不図、やはり思うのである。この島は本土の参謀本部によって捨石にされ、本土決戦(という本土の自己欺瞞...結局それは決して実行されるはずもなかった)の準備のために時間稼ぎする、という方針によって主力を欠いた(主力は台湾に行った)無力極まりない持久戦に放り込まれた。
しかも本土に疎開しなかった一般民衆の安否なぞは、圧倒的な物量を誇る米軍の砲火と掃討戦の只中で事実上風前の灯でしかなかった。血で血を洗う陸上戦と、海上を埋め尽くした米艦船から発せられる「鉄の暴風」と言われた砲弾の嵐が、蟻の隙間程も許さぬ密度で、ありとあらゆる空間に襲い掛かる。
この戦争を扱った多くの戦記、体験記、記録は、この世ならぬ阿鼻叫喚の、あらゆる老若男女が無差別に死に行く地獄を伝えている。この地獄はこの国によって捨てられた同じ国民の上に齎され、一般民衆を軍人並みに必至の死地へ追いやった。彼らは軍人同様に「生きて虜囚の辱めを受け」ないために戦場で殆ど疑義なく自死する道を選ばされた。「八つ裂きにされ強姦され惨殺される」という触れ込みで、決して捕虜にはなりたくない思いを共有し、生きるより死ぬことが望まれたのだ。そしてむなしく捕虜となり生き延びてからは、死んでしまった者への悔恨に満ちた余生を過ごすことになる。
死せる魂はこの島に「恨み」としてのみ留まりはしないだろう。「共生共死」精神ばかりは多くの場合、彼らの深奥に達したのではなかろうか。今となってはその心境に容易には近づけやしないが、集団強制死の驚くべき惨たらしさに思わず身をのけぞらせたとしても、頑是無い幼児たちは別として素直に死を受け入れた心根を思わずにはいない。
しかしそこに「国に殉じる」という感懐も意気込みも見えてはこない。彼らが叫んだ「天皇陛下万歳」は明らかな過ちだったと今では言えるが、それは彼ら自身の内容ではなく彼らの死を意味づける形式にほかならない。特攻隊員がこれを叫ばずむしろ肉親の名を呼んだのは、その死が完全に殉死であり客観的に意味を持っているからだ。だがどちらにしろこの異常な死は現実に起こってはならないはずの死には違いない。(つづく)