リサ・ラーソン& CWX

今日は朝から信楽陶芸の森で行われていたリサ・ラーソンの展示会に訪れる。
猫だけでなく、動物のキャラクターが特に目を楽しませてくれた。




その後は京都南でワコールの招待客イベントへ。

CWXのタイツを、半額以下の超お買い得価格でゲットして、1時間あまりの待ち時間の

苦痛も飛んでいきました。



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NO-MAへ 

通院休暇の昨日、通院のあとエクストレイルのユーザー車検をすませその後はまっちゃんと共に近江八幡へ。

行き先は僕のお気に入りのボーダレス・アートミュージアム NO-MAであります。

アールブリュットとその他を区別せず、アートという枠の中で一つに展示するという素晴らしいコンセプトで

作られているこのギャラリーは町屋の建物と相まっていつ行ってもほっこりとします。

  


で、今回のテーマは「鳥の目から世界をみると」いう 俯瞰好きの私をはまり込ませるテーマでもありまして、

過去(大正期)の観光パンフであったり、ご近所のアールブリュットさん(山田美智子)の展示であったり、

現代アーチスト(山口晃)の不可思議図であったり、とても楽しく拝見できました。(写真がNGなのが残念ですが)




で、その後は近所の新しいカフェ、 ラ・コリーナ近江八幡へ。


ここは例のたねやさんのクラブハリエの 姉妹店みたいです。 田舎の中に突然現れる
屋外緑化された田舎屋風建物。



中に入ると とてもきれいな美術館の様なカウンターと、白壁しっくいに炭を埋め込んだ面白い細工の吹き抜けにびっくり。




2Fのカフェでコーヒーとおいしいバームクーヘンを頂いて、またまたほっこりとし、

楽しい午後を過ごした日でした。





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アールブリュットアート★日本2 @近江八幡

この週末は、近江八幡の町屋で行われた アールブリュットアート★日本2に出かけた。
私がこのところハマッテいる、アールブリュット・アートです。

町屋のしっとりと落ち着いた空間と アートの展示はとてもしっくりとマッチングして
とても面白かったです。


 
 近江八幡の町屋で開催                                          


 八幡堀

そしてまた、新しい情報が・・。 新しく計画されている滋賀県立美術館のプロポーザルが決定し
あの金沢近代美術館の設計者の「SANAA(サナー)」に決まったとのこと。
この美術館は、展示の軸のひとつにアールブリュットアートを据えていて
建築・アールブリュットアートともに かなり楽しみになってきました。

滋賀県立美術館のプロポーザル
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越前カニツアー

この週末は義父母と義兄夫婦との越前旅行でした。
年一度の贅沢なカニツアーなのです。

カニの本場の越前で食べきれない位のカニを堪能してきました。
こんなサイズのカニが越前の海底ではうじゃうじゃ居るのかと
想像するとすごいです。





で、翌日は永平寺に立ち寄った後、勝山の恐竜博物館へ。

いつも山に行く時には横目では見ていて 寄ったことも有りませんでしたが、

どうせたいした事ないかもと あまり期待はしていなかったのですが・・

なんのなんの、いろんな恐竜の骨格展示が一杯あったり、ジェラシックパークさながらの

皮膚感覚と目や関節が微妙に動くリアルな模型があったりで、飽きない展示がされていました。

建築的にも面白い作りがされていて、後で調べたら黒川紀章事務所の設計だった。

入館料も700円と安く(70歳以上はただです) 行ってみる価値はある場所ですね。







こんな感じで普通の人の休日を過ごしました。

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国宝探訪@日光

毎日忙しい日々では有りますが、義父母の助さん角さんとして
関東のお寺参りに行ってきました。(板東三十三)
今回の訪問で満願したので、これで西国・秩父・板東の百観音を
お参りしたこととなり、大変御利益が有ると言うことなのです。
(あっしは部分参戦でしたが・・)

ともあれ、その途中に国宝の日光東照宮を30年ぶり位に訪問。



中学校の時に訪問して以来で、全体的にキンキンギラギラの悪趣味イメージで
あったが、よくよく見てみるとその異常なまでの凝りようは
良くもまあここまでやったな・・って感じで、時の権力の凄さを
思わせるものでした。


