沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩460 ある歴史 2

2013年09月08日 23時17分19秒 | 政治論

 まさか、東京都に特化したはずの東京五輪招致とこれによる大衆的狂奔が、この国の「全体主義」の総仕上げとは思いも拠らなかったが、史上アドルフヒトラーという男はベルリン五輪を利して彼自身の妄想、「第三帝国」への片道切符を手にしたといったら、少しは安倍晋三の魂胆が見えてくるかもしれない。安倍政権は、この国の一部の富裕層のための数字的幻惑を用意して彼らの百年王国をでっち上げようとしているし、民衆的高調はかつてヒトラーが最大限活用し、軍事的侵略的国家行為の根拠たらしめる重要なファクターとしたものであり、ナチの人種差別主義、アーリア人絶対優越主義は今更問わぬが、対中対韓対朝対アジアにおける多くの局面に日本の為政者が絶えず示した優越的態度は、やがて彼ら自身の首を絞めるか国際的孤立を招くのが見えている、ということだ。但しこの国が敗戦とともに喪った矜持は、逆の意味で作用するなら願ってもないが、結局は歴史観の曲解と史実の捏造、偏向教育の実例にみるがごとく、決して死に絶えなかった戦前の帝国的官僚が、ゾンビさながら息を吹き返すカラクリに何時か気づかされることになるのである。このゾンビが手傷ひとつ負わずにかのトコロテン傀儡政権をこのまま維持できるとは到底思えないが、油断するなら、こうした「流れ」というものは、一挙にゲリラ豪雨のように忽ち君らの足元を水没させるものなのだ。(つづく)


詩459 ある歴史

2013年09月08日 06時52分47秒 | 政治論

 こういう話。第一次大戦の敗戦で荒廃した国土(日本では大震災、放射能汚染)を抱え一度は見送られたベルリン五輪がスペインバルセロナ(今回はマドリッド、イスタンブール)を破って開催決定した(1936年開催)という、不思議なアナロジー。当然このときもヒトラーナチスへの反感忌避の念(日本への欧米はじめアジア各国の批判批難傾向)があったが、どういうわけか一時的に人種差別政策も封印されそのどす黒い野心もひたかくしに隠されたためか米英も開催同意したという、安倍晋三をヒトラーに見立てる気はないが、「何事かを隠蔽しメリットのみを喧伝することで多くの人民を欺く手法」は、為政者がとってはならない禁じ手なのはわかりきったことだ。(つづく)