沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報社説

2014年10月18日 07時11分22秒 | マスコミジャーナリズム

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-233286-storytopic-11.html

 こうした米国国家安全保障施策の理念性のない受容を平然と持続させたのはこの国の官僚政治家連中であって、彼らが自国民の中の沖縄県民を不当に理不尽に差別し、「おのれさえよければよい」という浅はかな劣性エゴによって戦後70年を「精神性の希薄な」状況で経過した許しがたい罪過は、決してこのまま無事に済む話ではない、ということを彼らは、いよいよ頻繁に襲いかかる多くの集中的なカタストロフィーから感じなければならないのであろう。「喉元過ぎれば」の在り様で、フクシマもヒロシマも今次の広島土石流も、はたまた御嶽山噴火も安倍政権が本質的に有する「隠蔽」「過小評価」「改竄」体質に情報操作されて過去の彼方へ「なかったことにされていく」。菅の言う、辺野古のことも「もう過去の話」にさえされようとしているが、台風19号がものの見事に反証を挙げる「フロート破壊」を演出してくれた。辺野古も高江も市民運動の強固にして根強い活動意欲は健在だ。あのような懐柔籠絡で耄碌した知事ただ一人を切り崩しても、県民80%の反対を押し切るような巨大な「ブルドーザー」などこの世には存在しない。「銃剣とブル」の世界は彼等の頭の中で燻る消えかけた「封建時代」を恥も外聞もなくひけらかすばかりで、「世界理念」はこれらを駆逐し排除する以外の方途を持ちはしない。