垂木と垂木の間にまで施された装飾や、壁の立体的な彫り物、床裏にまで
徹底して行った銅板葺きなど、見ていてスゴイの連続です。
最後は目がチカチカしそうになりました。



そんな中でも色々ファニーなアイテムがそこかしこに埋め込まれています。
きっと当時これを作った人は、何でもいいから面白いモンを彫っちゃえ・・
って感じで心の赴くままにほったんでしょうな、きっと。

これは左甚五郎作の国宝の眠りネコですが、よくよく見ると、ブッサイクな柄の
ネコですなあ・・。カツラ柄の顔になってます。
ここでネコの柄をあえてマスクや、茶トラを選択しなかったのが
彼のセンスというところなのでしょうか・・・?


それにしても、現在では絶対に出来ない贅を尽くした仕事ですが、
こういった仕事に携われた人はきっと楽しかったことと思いますね。
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板東三十三ヶ所遠征

先週末は三日間の休みを使って久しぶりのお寺巡りであった。
義父母が趣味とするお寺参りであるが、今回は関東の観音霊場
「板東三十三ヶ所」なのである。
我らは四国お遍路に続いて今回も助さん・角さんとして同行だ。

板東三十三ヶ所は、関東一円神奈川から東京・千葉・埼玉・群馬と
広く分布しているので回るのもなかなか大変なのです。


今回は、鎌倉から千葉の房総半島を回ったのだが・・・
鎌倉では、関東の人の多さにタジタジとなり・・ました。
平日で、祭りだというわけでも無いのに、何でどこから
これだけの人が出てくるんでしょう??



千葉に渡って少し田舎になりようやくホッと一息。
やはり、田舎者には都会は合いやしやせんぜ~。



西国三十三、四国八十八、板東三十三とマッチャンは全戦参戦、
ちゃたろうは部分参戦して来ましたが、その中で見えてきたこと・・。

参る者←→参られる者の心=「お接待」の心が残っているのは
四国八十八ヶ所。

西国と板東のお寺は、ちゃんとしたまともなお寺も有れば、
一方では金儲け主義が見え隠れするお寺も有り・・・。
(フトお寺の裏の駐車場を見れば、シーマやベンツが止めてあったり・・)

こんな風にお寺であっても清潔・汚れたもの色々あるということすらも
「ありのまま」であるということが、「般若信経」の心なのだなと、
悟ってしまった私なのでありました。


「なんか文句ありやすか・・」
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四国八十八お遍路・終了

義父母と一緒に回った四国八十八ヶ所お遍路旅も昨日無事終了した。
(ボクは途中参加であるが)都合4回×2泊3日=12日間で車で回るという
早足回りである。四国遍路の旅スタイルとしてはやはり、歩いて回っている人>自転車>バイク>車という具合でして、当然歩き遍路の人が一番エラいのである。
残念ながら時間の無い一般人である僕らは、一番安楽コースの車遍路しか選択肢は無いのですが、それでも一年の中で12日間を旅に時間を割いたのは初めてでして、それはそれで良かったです。
 ましてや、親子での旅行なんて大人になって生活が忙しくなってくるとなかなかとれるわけでないので、こうしてやり繰りしながら、同じ時間を過ごせた機会をとれたのは貴重なのです。

 話かわって今回は香川県という訳で讃岐の本場。やはりというか、うどん屋さんがやたら多くて、しかも安い。普通のかけうどんなら250円、ダブルでも300円ちょっと。コシがしっかりあってツルツルとしたうどんはさすが本場です。
そういう安いうどん屋さんの多くは「セルフ」でして、町を歩いているとやたらセルフうどんの看板が目立つのです。 こちらで「セルフ」といえば「ガソリン」ですが、どうやら、あちらで「セルフ」といえば「うどん」らしいです。

その他、お寺回りでは色々な「建築」も見ることも出来て面白かったです。
古い物から新しいものまで、小さい物から大きい物までいろいろとありました。


それにつけても思うのは、宗教だからこそこれほどの物を作れるということ。
逆に言えば、宗教でないとこれだけの物をつくるエネルギーは出せないということですね。 
いくつかのお寺では今も修理のための寄進受付をしていて、それに対して瓦とか銅板とかの寄進をしている人も沢山いました。
今も昔もそんな風にして、お寺を作ることに対して人々は多くのエネルギーを費やしていて、それが名建築を生んできた訳です。


