沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩595 沖縄からの発信 18

2015年07月18日 08時19分28秒 | 政治論

 悪法も法、というソクラテスの考え方は誤解されやすいが、彼の弁明を読めばその死(涜神罪による死刑判決)を招いたのは、彼自身の全く妥協しない法への不服従にあったことがはっきりする。又死刑を免れる方法はいくらでも容易に見つかったのに、それをしないことの方が最善だと判断する根拠にも堂々たる弁明がある。いずれにしろ現代日本の司法の在り方に関し、「違憲状態」とか「違憲だが選挙は有効」というような、権力者や体制に迎合する恥ずべき判断を下して止まないこの国の司法には今や全く期待できず、ましてやスラップ裁判を是認するかのような国情で恐らくは辺野古埋め立て承認の法的瑕疵は腐りきった三権同立国家の行政権突出状態の中では、決まりきった誤った司法判断が下され、最終的に代執行に至るだろう、というのが現在の望まれざる非常に絶望的な見方である。現在の日本政府の沖縄に対する在り様は、かつての琉球政府に対する米国民政府のそれにほぼ同じい。しかしながらこうした人為的外圧的な環境の中にずっと置かれてきた琉球民族にとって、今更「チルダイする」理由などありはしない。ソクラテス並に国家の矛盾に非暴力で不服従抵抗を決して止めない態度を貫くことは、人間として最善の、最終の生き方であり死に方である。(つづく)