は成り得ない。テロ組織にあっては、新たな戦争を仕掛ける為に或る国家への攻撃を企てるような愚行に走ることはないからだ(9.11はブッシュの半狂乱を誘ったが本来彼の明確な敵は戦争を仕掛ける1国家として措定し得ないものだった)。テロは必ず、その身近で起こり得るという恐怖を市民に印象付けるために行われる。従ってそれは人間が比較的蝟集する場所と時間を狙って動く。ブッシュの言うテロ戦争という文言は結局逆上した権力主体が国家ぐるみ(他国も巻き込みながら)で愚行に走ったことを表現するだけのものにすぎない。現在軍拡主義者どもがしばしば使うようになった「テロの脅威」と軍事的拡大意図の組み合わせは、結果的にはブッシュの戦争と同じ過ちを繰り返すことでしかない(イラクアフガンの惨状を見よ)。米軍基地を他国が標的にする事態は、彼らの言う、取り分け中国を想定した仮想敵国との戦争を開始したときに始まる。

 7割の専用米軍基地を有する沖縄本島は、彼らの言う仮想敵国とのあらゆる軍事衝突、局地戦、宣戦布告戦争自体によって必ず狙われる、あるいはその標的化確率が極大となる。従って、今琉球島嶼に弧状に連なる自衛隊駐屯などによる国の軍事要塞化は、沖縄県民全体が、ミサイル攻撃の確実なロックオン状態を招く地域で、不安な生活を日常的に強いられるという状況、不公平に過剰に人権を侵害される状況を作り出す、ということにほかならない。敗戦国処理として戦争手段を放棄させられたとは言え自らこれを不作為に受容したはずの日本国民としての県民は、当然に後付ではあるが(戦後70年の歴史的時間が証明した、ということ)憲法9条乃至憲法主要理念の忠実な履行において、国際的な避戦実質を遵守できるもの(これもまた歴史的に証明された)と期待する。一方、既に現代戦争事情においてミサイル戦略にシフトした実情が、米軍プレゼンスの「抑止効果」を凌駕するに及んで、最早軍事的脅威をもって対抗する対中外交の無意味さ、危うさこそ強調されねばならず、取り分け日米中の軍拡競争によって戦争の直接的危機に晒される琉球沖縄の切実な非戦、反戦意思にはヤマトゥの無知無関心、差別的対応を憎悪する市民感情が辺野古闘争を通じ、奔出するマグマとして煮え滾っていることを知らなければならない。所謂、過疎地、辺地、辺境と思い込まされた琉球島嶼の離島のいくつかでは、原発立地にほぼ同然な理屈でこの国の軍事的方針が刹那的な経済事情を刺激し、次第に後戻りできない勢いの首長たち主導で軍事拠点化されようとしているが、そこに効果的な未来予想図は絶えてない。

 後代の世界観を想定しない国家戦術に翻弄される琉球沖縄の執るべき未来志向は、結局この国からの離脱以外はあるまいが、果たしてそれはどのように実現するものなのだろうか。(つづく)