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ちゃたろう山日記+

山の日記や日々のたわごと

スマホだらけ

2011年10月18日 | たわごと
このところ通勤電車を見ても会社の同僚を見ても
スマホに乗り換える人がとても多いのに気づく。

テレビでは新しいアイフォンの発売に合わせて
並んで待つ人までいる・・。

あたしにはとてもついて行けません・・。
つう~か、高いしね~、
それほどのイニシャルコストを掛けて、
さらに毎月のランニングコストを掛けて手に入れる
ほど価値あるものとは私には感じられなくて、

結局先頃買い換えた携帯電話も
メールと電話とネットができる最低限の仕様で、
最優先事項は山でできるだけ電池がもつ様にと
待ち受け時間が一番長いのだけを優先にして
結局数千円で新しい機種を手に入れました。

僕にとってはスマホを手に入れたとしても
使うのは通勤の行き帰り電車のみだろうし
家や会社ではPCが有れば十分だ。

電車で恐ろしい数のひとがスマフォの画面を
指でなぞっているのを見ると、まんまと携帯会社の
戦略に乗らされているように感じて
気持ち悪い位だ・・・。と感じるのは僕だけだろうか。

時には休日にまで掛かってくる携帯という道具。
今の僕にとってはどちらかというと
「不幸をもたらすツール」>「便利なツール」
であるが、多くの人にとっては違うのだろう。

いまの僕なら
携帯も無くテレビも無い、暖かく静かな南の島で
のーんびり過ごしてみる時間が欲しいと思うのだが
スマホ中毒の若者にとってはそんな環境は苦痛でしか無いのだろう。

そういえば、エベレストでもネットにつながっていたい
日本の若者もいましたよね・・。




でぼけ

2011年09月12日 | たわごと
昨日午前中は、自治会の清掃活動。
年に一回の法面の草清掃なのです。あらかじめ近所のボランティアが
草刈り機で刈っておいて頂いたのでありがたいのですが、
それでもそれらの草を集めてトラックに乗せるだけで結構な
肉体労働なのです。むしむしとした中たっぷりと汗をかいて午前中を終える。

午後は実家へ野暮用に。
超ど田舎の実家は、今日は同じ組の方々が寄っての
年次行事(=飲み会)でして、今回は一人ぐらしの親父の家が
宿(=宴会場所)なのでした。 
昼から実家の掃除やら、飲み会の時の食事の準備やらで
叔母さんにも手伝っていただいておおわらわ。

夜の六時から飲み会は始まって九時過ぎまで、だらだらと
ご近所の宴会はつづいたのでした。

久しぶりのご近所のみなさんに愛想をしながらも、
話を聞いているとどうやら若者は後がいない模様・・。
・・・うーん・・・家でご近所の人を集めて宴会をしなければならないという
こういう風習は、もう今の人たちには無理ですよね・・。
(というか、そういう部屋が無い)

18年に一回回って来るということなので親父の顔を立てて
頑張りましたが、まるでお葬式を自宅でやったかのように疲れ果てた一日でした・・。

「田舎暮らしにあこがれる」という文字をよく見ますが、私にはそういう気にはなかなかなれないですね。

旅風情

2011年08月24日 | たわごと
昨日の帰りのこと、いつものJRローカル線に乗り換えようとしたら、
二人のローディーが改札近くで自転車をばらして袋に収納していた。
頭にはヘルメット、ウエアはジャージのままで、いかにも今まで走ってきたって感じ。

どこから きたんかな?どこへいくんかな?

と思いつつローカル電車に乗ると彼らも隣の車両に乗ってきた。

ふふ~ん、三重方面行き?愛知行き?

遠くの土地で自転車に乗り、そしてローカル電車で輪行する。
あ~旅風情っていいね。
僕も仕事を完全に忘れて、知らない町・見知らぬ土地を自転車でさまよってみたくなった。


ローカル電車とはいえ通勤時間帯の電車の中で彼らの風情はかなり浮いた感じですが、
同じローディとしては、やはり興味津々。

どこからきて、どこへあなたは行くのか?今日はどこを走ったのか?
そんな事を聞きたい衝動に駆られるが、やっぱり話しかけるのは気が引ける気がして
結局降りる駅まで声掛けられぬまま 僕は降りた。

はぁ~。やっぱり、山と違って町では知らぬ人に声を掛けるのはちょっと勇気がいるね。


駅を出ると、自転車置き場で駅猫のヤマちゃんが夜風に当たり、とろんと涼んでいた。
暗がりの中「おー久しぶり~」とさんざんなで回し、少し涼しくなってきた夏の夜の再会を
喜んだ。






現代馬車

2011年08月21日 | たわごと
昨日は地区のお祭り。朝からテント設営やら屋台準備やらで汗をかく。

と、お昼の隙間時間を使って涼を求めに鈴鹿のB峠へ・・。



今でも鈴鹿B峠は三重県側通行止めであります。



峠に登ると一気にガスがまいてきて涼しい~。



今日は、いつものロードでなく、最近手に入れた現代の馬車に乗ってなのでらくちんちんなのです。

久しぶりのワインディングを楽しみながら家路につくと、最後5kmで雨に降られました。

その後また、祭り会場へ戻っていそいそと準備にいそしむ僕なのでした。

灼熱週末

2011年06月28日 | たわごと
なんだか急に暑さが来た感じの週末であった。
日曜日は地区の草刈りの日だったので、それが終ったあと、午後の用事の時間までの隙間を
狙って、家からすぐ近くに有る油日岳まで登ったろかと、自宅からジョギングし始めた、
が、徐々に昼の日差しが容赦なく照りつけ、登山口まで行ったところで、
頂上まで45分の看板と、残り時間をみて、ギブアップ。

