沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩481 21世紀における非文明性

2013年09月27日 21時30分25秒 | 政治論

 国による「辺野古埋め立て申請」が出されている現在、沖縄県知事仲井真弘多氏が県議会での知事答弁において「辺野古埋め立て不承認」を示唆する発言に至ったことは、当然のこととはいえここにきて県民から安堵する心的傾向を引き出すものがあったのは事実だ。但し「政治的判断」というのが曲者で、例えば新潟の泉田知事が曲がりなりにも東電の条件付「安全審査申請」を承認したという報道は、知事の変節?という反応を一般に起こさせた。そこに何があるのか。泉田氏の態度に不審な点は見当たらないので氏の原発再稼動に関する考え方(自治体が承認しなければ再稼動はないということ)には変化はない。すると問題は田中俊一である。この工学者は福島県の出身で例の「原子力ムラ」住人であり、規制委員会は自治体の意向に関与しないと言い放った当の本人である。つまり彼ら規制委員会の審査さえ通れば(それが地方自治体の意向に反していても)電力会社は原発再稼動を強力に推し進めることができるものと判断されることになる。このことは例えば東電のような破綻すべき利益団体にとっては生存持続の根拠とされる惧れがあるということで、この国の保守停滞主義に彩られた政治環境そのままに、不快な思考停止物件が続々と産み落とされるという、恐らくは人性にそぐわない悟性の堕落、哲学の喪失という、精神の暗黒時代を一層色濃く深める結果となるというわけだ。さて、辺野古が不可能となってもこの現在の思考停止状態がそのまま継続されるというわけでもないことは容易に理解されよう。つまり普天間固定化という段階に入る。しかも県が拒否するからそうなるという筋書きが堂々と一人歩きする格好だ。そこから日米政府の落としどころを代執行の是々非々に持っていかざるを得ない。この先を考えることには実にうざったいものがある。21世紀という世紀にあって、特化した非文明性(国家が人民の意を蹴散らすということ)が沖縄には通用させられる、という考え方が、仮初めにも現代人の脳髄に平然と立ち現れるということは、世界中に蔓延する無差別テロに有力な自己正当化の根拠を与えるということでさえある。(つづく)


詩480 安倍外交

2013年09月27日 07時08分06秒 | 政治論

 安倍晋三は軍国主義者ではなく軍国主義亜流に過ぎず、その国家主義になんらの理念もなく漠然たる勢力拡張主義を予感させるだけではある。彼には既定の世界勢力地図だけが見えているわけでその基本はアメリカ国家安全保障体制への全面的な肩入れ、アジアでの対米第一地位の確保という「ポチ外交」が主流の屈辱的世界性が日本国を三流国家に位置づける方向性で決着しているのである。この保守停滞帝国官僚主導の口先手先が勝った日本丸がそれなりに太平洋を泳ぎきろうと必死の様子はわからぬでもないが、残念ながら既に足元には火の手が回っている。その火の身を焦がす熱さに堪えかね衝動的に乱発される愚策に対し人民は警戒しなければならない。この対米追随傀儡政府の粗雑な国策の犠牲になってはならないし、政治的な駆け引きの余り、本筋を取り違える愚を犯すことはやがて墓穴を掘る取り返しの付かない土つぼにはまる危険性がある。(つづく)