沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2014年12月11日 14時44分56秒 | マスコミジャーナリズム

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-235724-storytopic-1.html

 この国の司法は戦後日本国憲法にいう三権の分立を自ら崩壊させた。立場上その権限は行政府の意向に沿わない決定をしないものとして存在している(誤った考えである)が、言って見れば国家権力の絶対的行使能力にお墨付きを与えた、ということである(国家方針が優先し、これを違憲として弾劾する権限を放棄した、ということ、例えば自衛隊の9条違背案件など)。但し、違憲立法審査権という権限は保留されてはいる。この辺の法手続きは皆目わからないが、要は最高裁判決といえども下級の裁判所からこれを不当、として問題提起することはできるということか。因みにこの権限は、憲法の最高法規性と基本的人権尊重の原理に基づくものである。最高裁の決定が最終決定ではないし、国家権力もまた当然ながら最高法規には従わねばならず、しかも最後には人民の有する基本的な人権が何にも勝る、ということだ。人民の闘いに敗北の一字はないものと心得なければならない。


詩548 日米政府官僚が沖縄に対してやっていることの正体 琉球新報記事

2014年12月11日 12時46分29秒 | マスコミジャーナリズム

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-235706-storytopic-271.html

 このように、市民が自分たちの土地を国によるいわれなき軍事化から守ろうとして、長い間労苦を惜しまず戦い続ける姿を見るにつけ、逆に言えば、この国は戦後、一体何をやってきたのか、今沖縄に対して何をやっているのかという根源的な疑問を呈さずにはいられないのだが、このていたらくを準備し予定し実行してきた自民党一党独裁体制が、安倍晋三なる破廉恥漢(識者、専門家集団、民意に一切無関心な男である....というよりこの男の口から出る耳触りのいいたわごとは全て大嘘で成り立っている)の出現の所為で益々悪の塊りのように凝固していく流れを散見すると、我々国民は、一体戦後(民主化のために)どんな努力をしてきたのかわからなくなるのではある。我々国民、つまりは有権者であり、次世代に教訓を垂れる立場にあり、この国の仕組みに絶えず監視の目を向け時の政府を批判的に正していく選挙民にほかならず、まかり間違っても戦前の軍部独走甘受の弱者的姿勢には舞い戻ることなく、大戦前のドイツ財界人のように「ひとつあいつ(ヒトラーナチス)に政権を執らせてみようか」といった軽い調子で悪魔に主権を譲渡するような愚は犯すまいと覚悟しなければならないのだ。戦争を知らない我々は実体験なしに戦争を語る連中(この国の軍国主義者乃至その亜流、あるいは無知な迎合者)に耳を傾けるよりも、周りにいるこれを切実に語る先輩たちに話をせがまなければならないし、戦跡を残す沖縄に「物見遊山」でなく戦争の追体験を心がけるような訪問の仕方で対しなければならない。戦争が齎した惨禍を認識し自分の体験として経験化する作業をすること。かかる経験をもとにして「非戦」「反戦」の思いを肉化する、という努力をしなければ、戦後70年の現代にあっては必ず「支配と恐怖」によって心理操作され、この国の右傾化する政治家は容易に戦前復帰を目掛け我々を徴兵するべく法整備するに違いないのである。(つづく)