とぼとぼと歩いたり走ったりして自宅にもどる。

昨日の自転車に引き続いて今日もダメダメな日でした。


ちょっと、こましなグラスウエア

2011年06月26日 | たわごと
週末の天気予報が悪天→好天へ大幅に変わったこの土曜日、
天気予報を恨めしく思いながら、午後は近場へロード練習に出かける。

それにしても、午後の日差しはあまりにも暑く、ヒルクライムしようと思っていた心が
坂を2回越えたところで思いっきり折れて、敵前逃亡。フラットロード経由であっさりと自宅へ
戻る。

それにしても、今日は暑い。クーラーの無い我が家は自然の涼で涼むしかないので
何かと涼の雰囲気が大切だ。
というわけで、買い物に出かけたところでふと見かけた涼しげなグラス。

Bodum・ボダムというデンマークの会社の ダブル構造のグラスを二人分購入。
値段はちと高く1700円/個であった。

自宅に帰って夕食どき、早速このグラスで冷酒&水割りをぐびり。
氷を入れても露がつかないし、中の様子が見えてなかなか涼感たっぷりである。

今年はこれで夏を乗り切るか。




季節感色々

2011年04月23日 | たわごと
今週は仕事で滋賀から信越へ、そして丹後へ向かう

長野の山の現場に着くと空は雨模様から雪模様に・・。
まだ深い雪の中雪上車に乗って現場に向かい、仕事を済ませる。


翌日早朝から 信越道をひた走り今度は丹後を目指す。
妙高の山が綺麗に見えておいでおいでと誘っていた。
滑りてぇなあ~・・と思いつつ走る。

北陸道を走っていると ちょうど桜が満開な所があり平和な気分になった。


500kmをひた走って丹後の現場へ到着。
現場の仕事を終え、あたりをうろうろしていると、久しぶりに見た?外国人がいた。

良かった!日本に来てくれる外国の人もまだいてて・・。またニッポンにきてね。

二日間で全く違う環境の所を走り通して、季節感がおかしくなってしまった・・。

震災から1ヶ月

2011年04月16日 | たわごと
震災からあっという間の1ヶ月である。
ちまたでは震災の影響でいろんな材料が入手困難になっていて
僕の仕事関係でも早速今年の仕事に影響がでそうな
事がたくさんあり頭が痛いところだ。

なおかつ、外国人を初めとする日本への
訪問回避の状況が大きいのでこれの日本経済へ与える影響は
かなり深刻な感じである。

もうここまでくればある意味あきらめ半分で行かねば
仕方ないのだろうとは思う、

それよりもこれから未来を託す子供達がこの先健やかに育って
くれる事に願いを掛けたいと思うばかりだ。


震災はとても悲惨な事ばかりだったけれども、その悲惨な状況の中でも
我を忘れれて人を助けたり、あるいは復興支援の中でいろんな人が
いろんな形で立ち上がって来たりして、逆にすばらしいエピソードが
いっぱい生まれている。
そんな人たちの行動をいくつも見てまだまだ日本は捨てたもんじゃ無いという
気がしたのは僕だけでは無いだろう。

このような過酷な状況のなかにあっても人のことを思いやる行動をした
幾人もの人の行いこそ、是非ちいさな子供達に一杯話してあげて欲しいと思う。

その実体験の話こそ、子供達の将来にきっと大きな影響を与えると思うし、
それがきっとよりよい日本を築いてくれる元になると思うから。

このようなすばらしい人々達が手を取り合ってこの震災を乗り越えることができれば
日本は今まで以上に良い国、良い国民になりうる様な気がします。
ぜひそうありたいとねがうばかりだ。


石原慎太郎・我欲発言

2011年03月26日 | たわごと
東日本大震災の後、後に問題発言となった石原慎太郎のコメントをTVから何気なく聞いていたが
そのコメントの中の一部が僕の頭から離れないこととなった。

彼は
「津波をうまく利用して『我欲』を一回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う」
と発言したのち
「日本人のアイデンティティーは我欲になった。金銭欲、物欲、性欲」と指摘。
「アメリカの国家的アイデンティティーは『自由』。フランスは『自由と博愛と平等』。日本は無い」
と強調した。半面、「被災者の方々はかわいそうですよ」とも述べた。

この「天罰」という言葉はあまりにもひどいものでそれは後に撤回され陳謝されたのだが、
それとは別に「我欲」という言葉が僕の心に刺さったままになった。

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人はそれぞれ自分自身の欲望や自己実現の為に生きるのが普通である。
僕もそうして今まで生きてきた。
我欲が別に悪いことでは無いこととは思う、でも今までそれに気づかずに我欲を積み上げて来た自分自身がここにいる。

そして今回の震災に関連していろんな人がいろんな所で他人の為に一生懸命活動を行っている姿がある。
・・そこには日本人が本来もつ他人への優しさがある。・・・本当に被災地は悲惨だけれども、人が心で生かされている。


そんな人々の行動を見るにつけ、僕は自分自身の今までの生き方から少しシフトする必要があると思った。
我欲オンリーから別の方向へと・・・。

そんなわけでその一つとして、僕は東北の子供達のためにできるささやかな事をこれから継続的に行ってゆくことにした。
これが今の僕にできることだ。