23日の信濃毎日新聞を見てギョとした。
「諏訪地方の停電引き起こした倒木」「カラマツ『根返り』原因か」の見出しで、さらに「『直根』なく風に弱い」の副見出しが付いていた。
9、10月の台風で茅野市などに数日間の広域停電を起こした倒木は、戦後造成されたカラマツの人工林だったことが、専門家への取材で分かった。という報道であった。
そこまでだったら、なるほどと納得したのかもしれないが、その後に続いた「植林されたカラマツは苗木段階で、地中に太く伸びる『直根』が生産効率を上げる目的で切られているものが多い」とあった。
「成長すればするほど重心が高くなり、強風によって根ごと倒れる『根返り』が相次いだとみている」
まさしくう~んだわね。
私の仕事は材木屋だったから、卒業して会社に入って以来、10年前まで「カラマツ・唐松」一辺倒という時代を過ごした。
唐松に対する愛着はひとしおである。
その私ずっと信じていた。唐松は向陽性と言って、根が浅いので根元に太陽が当たらないと、強風で倒れやすい。だから適切な間伐が必要なのだと。
昭和55年の台風で東信地区の唐松は、まさにベタに倒れた。それも台風の風の向きそのものに倒れたから、早く言えばあっち向きこっち向きで、その山の木を片付けるのに、何年も要したのである。
昭和55年と言えば、戦後の荒廃した山に植林したもので、間伐期を迎えている頃で、まだ使える木が少なかったから、カラマツはソ連から輸入していたのである。
正確に言えば唐松以外にもたくさんの木材が我が国にやってきていたのであるが。
ソ連カラマツを略して「ソ唐」と言っていた。ぼちぼち間伐が必要な時期に来ていたが、国内の間伐した木よりも、海を渡ってさらに陸路を走って来る「ソ唐」の方が安いと言う事情があり、ますます国内の間伐は進んでいなかったと思う。
その台風の前年、当社はその安い「ソ唐」を止めて、国内の唐松に切り替えていたのであった。
なぜかと言われれば、海を渡ってくる唐松は時間がかかっているので、皮が剝けないのである。
その頃から土木用材に「皮剥き」が求められるようになってきた。丸太は乾いてくると皮が剥げ落ちて、現場はその掃除を嫌がるようになっていったのだろう、だから出荷する前にと。それと長い時間を経てくるソ唐は見栄えが非常に悪いのであった。
ソ唐は冬場は我慢したとしても、夏場で苦労してしまうのだった。
国産材への転向は同業者からバカかと言われたが、先を見た選択であったと思う。
千葉県の構造改善事業で使う土木用材に、メーカーの制作したまだ何号機というレベルの皮剝き機を導入して、「皮剥き」した製品を出荷すると、後は右に倣えのようになった。
海の無い長野県で内陸製材でソ唐を使っていたこの地も、昭和55年の台風以後、ソ唐から国内の唐松に一斉に変わっていったのであった。
そうしなければ倒木の処理が進まなかったからである。
先人が植林した木を1本でも多く市場に出したい・・・・それがその当時の私の気持ちだった。
いやいや私の愛してやまなかった唐松が倒れやすいのは、「直根」をカットしていたからかもしれないなんて。
これが本当だとしたら・・・・・ものすごい複雑な気持ちになった。
かって長野県は唐松の苗木の産地だった。東北・北海道に苗木を売ってその当時いい商売をしたのだと思う。
そして間伐・伐期を迎えて、長野県はそのライバルとなった東北・北海道の唐松で苦しむこととなったが。
いつしかその唐松がお荷物となり、唐松の植林がごくわずかになって、苗木を作る人も少なくなった。
現在苗木を生産している農家では、苗を選別する時点で、「根切り機」を使っていて、その際直根を切っているという。
これを手作業に変えて直根を残すことは、経営的に難しいと言う。
災害に強い森づくり・・・・・とんだところに伏兵がいたものだと思った。
森林税・・・・こんなところに使ってほしいな。
啓蒙活動のパンフレットなんか作るよりいいと思うけれどな。
カラマツというとソ唐を連想するので、私は国産材は唐松と分けてしまう。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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「諏訪地方の停電引き起こした倒木」「カラマツ『根返り』原因か」の見出しで、さらに「『直根』なく風に弱い」の副見出しが付いていた。
