沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩567 沖縄に対する日本の在り様

2014年10月16日 11時40分28秒 | 政治論

 民俗学の泰斗柳田國男翁(1875年~1962年)が既にあの時代(明治大正期)に、取り分け東北と沖縄の種々のフォークロア的な比較対象によって日本人北上説を唱えたことは、この驚嘆すべき碩学にして有していた、当時から差別的に異属視されていた沖縄に対する並々ならぬ思い入れが垣間見られ、今日、未だに旧態然とこの国に常民レベルではびこる沖縄差別の、愚昧な心理的政治的状況的現象をまことに現代人として恥じ入る事態と思えるのである。8年前に移住して以来特に注視してきたのだが、この国が沖縄に対して示してきた「国家的要請」はどう見ても「国家的押しつけ」でしかなく、しかもあらゆる代議制民主主義における正当な「国民の声(選挙結果)」の量的凌駕を完全に無視し、官憲の暴力的弾圧さえ容赦なく繰り出すという恐るべき封建遺制体質に覆われている事実は、同国民として看過すべからざるものがあるというしかない。筆者が、沖縄で現在この国がその出先機関によって執行しているあらゆる「沖縄無視」の行為を全国に向かって報知させんとする理由は、常民レベルで食い込んでいる「沖縄差別」を「それはあなたの(あなたがたの)無意識にやっていることだ」と気づかせるためだ。

 日本人北上説は、(筆者などの認識にあった)九州南部の日本人移住によるものというありきたりな見解には真逆なものであり、大変驚いた。実際当時の沖縄学の専門家たちにも予想されなかったことらしい。日琉同祖論は伊波普猷が夙に披瀝していた所謂南下説の代表的なものだが、柳田翁はむしろ日本人琉球祖説というに等しい北上説を採択することで、敢えて日本人に対し、「本土」とか「内地」といった差別用語に見る「異属視」を揶揄するような気配すら感じさせる。翁が注視しているのは言語における日本古語(古代語)の生き生きとしたウチナーグチ化であった。(つづく)