先住民族認知とは別に、そうした差別的国内植民地境遇(それは琉球処分から連続的に連鎖している)の悲劇的結末乃至因果的事実として「沖縄戦」があり、その体験が、国家による軍事的なアクションの一切につきいよいよ「日本対沖縄」の相克様相を永続的にかつ確実に定着的にしてしまうことになる。それで、この「非戦」「反戦」意思によって性格付けされている沖縄の「抵抗」は、戦後70年になんなんとしている昨今、頓に戦争体験者の高齢化とその人口減少も相俟って実体験的な「戦争体験」の希薄化や軽視無視改竄という流れまでの看過ならぬ現実を形成し始めている実情のなかにある。それはこの、殆ど戦後戦無派で占められている安倍政権による軍国主義的全体主義的独裁体制という前時代な古色蒼然たる右傾化、戦前的価値観=皇国皇民国体報国の流れであり、安倍晋三一個人にしか実現理由のない、国民非在のヒトラー的狂気の「我が闘争」日本版にほかならない。(つづく)