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街場の読書論

2012年12月23日 | レビュー
街場の読書論
内田樹
太田出版


神戸に持って行った2冊のうち一冊。
実は、道中すでに後悔していました。この本は今年の春先に出たもので、私は書評を見て購入し、しかしやや分厚いために電車に乗るときに持ち歩くには躊躇があったんです。「重い」し(重量も中身も)、ちょっとした移動に読むには不向きと思って、何度も手に取っては本棚に戻していたのでした。しかも私はこれまで内田樹氏の本をいくつか読んで、毎回腹を立てており、この人の書くものに抵抗がありました。

私が後悔したのは、「なんで出たときすぐ読まなかったのか」という点で、ああ、損した。と心底残念でした。この本はひたすらにおもしろかった。しかも、内容は全然重くはなかったし、電車の一駅で一章が読めたのに、わたしは積読本にしていたのでした。

この本は内田氏が読んだ本の紹介をする類の本ではなくて、それを足掛かりに、社会の様々な問題に対する内田氏の考えが述べられています。というと陳腐すぎてつまらないですね。とにかく読めばわかります。

付箋だらけになってしまった本の中で、どこか一つ引用して紹介するならば、『「大人」になるために』、という章の、「若者よ、マルクスを読もう」という本の話を挙げたいです。青年というものはマルクスを読むものである。というのが過去の日本の常識としてあったのだが、いまやマルクスを読む若者はいなくなった。マルクス主義はマルクス主義者を作るために存在していたのではなく、大人を作り出すための知的なイニシエーションだった。マルクスを読まなくなった日本人は、成熟のための必須の階梯の一段を失った(p240-245)。マルクス主義というのはある意味極論なんですね。それを知ったのちに中庸を選ぶというのと、最初から中庸にいるというのは意味が異なる。極端まで行ってから戻ってきた人の方が今いる自分の立ち位置の意味がよく理解できる。というようなことが書かれてありまして、わたしもまったく同じように思います。紆余曲折の末にたどり着くのと、最初からそこにいるのとでは全然人間的深さが異なるだろうと思います。だから学生にも「最短距離を行こうと思うな」と言ってるのですが、できるだけ早く成功したい、と思ってる人にはなかなか聞いてもらえません。

他にも紹介したい章はたくさんありますが、ネタバレになっちゃうのでこの辺で。しかし先日の旅猫リポートで書いたように「年末になってよい本に巡り合うなあ」というのが続いており、2012年のベスト本を選ぶのはちょっと先になりそうです。

コメント (2)
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