沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩576 琉球沖縄の現実

2014年12月04日 09時07分17秒 | 政治論

 現に実を挙げる、という意味の琉球沖縄に関する「現実」の中には、日本国において国が執る対米外交、取り分け軍事面での結託である「日米安全保障条約」によって保証されている米国専用在日軍隊駐留基地が、日本国全体で負担する基地面積のうち7割以上をここ沖縄本島で引き受けている、という現実が、これに関する論議の内容、大小、言揚げする事由の如何を問わず存在している。この数字だけを取り出すとこの事実の示す「現実」には、既に大方の見解にあって「不公平な負担割合だ」という認識がされているように、あるいは国が「沖縄の負担軽減」と殊更言い募るところからも、明らかに国策の不手際、政治処理手続きの瑕疵、対米外交的(条約上の)「不平等性」の黙認(交渉に関する官僚的怠慢、業務上の懈怠)という別の「現実」があることは間違いない。そしてここには、日本国政府による明らかな作為、即ち沖縄県民の民意「これ以上の基地負担は御免だ」という切実な訴えを故意に斥け、何が何でも新基地を建設するという意図が明白に示されている。その故に環境アセスも埋め立て申請もその内容についての識者専門家の意見、見解乃至批判に耳を貸さずに政府判断だけで実行裁可(仲井眞県知事の裁可には密室政治的恫喝懐柔策が加えられた跡を垣間見せている)させ日米合意という名の辺野古移設の具体的進展に「粛々と」勤しんでいる。彼らの持つ自己矛盾乃至客観的不条理である「沖縄の負担軽減」と「辺野古新基地建設」との相反する実質については、彼らは決して口に出して言及し申し述べたことはない。彼らの「辺野古が唯一の解決策だ」という言い方には、彼ら自身のこうした自己矛盾が自己欺瞞と県民への詐術も相加して、県民に対する圧力として作用する不思議な魔物(それはこの安倍晋三によって明らかな国家主義的ファシズムに移行した)が潜んでいる。当然ながらこうした政府のやり方に誠実さはないし、彼らがまともに「沖縄の負担軽減」に取り組んだことなど一切ない(安倍晋三が初っ端にぶちあげた嘉手納以南基地縮減の大嘘は既に衆目の一致する処ではないか)。辺野古ありきで進んでいることは明白だが、そこに民意への配慮もこれを判断材料とする意思も皆無である(海保県警民間警備会社といった暴力装置を駆使して大掛かりに実施している海底ボーリング調査においては抗議活動する民間人の負傷者が続出している)。周知のように国の専管事項という文言には法的根拠などない。従って、彼らが最後の砦とするこの言い訳には現実的な意味は全くないのであって、代執行にさえ民意が押し負かされてすごすご退却する必要はない。

 この一連の不祥事(沖縄問題は日本国が抱えている最大の最悪の不祥事にほかならない)において明確に析出された「現実」こそ、琉球沖縄の真の姿、つまりは民族的特異性に現れる国内一律化され得ない沖縄の民族的独立性、自律的自決的意思の確かさ、草の根的にある「オール沖縄」化する「対日本国政府乃至対日本国民」意識だ。(つづく)