沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩565 沖縄と日本、ということにある問題性

2014年10月02日 11時55分35秒 | 政治論

 1万2千年前、最終氷期以降気温上昇し、海水面が大陸と日本列島を分断すると、現今ある琉球島嶼もまた海中の弧状の島々に分離され、これらが、こののちほぼ同様な先史時代(旧石器....沖縄の場合は後期旧石器、縄文{1万6500年前~3000年前}・弥生{紀元前9世紀~後3世紀}・古墳時代{3世紀中後半~7世紀頃}....沖縄では貝塚時代)を経過した。但し弥生時代には特徴的に稲作農耕文化が展開するが、沖縄では遺跡に(紀元前8世紀の農耕痕跡があるが)これが見られず、農耕文化は貝塚時代後期の末12世紀頃に本格化したとされる。当然この頃の生業は狩猟採集漁撈に限られ、物々交換あるいは一部貨幣経済乃至初期の遠隔交易(貝の道....日本本土北海道に及ぶ)なども痕跡として散見推定されるようだ。農耕文化開花以降島津侵攻までを「古琉球」(12世紀~17世紀初頭)と称す。農耕文化の遅れについては九州地方から移住した本土系人群がこれを齎したのが12世紀ころかそれ以前ではないか、という推測がある。最近の遺伝学的アプローチでは琉球人と本土人の「同祖説」が有力で、沖縄本島のシマンチュは土着的な意味では平安末期から鎌倉時代にかけて南西日本(九州南部など)から移住した本土の人々が主流なのかもしれない。

 ウィキペディアでは「神代」「古代」というエポックを書き連ねるが殆ど本土日本のそれに違わず大差ない内容(神話伝承祭祀の類)で括られる。我々が注目するのは「おもろさうし」(琉球の万葉集)「中山世鑑」(羽地朝秀編纂)などの史料乃至資料で、そこに、古代を俯瞰する後世史家の琉球的な捉え方を垣間見るのである。神話時代の跡付けから今日の琉球が持つ独特の信仰形態が千年王国的な確かさで我々の耳目を引き付ける。一方日本本土から疎隔の地にある別天地琉球島嶼は南国の気配と風土的な特異性から、その言語学的な面でも生活風習の面でも本土とは一線を画す趣きで現今沖縄を形成したと想像される。この事実は、現在の「差別」的な日本国政府と沖縄の関係性を生む因果的事象の明瞭さを持ってはいるが、彼ら為政者の、極めて前時代的封建的低劣さに彩られた感情的流動性に怠惰に放任される恣意性を許容するには、余りに琉球的自律性を非人間的に軽視、無視していると判断せざるを得ない。このことについて国連人種差別撤廃委員会合議は、島嶼における琉球民族の先住的人権優位性につきこれを認めるよう政府に勧告している。結局それは煎じ詰めれば、日米安保という国策を最優先に推進される、日米軍事同盟関係強化という名のもとに琉球島嶼において展開する軍事的試みの一切につき、自衛隊行動含め島嶼住人の意思、意見、立場、あるいは見解の大小を問わずこれらに対して真摯に向き合うべきことを義務付けようということだ。琉球人民の民族的先住性、優先権の認証とその次位にある国策の見直しである。(つづく)