沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩576 琉球沖縄の現実 3

2014年12月08日 09時57分28秒 | 政治論

 戦時中、欧州では1940年ナチスドイツがフランスを侵攻占領し、ヴィシー(ヴイシーは首都名、ペタン元帥が首相)傀儡政府のもと1942年11月以降、1944年8月ドゴール将軍のフランス共和国臨時政府が凱旋帰国するまでフランス全土を支配下に置いた。コンボラシオンと呼ばれるナチスフランス協力体制によってこのヴィシー政権のユダヤ人迫害など強化され、レジスタンス地下抵抗運動が活発化した。いずれにしろ占領フランスはドイツへの戦時協力を余儀なくされたのだが、解放後レジスタンスの手で所謂ナチス協力者が摘発され公衆の面前で様々な辱めを受けた話は夙に映像や文書資料から我々にもその生々しいありさまが垣間見られる。二都物語の映画などでフランス革命時民衆が王侯貴族を残虐に殺戮していったさまを彷彿とさせる出来事ではある。こうしたナチスドイツ協力のフランス人の中に近在するユダヤ人を当局に「密告」する一群がいた。これをフィクションながら実話に基づいて描いた小説がフランス人作家ピエール・アスリーヌの「密告(原題 {依頼人 La cliente})」だ。

 アスリーヌ(作中 私)は、一種の義憤に近い心情から執拗に密告者を追究していくうちその時代的な出現契機に気づかされ、これをユダヤ人問題に限定特化するのでなく、密告する人間の複雑で運命的な内面性に辿りつくことで普遍的な問題に置き換えようとする。彼らの言い分は恐らくは単なる言い訳、であろう。その密告のせいで何人ものユダヤ人が敢え無く収容所に送られ殺されていったのであり、如何に弁明しようが到底許容できない犯罪的行為である。問題は結局次の一事だ。それはハンナ・アーレントが戦後絞首刑になったナチス第一級戦犯アドルフ・アイヒマンについて論述しているように、彼らの犯罪は言ってみれば我々自身を映すなのだと。しかも映し出された我々は、必ず、真実でない逆向きの自分自身なのだ。

 仲井真知事の、あるいは自民党県選出国会議員、自民県連の県民に対する裏切りはある意味広義の「密告」である。我々はなんというウチナンチュをはらからとしてしまったのか、と嘆く筋が多いのであろうが、彼らもやはりウチナンチュの、逆向きの我々自身なのだ。これは彼等を許容することではない。彼らは断罪されて然るべき許しがたい、歴史的過ちを犯した張本人である。しかし目をつむってはならない。逆向きの我々自身でさえある彼らの言動、姿をしっかりと心に刻まなければならない。闘いはそこからだと。

 と、生意気なことを書いてしまったわい。(つづく)