組織テロは個人的テロに比すればある程度予測可能な敵対行為といえるが、個人テロの場合は個人に人口分の主張があり得る以上、時間、空間、理由、対象(無差別も当然ある)を選ばず殆ど無作為に生起するものと思わなければならない。ブッシュが愚かにも始めた「対テロ戦争」はほぼ石油がからむありとあらゆる対象に向かって米国自身の利権獲得保持思考に則って仕掛けられ、「民主化」理念上散々な結果に終わったのであり、しかも一層惨めな紛争の火種を各地に置き去りにしたということになる。この米国の大統領は、没落する西洋文明を尻目に覇権の実質を世界中に浸透させようと所謂「ならず者国家」「テロ支援国家」を名指し、明瞭に、ある一群の国家組織団体あるいは人種民族に弾道ミサイルをロックオンし、脅迫と威圧を旨とする「9.11報復」行為に血道をあげてきた。バラクオバマを見よ。このブッシュの戦争を批判しきれずに、かつは世界史的視点を誤ってシリアで迷走した。彼のプラハ宣言が評価されるのなら、何故世界は彼が彼の国の歴代大統領並みに「場合によっては戦争手段も現実政治では選択対象だ」といったときプラハの発言がその真意を失墜したと批難しなかったのか、不思議でならない。個人テロの因源は優に数百冊の異なったエピソードの、センセーショナルなベストセラーを生むだろう。政治はこうした負の感情に彩られた自己主張の全てをその政策によって包含することなど決してできはしない。ただその動向の変動、変移を示す具体的な事例の数々を我々は時代的な感覚で捉えざるを得ない。「彼らに共通しているのは?」とか、「時代の反映」とか。果たしてそうか。どの時代にも多かれそういう突発事態はあったのであり、この時代が特に多発していると言うのでもあるまい。米国海軍内で起こった殺傷テロは、イラクアフガン帰還兵の実に4人のうち3人(つまり75%)がPTSDに罹患している調査結果(9月16日付沖縄タイムス)が出されている事実から、この予備役に起こった心的な外傷(彼自身は軍事関係では後方支援だったらしいが)を原因と感じるのが自然だ。多分そんなことは隠蔽され矮小化されるが、歪んだ思潮に粉飾された上部構造の見えざる圧迫を人民は絶えず実感している。(つづく)