沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩565 沖縄と日本、ということにある問題性 3

2014年10月04日 13時40分47秒 | 政治論

 「普天間返還と辺野古移設」という括られた問題が18年以上もの間未解決問題として空中浮遊していたのは、この問題の核心が「沖縄と日本」という関係性にあったということについての明確な視点を持っていないと、多くは米国国家安全保障問題の枠組みでのみこれを把捉することになり、それは結局戦後連合国主体の世界観に支配され、これに追随せざるを得ない為政者は安保絶対堅持主義の永続的保守停滞論理に陥る、ということの証左ではある。幾つかの信頼できる情報によれば、この問題の最強のネックは実は外務防衛等官僚と政府の「反民意」姿勢から出てくる「沖縄固執」にあったことがわかっている。政府の「反民意」とは概ね民意無視、軽視にすぎない。又官僚の沖縄固執は、一つの問題における問題解決に対する官僚的怠慢、あるいは先送りあるいは完全な「民意無視」から来た驚くべき封建遺制体質にあった。この封建遺制体質が沖縄防衛局の基本的な性格を根拠づけている。我々は防衛局の、住民抗議乃至県の申し入れに対する対応の随所にこれをまざまざと見出しているし、防衛局はまた自身の体質にさほどの時節的違和感...民主性が問われる局面が多々あるにも拘わらず...も感じてないように見受ける。彼らが住民の抗議に真面目に悩んで苦心する姿など見たためしがない。官僚主導政治家の苦悩?は結局政治的な問題にのみ落着し、如何に県民あるいは首長たちを懐柔籠絡するかという方法問題で悩むのである。彼らが「県民の気持ちに寄り添った」ことなどただの一度もない。むしろ安保体制固持にかこつけて何くれとなく沖縄に国家専権のごり押しを平気でやってのけている、というのが実態である。安倍晋三配下においてはそこに更に厚かましくも官憲を投入した代執行並の「問答無用」政治が横行している。このような国家の専横を、「あの時こうしていれば」といって回顧するような目送黙認の愚を犯すがものではない。「沖縄戦」の真の意味は、沖縄県民が「基地の中に町がある」といったような、ああした軍事的アクションの一切を完膚なきまでに否定、追放して、決して戦時の同じ轍を踏まない、踏ませないという意味である。(つづく)