山谷農場に切手を送ってください。

2012年02月08日 | 日々のこと
南佐久郡小海町で山谷(やま)農場を主宰する藤田寛さんは、生活に困った野宿者に炊き出しをもう10年も続いている。

当社のパートナー会社の奥様がその活動に参加されていた縁で、お客様感謝祭の折ОBのお客様にご協力を願ったこともあった。

 その後お米を作らなくなったこともあって、寄付するきっかけがないままにきてしまっている。

 昨年の3.11以降、お米が集らなくなったという。来月分の確保もできない状態になった。そのことが大晦日に新聞記事になったのだという。私は見過ごしたらしいが。

 そうしたら、県内一円から、お米の寄付の申し出があり、今年の夏分までの確保ができたのだという。何かホッとした気持ちになったのは、意識の中に潜在しているものがあったからかもしれない。

 藤田さんの活動はしばしば新聞に掲載されているから、その活動内容をご存知の方も多いだろうが、藤田さんのご自宅は相模原市、そこから小海町の山谷農場に通い、集まったお米を精米し、東京の山谷や新宿で炊き出しを行なっている。

 ただ炊き出しをするだけでなく手伝いも促しているという。

 確かに暮しにくい時代がじわじわと押し寄せている気がする。

 そんな中で藤田さんの活動も、そこにお米や野菜を寄付してくださる方にも、頭が下がる思いがする。

 何もしないではなく、何かできることから、お互いが支えあうという、ここ何十年間に失った物を取り戻す為に必要なことだと思う。

 お願いがあります。
 古米を送る郵パック用の切手が欲しいとのことです。昔買ったままの切手や年賀のお年玉当選切手、趣味で集めたけど集める意欲をなくした切手など、眠っている切手を送ってください。

 送付先 384-1102 長野県南佐久郡小海町小海3715-102 山谷農場へ
 
 寄付いただける古米などがありましたら藤田さんの携帯へ。 090-1436-6334午前中のみ

 私も探し出しました。とりあえず僅かですが送ります。

 藤田さんの活動については、ネットで検索されるとでてきます。

 上記、藤田さんの活動については、新建新聞社の記事から引用いたしました。

                 依田美恵子

軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家


【 中島木材のホームページは こちら


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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (山谷(やま)農場・藤田 寛)
2012-02-09 12:01:37
依田 美恵子 様

ご無沙汰が続いてしまい、たいへん失礼しております。

『新建新聞』に掲載された呼びかけをご覧くださったのですね。ありがとうございます。

昨年は原発事故による食への不安から、首都圏を中心に消費者による一昨年度のコメを買いだめが起こり、余剰米を集めるのに苦労しました。昨年10月初旬にはついに在庫が底を突いてしまいましたが、『新潟日報』『愛媛新聞』『熊本日日新聞』など全国各地の地方紙でコメの提供を呼び掛けたところ、大晦日までにどうにか在庫を回復させることができました。感謝!夏まではお米の提供を呼び掛ける必要がなくなりました。

絆とは反対に、肉親をはじめ近隣や勤め先などすべての縁を失い、行き場を失った人たちが多数、炊き出しに姿を見せます。中高年がほとんどですが、中には家から追い出された若い人もいます。


本籍・住所・氏名不詳の男性、自称大和一夫、推定年齢74歳、身​長174センチ、体重65キロ、重度精神発達遅滞、統合失調症、​家族関係、生育歴等は聞き取りができず一切不詳

上記の者は、昭和32年11月、東京都民生局の「一斉収容」により上野で保護され、昭和32年12月から当区内の病院に入院となっていたところ、平成23年12月8日に死亡しました。身元不明のため、遺体は火葬に付し、遺骨は保管してあります。お心当たりの方は、当区健康福祉事業本部福祉部練馬総合福祉事務所までお申し出ください。

平成24年2月9日

東京都練馬区長 志村 豊志郎


きょう付けの『官報』行旅死亡人欄に、気の毒としか言いようのない男性の死亡を伝えています。行路死亡人とは無縁の方が亡くなったことを指すのですが、この男性は肉親を戦災で失、ったのでしょうか。人の一生とはなにかを改めて考えさせられます。​

長文になりましたが、今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

山谷農場・藤田 寛
返信する
藤田 様 (美恵子)
2012-02-09 14:47:00
 こんにちは。お寒い日が続いております。
ご丁寧なコメントをいただき恐縮です。お断りもなく掲載させていただきましたこと、お許しください。

 戦後の高度成長時代をもろに生きてきた私たちです、失われた10年・20年と言いつつ、いつかまたいい時代がくるのではと思い続けている人たちも、さすがにそれは無いと身に染み始めています。

 高度成長時代の大量生産・大量消費は物欲をみ満たしてはくれましたが、その中で私たちは多くの物を失ってきたのだと思います。

 物の価値観を変えてといいますが、価値観を変えたとしても、現実は生きていくのが、困難な人々が確実に増えていく方向から抜け出れないように思えます。

 藤田さんの活動を目にしたり、読んだりするたびに頭が下がります。

 午前中、別のことで社長に「思っているだけでは何も変わらない」と言われましたが、誠にその通りですね。

 今後共よろしくお願いいたします。

 
返信する
Unknown (新建新聞社 綿貫芳文)
2012-02-09 19:51:18
依田様

山谷農場の「切手を送ってください」のブログ掲載ありがとうございます。
私も掲載時に、家の引き出しを捜しまくり、6000円近くの年賀当選切手を見つけ、
藤田さんに送付しました。探せばあるものです。昔は年賀状をせっせと書き、返礼も
多かったので、その分、毎回10シートくらい当たります、20年分だとけっこうな
量になりますが、それを何かにつかうかというと、入れっぱなしです。モノ余りの時代、
最近は当選番号を確認しない方、1等の交換もしない方も随分いるようですが、こんな形で協力できるとは思いませんでした。
神戸の時も震災5日後のまだ炎が上がっている現場に炊き出しに行き、3.11も宮城にいきました。栄村も少し携わり、義援金も物資も協力しました。今回、藤田さんの活動を知り、簡単なことではないと感じます。目標とか、責務とかにおいてしまうと、仕事で無い限り重くなります。そしてなにより10年も続けられていることに感銘しました。未曾有の災害からもうすぐ1年を迎えようとしています。会社のトップには1回ボランティアしたからなんなの!と言われます。周りには無関心の方もいれば、中々時間が見出せない方もいます。今回のような切手で応援できるのであれば、もっと多くの方も支援の輪に参加できるでしょう。「割り箸もほしい」との事、これから自宅に戻って探してみます。
とり溜めない話になってしまいました。(今日も疲れてます(^0^)/
まずは御礼まで

新建新聞社 新聞編集局
綿貫芳文

返信する
綿貫 様 (美恵子)
2012-02-10 13:46:53
ご丁重なコメントありがとうございます。切手が集ればと安易に引用させていただいてしまいましたのに、思いがけずに「主」からのコメントにいたみいるばかりです。

 いつもあの面は読ませていただいています。それと「トンボの目」のファンです。

 言葉ばかりで、なかなか行動に移せないのが現実です。

 「割り箸」ですか、いいですね。コンビニでは必ずお断りしているのに、どういうわけか集ってしまい「物をふやさないこと」を目標にしている私にとっては無用の長物です。

 私も探して送ることにします。

 気負わずできるところから続けていきたいと思います。
 これからも「心温まる」元気の出る記事をのせてくださいね。
 ありがとうございました。
 
返信する

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