沖縄を考える

ブログを使用しての種々の論考

詩454 傀儡国家 9

2013年09月03日 17時33分11秒 | 政治論

 「インサイダー」編集長高野孟氏が、恐らくは書きなぐって纏めた(読み返す気になれないと後記している)「沖縄に海兵隊はいらない」は、所謂シンパ的な意見表出という傾向を滲ませながら、この問題に関係する過去の大方の言論動向、政治的軍事的展開の各論総論、分析総合論点、を一応網羅しているのかと思いながら読んだのだが、勿論現今事情がとても危惧される流れにあることを示唆していることは間違いなく、シリアを巡る大統領と議会の論議などにも関連する、世界史的な視点での、とりわけ突出した米国軍事行動に関わるあらゆる問題性が、むしろこの極東の一地域において逆視される状況(米国世界戦略が日本の一島嶼の理念的闘争によって告発されるような状況)になりつつあるということだ。但し仲井真知事が埋め立て承認に同意した時点でこの状況は泥沼化する。血で血を洗う激越な住民闘争(三里塚でも見られなかった内戦に近い暴力闘争)に落ちることは間違いあるまい。下駄を預け最後の犀は振った積もりの日本政府が慌てふためく景色を年末年始ころ眺めなければならないかもしれない。仲井真知事はオスプレイの強行配備に対し憤激し「基地の全面閉鎖」まで言い募ったのだったが、この時の気概、ウチナンチュウとしての真情発露が本物ならば、党派を超えて信用できる唯一の安保容認保守政治家といえよう(島尻安伊子、西銘恒三郎なぞは選挙公約を翻す政治倫理に悖るやからだ)。「辺野古代替施設建設事業」に対する名護市民の意見徴集が10月31日まであるが、本来海兵隊は現代戦争事情からしても無用の長物でありそのヘリパッドを新たにジュゴンの海の環境を破壊してまで造るなんの必然性もないのだ。その辺の事情はこの本に詳しい(新刊は昨年の12月である)。(つづく)