10年前、あの日のことは昨日のように覚えています。
直後のテレビから流れてきた津波の映像。
あれを見てしまった私は、どうしても東北に足が向けられませんでした。
買い物ツアーに行けるようになったのは、5年も経ってからでした。
映像を見ただけでも、こんなとは情けないことです。
被災された方にとっては、この10年はいかばかりだったことと思います。
決して元には戻らない生活。
あの日、私たちは多くのことを学びました。
地震に津波に・・・・原発事故。
「直ちに・・・・」との政府発表を信じて、いや信じたくていたのかもしれません。
実はかなりヤバイ状態であったことを、あとで知ったのでした。
軽井沢に別荘を建てるお客様と契約を交わしたのは地震前でした。
地震直後から、連絡が取れなくなりました。
1ケ月も経ってからでしょうか連絡が取れ、その間の事情をうかがった私はきっとあんぐりと口を開けていたのかもしれません。
東京から名古屋に避難、そして沖縄、さらに香港にと、放射能を恐れてでした。
当然契約は解除されました。
多分、情報のアンテナが私たちより高かったということなのですね。
あの直後、停電の経験も含めて、私たちは今までの生活を見直そうと思ったハズです。
我が家だって、夫が退職記念に買ったワインクーラーを即止めましたもの。
原発より自然エルルギーをと、太陽光発電も付けました。
3.11を忘れない、だれもが言いますが、忘れてしまったことも多いのではないでしょうか。
あの日の経験から、私たちはそれ以前の生活を見直そうとしたハズです、重ねていいますが。
10年経っていかがですか。
人の痛みは我慢ができるといいます。
それでいいのでしょうか。
原発を止めることさえできていません。
もう、原発は止めよう、故郷に帰れない人々、元の生活に戻れない人たちに寄り添うならば。
ノーカーボンかもしれないけど、出口の処理も確立できていないのに、その処理にどれだけのお金がつぎ込まれるのかもわからないのに、次世代や未来に丸投げにしているだけではないでしょうか。
原発が海や河の傍にあるのは、原発は熱処理に水を使うから。海水温め装置とも言われていると読んだことがありました。
そういう意味から言えば、地球温暖化の一端を担っているのではないでしょうか。
3.11は辛い記憶です。
地震・津波、さらに原発事故に被災された皆様が心穏やかに暮らせる日が来ることを祈念しています。
他のことを書くつもりでしたのに、脱線してしまいました。
お読みいただきありがとうございました。
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