9、10月の台風で茅野市などに数日間の広域停電を起こした倒木は、戦後造成されたカラマツの人工林だったことが、専門家への取材で分かった。という報道であった。
そこまでだったら、なるほどと納得したのかもしれないが、その後に続いた「植林されたカラマツは苗木段階で、地中に太く伸びる『直根』が生産効率を上げる目的で切られているものが多い」とあった。
「成長すればするほど重心が高くなり、強風によって根ごと倒れる『根返り』が相次いだとみている」
まさしくう~んだわね。
私の仕事は材木屋だったから、卒業して会社に入って以来、10年前まで「カラマツ・唐松」一辺倒という時代を過ごした。
唐松に対する愛着はひとしおである。
その私ずっと信じていた。唐松は向陽性と言って、根が浅いので根元に太陽が当たらないと、強風で倒れやすい。だから適切な間伐が必要なのだと。
昭和55年の台風で東信地区の唐松は、まさにベタに倒れた。それも台風の風の向きそのものに倒れたから、早く言えばあっち向きこっち向きで、その山の木を片付けるのに、何年も要したのである。
昭和55年と言えば、戦後の荒廃した山に植林したもので、間伐期を迎えている頃で、まだ使える木が少なかったから、カラマツはソ連から輸入していたのである。
正確に言えば唐松以外にもたくさんの木材が我が国にやってきていたのであるが。
ソ連カラマツを略して「ソ唐」と言っていた。ぼちぼち間伐が必要な時期に来ていたが、国内の間伐した木よりも、海を渡ってさらに陸路を走って来る「ソ唐」の方が安いと言う事情があり、ますます国内の間伐は進んでいなかったと思う。
その台風の前年、当社はその安い「ソ唐」を止めて、国内の唐松に切り替えていたのであった。
なぜかと言われれば、海を渡ってくる唐松は時間がかかっているので、皮が剝けないのである。
その頃から土木用材に「皮剥き」が求められるようになってきた。丸太は乾いてくると皮が剥げ落ちて、現場はその掃除を嫌がるようになっていったのだろう、だから出荷する前にと。それと長い時間を経てくるソ唐は見栄えが非常に悪いのであった。
ソ唐は冬場は我慢したとしても、夏場で苦労してしまうのだった。
国産材への転向は同業者からバカかと言われたが、先を見た選択であったと思う。
千葉県の構造改善事業で使う土木用材に、メーカーの制作したまだ何号機というレベルの皮剝き機を導入して、「皮剥き」した製品を出荷すると、後は右に倣えのようになった。
海の無い長野県で内陸製材でソ唐を使っていたこの地も、昭和55年の台風以後、ソ唐から国内の唐松に一斉に変わっていったのであった。
そうしなければ倒木の処理が進まなかったからである。
先人が植林した木を1本でも多く市場に出したい・・・・それがその当時の私の気持ちだった。
いやいや私の愛してやまなかった唐松が倒れやすいのは、「直根」をカットしていたからかもしれないなんて。
これが本当だとしたら・・・・・ものすごい複雑な気持ちになった。
かって長野県は唐松の苗木の産地だった。東北・北海道に苗木を売ってその当時いい商売をしたのだと思う。
そして間伐・伐期を迎えて、長野県はそのライバルとなった東北・北海道の唐松で苦しむこととなったが。
いつしかその唐松がお荷物となり、唐松の植林がごくわずかになって、苗木を作る人も少なくなった。
現在苗木を生産している農家では、苗を選別する時点で、「根切り機」を使っていて、その際直根を切っているという。
これを手作業に変えて直根を残すことは、経営的に難しいと言う。
災害に強い森づくり・・・・・とんだところに伏兵がいたものだと思った。
森林税・・・・こんなところに使ってほしいな。
啓蒙活動のパンフレットなんか作るよりいいと思うけれどな。
カラマツというとソ唐を連想するので、私は国産材は唐松と分けてしまう。
依田美恵子
軽井沢・佐久で建てる外断熱・省エネ住宅 中島木材の家
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