さて今日からは又、世俗の大変な世界に戻るとしますか・・。


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四国八十八ヶ所ファイナルステージ

マッチャンおよび義父母と回ってきた四国遍路の旅もいよいよファイナルステージになりまして、ついに今日から3日間の予定で最後のお寺を回る予定なのです。
私としましては別に特に宗教心があるわけではなく、またこの年齢でこういうのを回るのもまだ若い方だとは思うのですが、まあこれも成り行きなのです。
 普段山登りばかりしていますので、たまには違う事もして、脳みその違うところを活性化してやるのも良いのではとも思ったりして・・。

遍路旅をすることになってなし得た事は「般若心経を完璧に覚えた」事くらいではありますがこれは結構良かったと思います。
何が良かったかって、この最も短くて含蓄のあるお経は絶大なパワーを持っているらしいのでお化けに遭遇した時にはこれを念じて悪霊から身を守ることが出来るのです・・(冗談)

いやいやそうではなくて、別に宗教心があるわけではないのですが、宗教の持つ魅力とかそういう物が存在することの意味が少しずつわかってきたということでしょうか。「それがある」ことでやはり人は幸せというか、心の安らぎのひとつになりうるということが分かったという事なんですね。

ここから先の話はなかんかブログではしんどいのでいつかHPの片隅にでもUPしたいとは思いますが、とにもかくにも僕自身の環境変化の原因はたぶん5年前の「母の死」から始まったのだとは思います。
 
そこから生きる死ぬとか宗教なる物のこととかそういう辺りの事に関心を持つようになり、それが今の遍路旅にも繋がってきているような感じです。 
んな事で、未だにたいした人間ではありませんが、この数年で、精神的な面で以前とは少し違った人間になった様な気がします。

では、美味しいうどんを食べに行って参りま~す。
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日本建築史

最近フト思い立って、日本の建築史を自分なりに勉強し始めた。過去の有名な建築物を年代史の中に落としていくとなかなかに興味深い事も有る。
日本で最も古い建築物はもちろん法隆寺である。それこそ今をさかのぼること1400年前なのである。さらっと1400年前というがそれこそめちゃくちゃ昔である。当時の人々がどんな文明生活を送っていたかを知るよしも無いが、それほどの昔にあれだけの建造物が作れたと言うこと自体が超ビックリである。
 現代ではコンピュータという機械や構造力学といった学問がすでに確立されてその上での技術ができあがっている訳なのだが、印刷技術すら満足になかった当時の世の中でそれだけの構造物を、経験とカンだけで作り上げた(だろう)「棟梁」という人はやはり天才であったと思わざるを得ないのである。あるいは、中国から技術を教えに来ていたとてつもないブレーンがいたのだろうか?

そういうことを考えていくと、戦後50年でとてつもなく日本は発達したと言われるけれども、それはただ単純に物事を処理できる能力が飛躍的に発達下だけで、根本的な技術は、遙か昔の技術から対して発達していないようなそんな気もします。
あるいは、手作業でなされていた技術はむしろ昔よりも低下しているかも知れません。

そんな風に昔の事をつらつらと思い浮かべていくと、エジプトのピラミッドは人間業ではなくて宇宙人が指南してつくったなどと言われますが、日本の古建築こそそういう指南が有ったと思ってもおかしくないようなそんな気がします。

それにしても昔の人の力はスゴイ物である。
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円空仏

先だってマッチャンの実家に帰った際近くにある荒子観音に行ってみた。
荒子観音には国宝の多宝塔があるのだが、そのほかにも円空作の仁王さんもあったのでした。
(国宝の多宝塔)

 (円空作の仁王さん)
普通お寺の門に構えている仁王さんというと怖い顔面の物が多いのですが、円空さんのそれは全然違っていて何かファニーでマンガチックな顔でして、仏像に抱くイメージとはまた違う味わいなのでした。 

(普通の仁王さん)
円空さんは350年前の人なのですが、今見てもかなり異質なその仏像が、350年前の人々にはどのように受けいられたのか(はたまた受け入れられなかったのか)そこら辺はちと気になる所ですね。
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